ドアが開いて旦那医者と看護師が入って来た。看護師は点滴バッグを載せたワゴンを押して来た。

「手術は特に問題なく終わりました。腸管に癒着があったので一部切除しましたが、これも特に心配することはありません。ただ、今晩はトイレなどの他は安静にしていて下さい。水分も口を湿す程度で我慢してください。もしも立ち上がるのが辛いならカテーテルを使いますが。」

 これについて僕は即座に拒否した。立ってもかまわないのならトイレくらい人の世話にはならないで自分で始末できるし管など入れられることに恐怖感もあった。

「立ち上がってもいいのなら自分で行くからいいわ。」

「でもね、点滴バッグもあるから大変よ。今晩だけでもカテーテルを入れた方が楽よ。」

年配看護師はそう言ったが僕は拒否し続けた。

「私がついていますから大丈夫です。問題がないのなら彼女の好きなようにしてあげて下さい。」

最後は女土方の言葉で決着がついて僕は変な管からは開放されることになった。

「点滴は五パックを使ってもらいますので輸液が少なくなったら呼んでください。大体二時間くらいがめどになると思います。鎮痛剤の座薬は遠慮なく使ってください。痛みを我慢しないように。回復が遅れますから。今入れておきますか。」

 旦那医者に聞かれたが、自分でするのでいいとこれも断った。いくら手術後とはいえ人様の前で座薬なんぞ入れられてたまるものか。

「私がついて見ていますから。いろいろありがとうございました。」

女土方が旦那医者と看護師に挨拶をすると二人は「お大事に」と言って部屋を出て行った。

「いろいろありがとう。」

 僕は女土方に微笑んだ。自分ではそうしたつもりだったがどんな顔をしているのかはあまり自信がなかった。女土方は黙ったままゆっくり首を横に何度か振った。

「さ、休みなさい。でもその前に鎮痛剤を入れておかないとね。まさか私には嫌だとは言わないでしょうね。」

 女土方にそう言われるとさすがに拒絶することも出来ずに僕は黙って頷いてゆっくり腰を浮かせた。その晩は特に痛みに悩まされることもなく普通に休むことが出来た。時々点滴を替えに部屋に入ってくる看護師の立てる物音やトイレに立つのに目を覚ましたが、女土方は横になることもなく簡易ベッドに腰掛けたまま僕を見つめていた。これまであまり感じたことがなかったが、そうして誰かが見ていてくれることが僕にはとても暖かく感じた。

 翌朝はずい分日が高くなってからはっきりと目覚めた。女土方はさして疲れた様子も見えなかったが、きっと一睡もしないで僕のことを見ていてくれたんだろう。

「ごめんなさい、私のせいで眠れなかったでしょう。」

「気にしないで。でも少し寝ちゃったわ。点滴が終わっていて看護師さんに起こされたわ。」

女土方は首をすくめて笑った。

「昼頃には点滴も終わるみたいだからそしたらちょっと家に戻ってまた夕方出てくるわ。」

 僕は女土方に向かって頷くと体にかかった毛布を剥いで自分の腹を覗いて見た。切ったところは大きなバンデージが貼り付けられそこに滲みだした血液が複雑な模様を作っていた。僕はゆっくり起き上がるとベッドの脇に立った。

「どうしたの。」

 驚いたような顔をしている女土方に一言「トイレ」と言って点滴のバッグをぶら下げるとトイレに入った。そして体の外に出たがっているものをみんな出してやった。腸を切ったのだから当たり前なんだろうけど出してやったものの中には血液の塊のようなものが混じっていた。その後今度は着替えの下着を出して身に着けた。勿論拘束性の低いゆったりとしたものだったが、もう手術は終わったのだからあんな不細工なT字帯なんぞ身に着ける必要はないだろう。その間女土方は何も言わないのに僕がよろけたりしないよう後ろから支えていてくれた。この女は見かけこそ金属のように固く冷たい印象が強いが、本当に多感で優しい女だった。

