「でもどうしてあんなに執拗に絡んでくるのかしら。そんなにあの人と何か因縁があったわけではないと思うんだけどな。こっちが忘れているか気がつかないことがあったのかなあ。」

僕が首を傾げていると女土方が言い難そうに口を開いた。

「原因は私かもしれない。」

その一言で僕は身を乗り出した。

「実はねえ、ちょっと話したでしょう。何年か前に彼女とちょっとしたトラブルがあったって。そのことを根に持っているみたいなの。その話、うわさで聞いているでしょう。」

 何年か前なんて聞いているわけないだろう。女土方も北の政所様もまして佐山芳恵なんてその存在どころか自分が佐山芳恵になるなんてことは欠片も考えなかったんだから。もしもそうなることが分かっていたんなら情報収集を徹底したんだろうが。

「私はそんな話は聞いていないわ。何があったの。」

変に知っているようなふりをするよりも知らないものは知らないと言った方が話が早い。

「実はねえ、その頃私と彼女でちょっとした仕事をしてたのよ。その取引先の人がね、奥様をなくした独身のちょっと素敵な中年の男性だったんだけど長い仕事だったから時々飲みに行ったりしてなかなかいい雰囲気だったの。それで彼女その人を気に入ったらしくて何かの折に仕事に託けてその人を誘って自分の気持ちを打ち明けたらしいの。

 ところがねえ、その人は私の方を気に入っていたらしいのよ。私は男の人には興味はないからその人がいい人だということは分かるけどお誘いを受けても全くだめなわけよ。

 それでその人からそれとなく誘われたけどこちらもそれとなく断ってしまったの。向こうも大人だったから事情があってお付き合いはできないという私の言うことを聞いて納得してくれてこっちはそれで終わったんだけど治まらないのは彼女なの。自分は振られるししかも自分が好きになった人を身近な人間があっさりと振ってしまったのがもっと気に入らなかったらしいの。

 それでも幾ら何でもそのことで私に何かするわけにもいかなかったようで仕事のことやお付き合いのこと私生活のことまであれこれちょっかいを出してきてそれはもう大変だったわ。

 それでね、ある時仕事のことでちょっとした言い合いになった時に向こうが仕掛けてきたから『いい加減に恋の鞘当てのようなことはやめてください。あなたとあの人のことと私とあの人とのことは全く関係のないことでしょう。』って言ってやったことがあるの。結果はご想像にお任せするけどそれはもう大変だったわ。あなたのように実力行使にまではならなかったけど。

 それからもごたごたが続いてどうしようもなくなっていたらその取引先の人がそれとなくうちの会社の方に話をしてくれて何とか停戦ということになったの。でもあの人の心の中ではずっと続いていると思うわ、そのことが。異常にプライドの高い人だから。それを傷つけられるのはどうにも我慢が出来ない人なの。仕事はなかなか鋭いんだけどね、感覚も手腕も。

 今度はあなたがいい仕事をして会社で注目をされていることに加えて私に接近しているから両方一緒に叩いてやろうとでも考えたんじゃないのかな。それで私たちのことをいろいろ調べたんでしょう。それで私達が一緒にいることを突き止めてそれを使って責めようとしたんじゃないの。でもねえ、まさかあんな手酷い反撃を受けるなんて思いもしなかったでしょうね。

 私もあなたがあそこまで本当にやるとは思わなかったわ。まさか殴り合いになるなんて。向こうも驚いたでしょうね。子供みたいにお尻を叩かれるなんて。それも自分の取り巻きさん達の前で。」

 なるほどそういう過去があったのか。しかし女の執念は恐ろしい。僕としてもこれで片がついたなんて欠片も思っていないし、例えて言えば真珠湾攻撃が相撃ちになったようなものだからこれから何度も戦闘が続くのだろう。それがどういう展開になるかは相手次第だが、今回は和平を仲介する者が見当たらないので面倒なことになるかもしれない。それでも自分としてはしなくてはいけないことをしっかりとやっていくだけだ。

 ラウンジが終わる時間になったので僕と女土方は部屋に戻った。カラオケに行った既婚女と若手女はもう部屋に戻っていたが、どうも僕と北の政所様の間で戦端が開かれたことはすでに知っているようだった。

「大丈夫、佐山さん。」

 既婚女は一応気を使ったのか様子を尋ねたが、どちらが良いの悪いのというようなことは一切言及しなかった。下手なことを言って騒動に巻き込まれたくはないのだろう。若手女は何となく事の顛末を聞きたそうだったけれど既婚女に余計なことにはかかわるなと釘を刺されているのか僕の顔を覗うだけで何も言わなかった。

 二人はそそくさと寝支度をすると「ベッドを使って良いですか。」と断ってベッドにもぐりこんだ。僕と女土方は二人を見送ってから必然的にあてがわれた和室に入ると寝支度を始めた。顔の傷は目立つことは目立つが何よりも歯を磨くのに手間がかかって困った。

 和室は襖を閉めることが出来たので音さえ立てなければ密室だったのが僕にとってはありがたかった。そっと女土方の布団にもぐりこむと女土方に抱きついて彼女の匂いを胸一杯に吸い込んだ。女土方の感触や匂いが角の立った僕の心を和ませた。そんな僕を女土方は心得たように柔らかく抱いてくれた。そうしていると力が抜けるように怒りが静まって穏やかで優しい時を楽しんでいる自分がいることを感じた。

『いい女だな。』

 今は自分が女の身なのに他の女に安らぎや欲望を感じる自分がちょっと不思議だった。僕はもう一度女土方の体に顔を強く押し付けて深く息を吸い込んだ。

「本気になってはだめよ。」

女土方が耳元でささやいた。

「二人きりではないのだからね。」

僕は女土方に二、三回頷いたが、その頃にはもう半分眠りに落ちていた。