部屋に引き上げて一安心と思ったのは僕の甘い見通しだった。同室のお二人はそれぞれ二次回やカラオケに出かけて留守だったので女土方と二人で静かに好きな飲み物を飲みながら寛いでいた。女土方と肩を寄せて南国の海を眺めながら冷たいコーヒーで酔いを醒ますというのもなかなかおつなものだった。
しばらくの間そうして穏やかな時間を過ごしているとドアチャイムが鳴った。僕は同室の既婚女か若手女が戻ったのかと思いドアを開けた。驚くなかれ、そこに立っているのは北の政所様とその親衛隊だった。

「ちょっとお邪魔していいかな。少しあなた達と飲みながら話がしたいわ。」

そう言った時には北の政所様は僕を押しのけるようにして部屋の中に入って来ていた。呆気に取られている僕を睥睨するように北の政所様に続いて親衛隊が部屋に入って来た。とんでもないやつ等だと思っていると勝手に座卓の周りに集まって飲み物や食べ物を広げ始めた。飲み物や食物を出せと言わないだけまだましなのかもしれないなんて強引に押し入って来た政所軍団の変なところに感心してしまった。

「さあここにいらっしゃい。それともあなた方、お二人で寄り添っていた方がおよろしいのかな。」

この言葉で親衛隊がどっと笑った。「いやねえ、気持ち悪い。」などと聞こえよがしに囁き合っているのもいる。何だ、こいつ等お話がしたいなんて言っても結局僕にけんかを売りに来ただけじゃないか。よし売られたけんかなら買ってやろうじゃないか。しかも僕の大事な女土方のことを冒涜されて男として黙って引っ込んでいられるものか。こんな脳みそ自爆女共には頭脳戦になっても負ける気がしなかったし格闘戦ならなおさら元男の僕が女などに負けるわけがないじゃないか。

そう決めると僕は座卓を囲んでいる親衛隊の方に近づいて行って北の政所様の隣に座っている総務の係長のけつを軽く蹴った。

「ちょっとそこをどきなさい。」

突然のことに驚いて飛び退いた総務の係長を押しのけて僕は北の政所様の横に座った。

「お局様が飲めとおっしゃるなら喜んで飲みましょう。いただくわ。でも私はビールが良いわ。あるかしら。」

僕は北の政所様に向かってコップを突き出した。あまりの態度にちょっとたじろいだ北の政所様だったが、さすがに女王の貫禄なのかそれ以上取り乱すこともなく踏み止まった。そして僕が突き出したコップにビールを注ぐと自分のグラスを持ち上げて「乾杯」と微笑んだ。北の政所様もその性格はともかく年の割には目鼻立ちのすっきりした大柄な僕の好みの女だった。

「お姉さま、きれいね。こんなにきれいな人なら年上も悪くないかもね。」

僕はグラスをちょっと持ち上げて北の政所様を見つめて微笑み返した。この時点でもうすでに戦闘は開始されていた。女土方は少し離れたところで椅子に座って黙ってこっちを見つめていた。

「全く仕方のない子達ね。せっかくお二人ともお仕事はそこそこ出来るのに陰でこそこそと悪さばかりして。あなた達が何をしているのかみんな知っているのよ。お止めなさいな、陰でこそこそと汚らわしいことは。」

「あら何を根拠に私達がこそこそと悪さをしているっておっしゃるのかしら。別にこそこそなんかしていないわ。私は伊藤さんと一緒にいるわ。私にはそうすることがとても居心地がよくて楽しいから。そんな私達の何が汚らわしいって言うの。お姉さま、一体私達の何を知っているの。」

僕は笑顔で応じた。先に怒った方が負けだと思った。ここは冷静に応じなければいけない。

「あなた達、女同士で一緒に住んでいるのね。どうせ肌を合わせているでしょう。それっておかしいんじゃないの。自分達でそれが分からないの。」

「人の生き方や好みにはいろいろあるわ、お姉さま。いろいろ事情もあるかもしれないのだから相手に迷惑をかけない限りあまり他人の生き方に口を挟むものじゃないと思うんですけど。その人の靴を履いて何マイルか歩いてみるまで他人のことはとやかく言うなという言葉もあるわ。

 男に組み敷かれて叫び声を上げるのも似たようなものじゃないの。お互いにそれでいいと思うのなら女同士も悪くないし、それで他人に迷惑をかけるわけでもないわ。どうかしら、お姉さま、一度試してみたら。私が教えてあげてもよくてよ。」

