「百戦錬磨のお姉さんを舐めるんじゃないよ。私はね、あんたみたいな世間知らずの我儘が大嫌いなの。
あんたがハゲタカに食われようが身ぐるみはがされようが私の知ったことじゃないけどね。そうなったら悲しむ人がいるんでしょう。少しはその人達のことを考えなさい。」

 クレヨンは本当にサルのような姿になって何やら意味不明のことをわめきながら何度もつかみかかって来たが、その度に床に投げ飛ばしてやった。基本的に僕は男なのだからやることは純粋の女とは違って荒っぽいんだろう。勿論怪我をしない程度に手加減はしていたが。

 社長や北の政所様は呆れたように眺めていたが、北の政所様は自分の時を思い出したのかやや苦笑いの態だった。

 何度も投げ飛ばすうちにさすがのクレヨンも疲れたのか床にうずくまったまま肩で息をして立ち上がって来なくなった。ぼくはその腕をつかむとクレヨンの体を引き起こしてソファに座らせた。そして呆けたように立ち竦んでいたお手伝いが両手で持っていたバスタオルを引っ手繰ってクレヨンの髪を拭いてやった。そして顎を軽くつかむとうつむいていたクレヨンの顔を上げさせた。

「あんたね、いろいろ事情があるのかもしれないけど、もう少し気合を入れて生きないとこの先とんでもない目に遭うわよ。一体今のあんたに生きていくためのどんな才能があるというの。言っとくけどあんたの自慢の英語なんて全く使い物にならないからね。それから日本語もね。お父さんの傘の下でちゃらちゃら生きていないで少しは真剣に自分で生きることを考えなよ。この世の中を舐めるんじゃないよ。」

 クレヨンが僕の言うことを素直に聞くなどとは欠片も思ってはいなかったが、こいつのためにさせられた苦労を考えればこのくらいしても罰は当たらないだろう。

「ねえこの辺に美容室があったら予約してくれませんか。」

僕はお手伝いを振り返って頼んだ。

「この皿うどんみたいな髪を何とかしないとね。丁度濡れてしまったんだから少し切ってストレートパーマでもかけてもらったら。」

 クレヨンに話しかけるといきなり顔を振って僕の手を振りほどいた。そして僕の顔につばを吐きかけた。

「舐めたまねをするんじゃないって言ったわよね。」

 僕はクレヨンの腕をつかんでもう一度引き起こすとさっきよりも少し強めに床に投げつけた。受身など取れないだろうから頭を打たないように腕をつかんで上半身を支えていてやったので怪我をすることはなかったが、骨盤にかなりの衝撃があったんだろう。クレヨンは「グッ」という声を上げて床に伸びた。そのクレヨンの髪をつかんで上半身を引き起こして「百戦錬磨のお姉さんを舐めるんじゃないと言ったでしょう。」ともう一度警告をしてやった。

「佐山さん、ちょっとやりすぎじゃないか。」

さすがに見かねたのか社長が口を挟んだ。

「私に任せるって言いましたよね。だったら口を挟まないでください。」

 僕は思わず口走ってしまったが、これでは僕がこのサルの面倒見ることを同意したことになってしまう。しまったと思ったが、もう遅かった。社長はそれ以上は何も言わずに引き下がった。

「起きて普通の服に着替えるのよ。いいね。分かったわね。」

 僕はクレヨンを起こすとお手伝いに引き渡した。お手伝いはクレヨンを支える様にして応接間の外に連れ出した。

「あなたって本当にやることが過激で凶暴なのね。一体若い頃何してたの。」

北の政所様は呆れた様に僕を見た。

『ええ若い頃からついこの間までずっと男してましたから。』

 そう言ってやろうかと思ったが、もっと状況がこじれそうだからやめておいた。しばらくするとトレーナーに着替えたクレヨンが応接間に姿を現した。髪はゴムで束ねて落書き化粧なしの素顔だった。わけの分からない化粧を落としてみれば普通の若い娘の顔だった。

 美容院の予約が取れたそうでクレヨンはそのままお手伝いと一緒に髪を切りに出かけた。三人になると社長が早速口を開いた。

「いや、本当に佐山さんに引き受けてもらってありがたい。本当に迷惑をかけるけど是非よろしくお願いしたい。僕が一緒にいるわけにはいかないし、冴子でも年が離れ過ぎて具合が悪い。それにどうもそういう性格ではないようだしなあ。冴子は。」

 さっきの一言がまずかった。『私に任せるんでしょう。口を出さないで。』なんて思わず口走ってしまったのが失敗だった。社長はもうすっかりその気になってしまっていた。

「この家は好きに使っていいそうだから。必要な経費はお手伝いから受け取ってくれ。取り敢えずここに三十万用意してあるのでこれを遣って必要なものを買い揃えるなり何なりしてくれ。」

社長は封筒を差し出した。

『そうして君たちは何でも金で始末をつければいいってものじゃないだろう。』

社長に一言言ってやりたかったが、そうも言えない宮仕えの辛さがあった。