 丁度着替えが終わってベッドに横になった時に旦那医者が外来の前の診察に愛想なし看護師を連れて部屋に入って来た。

「どうですか。よく眠れましたか。何か辛いことはありませんか。」

 旦那医者はそんなことを言いながら僕の手術着をめくった。そして「ちょっと失礼します。」と言いながら下着を少しばかり下げるとバンデージを剥がした。そこには車に轢かれたムカデのようなものが張り付いていたが、思ったほど過激な傷跡ではなかった。旦那医者は傷に手早く消毒液を塗るとまたバンデージを貼り付けた。

「特に痛みが強いとか出血があったら言ってください。それから通じがあった時は教えてください。」

「もうありました。」

間髪を要れずに僕が答えると旦那医者はあっけらかんとした顔をして僕の方を見た。

「そうですか。ずい分丈夫な腸をお持ちですね。では少しなら水分を取ってもかまいません。ただし飲み過ぎないように。食事は明日の朝から流動食をお出しします。今日は我慢してください。午後にまた点滴を入れますから。」

 旦那医者は必要なことだけを事務的な口調で告げると「お大事に」と言い残して部屋を出て行った。旦那医者が出て行くと女土方は僕の下着を調えて毛布をかけてくれた。

「じゃあ私、ちょっと家に戻るわ。何かあったら電話してね。午後は早く戻るから心配しないで。」

「私はもう大丈夫だからゆっくり休んできて。いろいろありがとう。心強かったわ。」

 女土方は私に微笑みかけて部屋を出て行った。一人になると何もすることがなくて時間を持て余した。しばらく横になっていたが退屈で本を持ち出して読み始めた。それも横になったままでは疲れてしまってすぐに投げ出した。そうしているうちに喉が渇いてきた。点滴を入れているうちはあまり感じなかったが、止めると急に喉の渇きを感じ始めた。

 僕はこの医院の待合室に自動販売機があったのを思い出して水を買いに行こうとお金を取り出した。自動販売機まで行くには外来の患者さんがいるところを通ることになる。そうすると着ているものが手術着なので生足むき出しのまま人前に晒すことになってしまうが、病院だからかまわないだろう。そう思いを定めてお金を握り締めると部屋の外に出た。

 思ったとおり待合には十人くらいの患者さんが順番を待っていた。それでも半分以上はお腹の大きい妊産婦だった。その人たちの前をちょっと右足を引きずりながら自動販売機で水とお茶を買っていると「おめでたですか。」と声をかけられた。振り返ると大きなお腹をした若い女性だった。

『お前なあ、自分がそうだからと言って何でもお産にするんじゃない。もっと客観的に状況を判断しろよ。まず子供が出来るような行為なんか真っ平御免蒙るし、第一腹の中に別の生き物を抱え込んで十ヶ月も過ごすなんてエイリアンじゃあるまいし、そんな不気味なこと頼まれても出来る訳ないだろう。』

 まさかそんなことも言えないので「残念だけど普通の外科手術よ。おめでたじゃないわ。」とさりげなく答えてやった。

「あ、そうですか。ごめんなさい。どうぞお大事に。私初めてのお産なのでなんだかみんなそれに結びつけちゃって。本当にごめんなさい。」

スイカの様な腹をした女はその膨らんだ腹を大切そうに抱えながら僕に向かってそう言った。

「元気な赤ちゃんを産んでね。」

他に言うこともないので月並みな言葉しか口に出なかったが、それでもそのスイカ腹女は顔を輝かせて
「ありがとう。お大事に。」と答えた。全く本当に女というのは不思議な生え物だ。死刑になっても後免蒙りたいようなことでどうしてあんなに輝けるんだろう。もっとも女が子供を生むのを僕のように嫌がっていたら人類はとっくに絶滅しているんだろうが。それにしてもスイカ腹女を見ていて僕は女への道のりが遥遠で険しいことを改めて悟った。