 北の政所様の顔色が白く変わった。こみ上げてくる怒りを抑えているのがよく分かった。もう一人女土方もこんなことを口にした僕に怒っているかも知れなかったが、覗い見る限りその表情からは読み取れなかった。

 しかしどうしてこんなことくらいでこうも執拗に挑発をしてくるのか単に北の政所様の性格なのかそれとも佐山芳恵との間に過去に何事か存在していたのかそうした事情が全く分からなかった。この生活はどうもそういうところがもどかしいし状況判断のつきかねるところがあるから困る。

 もしも何かしら特段の事情があって北の政所様がご立腹なさっているのならここで開戦必至と無闇に武力行使に出ようとする僕の方が非難を浴びることにもなりかねない。僕としては平和的な解決の方策を求めて手を尽くしたが、相手側の武力行使に対して自存自衛のために開戦の止むなきに至ったという形を残したかった。しかしこの会社ではそこそこ事情通の女土方も佐山芳恵と北の政所様との関係について特段の事情を知らないようだから深い理由はないのかもしれない。

「あなたはちょっと良い仕事をしたと思って最近いい気になり過ぎていない。そんなあなたの仕事なんて吹けば飛ぶように潰してしまうのなんか簡単なことよ。よく覚えておくことね。」

 どうも女という生き物は本来客観的であるべき時に純主観的にしか物事を判断評価できないことが大きな欠点だと思う。一括りに男とか女とかと言ってしまうといろいろ語弊があるだろうし男でもそういう傾向のある人間は掃いて捨てるほどいるが、やはり女は総じてものごとを主観的に判断したがる傾向が強いように思う。第一自分の好き嫌いで会社の商品や企画を潰していたら巡り巡って自分の首が締まるということが分かっていないのだろうか。

「私は職場が仲良しクラブだとも同好会の類だとも思っていないわ。私は職場と言うのは会社との契約を誠実に履行する場だと思っているわ。

 職場にいる時はそれ以外のことは考えないで全力で仕事に取り組むことにしているの。自分の雇用側に対する義務を果たすためにね。それが私と職場の関係の全てよ。会社との関係はそれ以上でも以下でもないわ。

 会社に利益をもたらすのが自分の義務ならそのために私は自分の力を尽くすわ。でも私には給与以外の見返りは必要ない。地位も何もいらないわ。私が職場に求めるのは自分の生活を維持するために必要な収入だけ。

 職場を離れたら職場やそこにいる人に拘束されずに出来るだけ自分の自由に過ごしたいの。私は他人が何をしようと必要以上に私を巻き込もうとしない限りそれに口を挟んだり手を出したりは絶対にしないわ。勿論他の人に迷惑も出来るだけかけない。だから私のことも放っておいて欲しい。それだけが私の望みよ。」

「そんな子供みたいな言い分が大人の世界で通ると思うの。この世の中で人の繋がりを無視して生えていくことは出来ないのよ。大人に成りきれずに自分勝手なことばかり言っているあなた達に大人のお付き合いをよく教えてあげるわ。」

 もうこれでいいのだから放っておいてくれと言っているのにあれこれとお節介な女だ。他人の心配よりも自分のお肌や白髪の心配でもしていろ。

「あなた達って誰のことかしら。私はともかく『達』と言うのだから他にも誰かがいることになるわね。誰のこと。」

まあ北の政所様が言う『達』の片割れは女土方なんだろう。

『女土方はお前なんかよりもずっとまともな大人の女だ。そんなことも分からないか。』

 思い切りそう言ってやろうかと口に出かかったが、女土方に睨まれてすんでのことで飲み込んだ。それでも僕としてはこれ以上女土方を侮辱したら一戦も辞さずの決意を固めていた。自分だけでなく同盟を結んだ相手が深く傷つくまで精神的に侮辱することに対抗するのも当然自衛の対象に含まれるというのが僕の解釈だった。

「そこにいるお上品ぶった変態さんのことよ。ねえビアンの伊藤さん。」

 北の政所様はいかにも見下したように女土方をあごで示した。それに釣られたように取り巻きが甲高い笑い声を上げた。女土方は穏やかな表情を崩さずに黙って北の政所様を見つめていた。でも僕はもう限界だった。女土方の顔に重なって小樽で会ったすらり氏の顔が浮かんだ。どっちもこいつらよりもずっと上等な人間だと思った。