そうこうしているうちにクレヨンが寝ぼけ眼で起き出して来た。寝起きの顔と言うのは男も女もなかなか凄まじいものがあるが、特に昼間は化粧を怠りない女にとってはスッピンのうえに髪はバサバサおまけに寝ぼけ眼とくればそうそう他人様に見せられる代物ではない。クレヨンもチリチリが復活しかかった髪をかき回しながらベッドの上に起き上がった。そしてパンツ丸見え状態で胡座をかいて何だかぶつぶつ独り言を言っていた。

 僕が観察した限りでは女という生き物は人前、特に男の前ではむやみと気取って可愛く装っているが、女同士になると話の内容にしても行動様式にしても結構大胆不敵なことをする。別にこれは自分が女になって分かったことではなく男の時からそう思っていたことだが、世間で女と認められるようになって改めて女と接してみるとますますその感を強くするようになった。

 考えてみれば女というのは十か月以上も子供を腹の中で育ててそれを産むのだから男よりもずっと動物的なところがあるのかもしれない。そうでないとあんなことは出来ないだろう。何かの本でもしも男がお産をしたら大部分はお産に耐えられずに死んでしまうだろうというような記述を読んだことがある。それも僕と同じようにお産に偏見を持っている作者が書いたものかもしれない。そして女が動物的だというのは僕の私見だから実際のところは分からない。

「食事をしてらっしゃい。終わったらこれからのことを話し合いましょう。」

寝ぼけたクレヨンに女土方が優しく言った。

「これからのことって。私、寝起きは低血圧でだめなのよね。しばらく待って。」

 ろくなこともしていないのにだれた態度のクレヨンに腹が立って頭を叩いてやろうかと思ったが、また女土方にばれて目で『メッ』をされてしまった。

「あなたのお父さんが帰ってくるまで私達は生活を共にしないといけなくなったのよ。だからあなたも考えてね、私達三人でどうすればいいかを。」

 女土方はクレヨンには何だか本当に優しかった。僕は小声で「本当に狙っているの。」と囁いたら今度は僕が頭を叩かれてしまった。小一時間も待ってやっと何とかサル並まで回復したクレヨンと話し合った結果、この家をお手伝い一人にしておくわけにもいかないだろうということで結局僕たちがここで生活をすることになったが、これは僕よりも他人の家で生活することをあんなに嫌がっていた女土方があっさりと受け入れてしまった結果だった。

 ただしずっと女土方の家を空けておくわけにも行かないので交代で家に帰ることになったが、そうすると僕とクレヨンが二人きりでここで過ごすことになることがあるということになる。本来中年男性である僕が二十歳そこそこの女性と堂々と同じ部屋で生活を共に出来るなんてことは男にとって夢のような話なのかもしれないが、この場合はお互いにとって厄難としか言いようがなかった。その厄難が目の前に迫っていることに僕達はまだ気づいていなかった。そしてそれは女土方の一言で眼前に出現した。

「私、今日は家に帰るわね。いろいろと用事があるし明日からの仕事も放ってはおけないし。いいでしょう、今晩は二人で。けんかしちゃだめよ、仲良くね。」

 女土方はいとも簡単にそう言ってのけた。けんかどころか別の方向に走ったらどうするんだ。クレヨンも寝ぼけ眼が一瞬真顔に変わった。

「じゃあそういうことで私はこれで家に帰るわ。明日からのことはまた相談しましょう。週中と週末くらいにあなたの着替えを持ってくるついでに泊まって行くということでどうかしらね。」

「ちょっと待ってよ。私はどうするの。ずっとここにいるの。」

そう言ってから小声で「もしもあの子とできちゃったらどうするのよ。」と囁いた。

「あらいいじゃない、仲良しになれるんなら。」

 女土方は僕がクレヨンには全く興味を持っていないことを知っているので僕の脅しも余裕でかわされてしまった。確かに男の体なら間違いがないとは言えないが、今のこの体では敢えてクレヨンにその種のことを仕掛けようという気には全くならなかった。

「じゃあ私はこれで帰るわ。当座必要なものは夕方持ってくるから連絡してね。もう一度言うけどけんかしちゃだめよ。」

 女土方は無情にも僕一人を残してさっさと帰って行った。『私が見なきゃだめかしらね。』というさっきの言葉はどうしたんだ。さすがの無知無敵クレヨンも立ち去る女土方を不安そうな表情で見つめていた。しかし帰ってしまった女土方を呼び戻そうとしても仕方がないので僕はこの状況を北の政所様に電話して話しておいた。北の政所様も「大変だけどよろしくね。社長には良く話しておくから。」と言っただけでクレヨンなど放って帰って良いとは言わなかった。

「さあ着替えなさい。買い物に行くわよ。」

 僕はクレヨンに言った。こうなったらここで長期持久体制を確立しないといけない。そのためには物資が必要だった。お手伝いに車のキーを借りると慌てて支度をしたクレヨンを連れて外に出た。

「ガレージにあるセルシオを使ってください。」

 お手伝いはそう言ったがガレージを見ると確かにそれが一番安価な車のようだった。お買い物車がセルシオなんて世の中金のあるところにはあるもんだ。小型車に慣れた僕にはちょっと大きすぎて扱いにくいセルシオを駆って靴、衣料品、書籍、DVDなどを買いまくってやった。支度金として渡された金があるのでこの際それを使うことにした。ついでにクレヨンが欲しがるものも何点か買ってやったが、高級品はすべて却下してやったので結局クレヨンの手に入ったのは音楽CDや雑誌などだった。

 途中ちょっとしゃれたカフェを見つけてクレヨンとコーヒーを飲んだ。僕はこんな時はあまり話をしないで本等に目を通すことが多いのだがこの時もそうしていると「ねえ」とクレヨンが呼びかけた。

「本当に今日から二人なの。」

クレヨンは凶暴な僕と二人きりになるのがやはり不安のようだった。

「そうよ、彼女、帰っちゃったからそうする以外にはないようね。」

「もう来ないの、伊藤さん。」

「週末には来ると言っていたけど。金曜か土曜じゃないの。」

クレヨンはゴクンとつばを飲み込んだ。

「仲良くしようね。乱暴にしないでね。」

何だかばかにしおらしくなったクレヨンが哀願するようにそう言った。

「どうしてそんなこと言うの。」

クレヨンの意図するところは百も承知だったが一応聞き返した。

「だって伊藤さんは優しいけどあなたは凶暴だから。ひどいことしないでね。」

僕が凶暴だなんてひどいことを言うやつだ。

「例えばどんなこと。」

「すぐに怒るし私を投げたりするし。」

やはりこの間投げ飛ばしたのがかなり効いているようだ。

「それはあなたが先に頬を叩いたりつばを吐きかけたりするからでしょう。普通にしていれば何もしないわ。」

 クレヨンは少しばかりの笑みを浮かべて安心した表情になった。お前な、僕が何の理由もなく暴力を振るうようなことを言うな。すべてお前が先に手を出したからだろう。それにしても死を賭しても徹底抗戦くらいのことを言えばこっちもやり甲斐があるのにこんなに簡単に泣きを入れられると拍子抜けがする。

「とにかく今日からはお互いにルームメイトなんだから仲良くしましょう。さあ帰るわよ。」

 クレヨン宅に帰ると僕は買い込んだ荷物を整理してからこの家のフィットネスルームでしばらく汗を流した。確かにこのところ体形が変わり始めたようで肩が盛り上がって上腕も太くなっているようだった。借り物の体だと言うことは承知しているが現に使用しているのは僕なのだからかまわないだろう。この時節女だって強くないと生きてはいけないんだ。