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 翌朝、僕は結構爽快に目覚めた。下腹部の痛みも消えていた。それで一瞬手術を受けるのは夢だったのかと思い込んでしまったが、腕にはしっかりと点滴の針の痕が残っていた。もっともあれだけ抗生剤だの痛み止めだの飲んでいれば自覚症状も治まるだろう。

 食事が出来ないのでまた水とコーヒーを飲んだが当日は水分も控えろといわれていたので喉を湿す程度で止めておいた。その後職場に電話をして入院して手術を受けるのでしばらく休むかもしれないことを伝えておいたが、何だか恥ずかしかったので盲腸だとは言わなかった。

 電話を受けた上司はさほど驚いた様子もなく「ちょっと疲れているとは思っていたが、無理をさせて悪かった。状況が分かったら連絡してくれ。無理をしないでゆっくり休んで大事にするように。」とだけ言い、細かいことは聞かなかった。今の時代女は強いのであまり細かく根掘り葉掘り聞いてハラスメントにならないように気を使ったのかもしれない。女土方も適当に理由をつけて休みを取っていた。仕事が終わってから来てくれればいいといったのだが、女土方はどうしても納得しなかったので彼女の好意に甘えることにした。

 病院に着くとすぐに病室に案内され、そこで看護師から渡された手術着に着替えさせられた。色が違うが昨日着せられた検査着と基本的に同じものだったのが昨日のいやな思い出が甦って気分を滅入らせた。そしてそれよりももっと抵抗があったのがT字帯だった。この不織布で出来たどう見ても越中褌としか思えない不細工な代物は見てくれも装着感も最悪だった。こんな格好をさせられるなんてこれからSMプレイに臨むM女のようだったが、僕を待ち受けていたのはまさしくそのSMプレイそのものだった。

 着替えが終わると処置室に呼ばれた。そこで看護師に下の毛を半分剃られた。股間を覆った不織布を外すとジェルのようなものを塗りつけていきなり安物の剃刀でバリバリと剃った。剃ると言うよりも刈ると言った方が実際に近いかも知れない。たしかに紙の越中は広げたり閉じたり直接体に手を加える時は便利なようだ。

「すぐに生えて元通りになりますから大丈夫ですよ。」

 本来あるべきものが半分なくなって半分むき出しになった下半身は何だか不気味で異様な感じがした。どうせなら全部落としてもらっても良かったんだが、それでは剃る方が面倒なのかも知れない。看護師は取ってつけたようにすぐに生えてくると言った。

『そんなことお前に言われなくても分かっているわい。』

 看護師に下の毛を剃る理由を尋ねると「手術後に防水パッチで傷を覆うのに毛があると密着しないのでシャワーを使った時にそこから水が浸入するから」と説明した。そう言われれば確かにごもっともだった。それが終わると次は浣腸だった。あれだけ下剤をかけておいてまだそんなことをするのかと思ったが、仕方ないので受け入れた。

「入れてから最低でも五分は我慢してくださいね。」

看護師は気楽そうに言ってストップウォッチなんぞ手渡した。

「外科手術って何だかSMプレイをしているみたいね。」

 ちょっと嫌味のように言うと看護師もなかなかのもので「そうかも知れないですね。」と微笑んで出て行った。

『じゃあ今度お前にもしてやろうかい。』

 今の自分は極めて弱い立場なのでそんな暴言はひた隠しにして看護師が置いて行ったストップウォッチを拾い上げるとご丁寧なことに丁度五分にセットしてあってもう時計は動き出していた。その針の刻み方のようにお腹の具合も忙しくなってきて僕は慌てて部屋の外のトイレに駆け出した。

 トイレの中で忙しく時を刻む時計の針の動きを見つめながら、きっかり五分を耐えた。お腹の中が落ち着くまでしばらく待ってから例のT字帯の始末をしようとしたが、医療には好都合なのだろうが、如何せんその見てくれの悪さが正真正銘男の精神構造を持った僕にさえ何とも耐えがたかった。仕方がないのでせめてもと思い、垂れ下がった端末を畳んで股間を通過している布の間に挟みこんで凌いだ。

「大丈夫。」

部屋に戻ると女土方が心配そうに声をかけて来た。

「大丈夫よ、浣腸のせいだからもう収まったわ。」

「あなたは強いのね、手術の前でも平然としていられて。私だったら狼狽して取り乱しちゃうかも知れない。」

 見かけによらず気の弱い女土方の発言に僕は思わず微笑んでしまった。そうなんだ、確かにこの女は見かけによらず気の弱い脆い面があるんだ。

「昨日から体の調子が悪いのにあちこち体を弄繰り回されてうんざりしているんだけど切らなきゃ治らないなら仕方がないわ。良いだの悪いだの言っている場合じゃないし、仕方がないわね。お腹を切られるなんて誰でもいやよ。」

僕は自分の思うところをそのまま女土方に伝えた。女土方は黙って頷いた。

「さあ横になって。少しでも休んだ方がいいわ。これからいろいろ大変でしょうから。」

今度は僕が頷いて横になろうとしたところにまた看護師が入って来た。

「どうですか、佐山さん。少しは出ましたか。」

看護師はかなり露骨に浣腸の効果を聞いた。

「ええお蔭様で。言われたとおり五分我慢したけどとても苦しかったわ。」

 僕はかなり意趣的に答えてやったが、看護師は少し笑顔を見て「皆さん普通は二、三分で出してしまうようですけど本当に五分我慢したんですね。」と言った。五分も待たなくてもいいなら最初からそう言うが良い。この看護師も見てくれは悪くはないのだが余り愛想やユーモアがないのが欠点かも知れない。

「佐山さんもう一度採血をしますから。」

 看護師はトレイの上から採血用の注射器を取り上げると僕の腕に突き刺して小さな試験管に何本か血を抜いていった。こいつ等吸血鬼のように血ばかり取っていくやつらだ。看護師と入れ替わりに今度は昨日の旦那医者が部屋に入って来た。

「佐山さんどうですか。痛みや吐き気はありませんか。」

旦那医者は部屋に入るなり僕にそう尋ねた。

「特にありません。昨日から痛みは収まっています。」

 旦那医者は黙って頷くと「ちょっと見せてください」と言って手術着をめくると僕のお腹を何箇所か指で押した。

「痛くはありませんか。」

 旦那医者は一所押すたびに一々尋ねたが、僕もそのたびに「痛くありません。」と答えを返した。

「一応症状は落ち着いているようですね。今あなたの血液を緊急検査に出しました。結果は午後には分かると思います。あなたにも検査も特に異常がなければ手術は夕方からにしようと思います。それまではここで体を休めていてください。手術の前に硬膜外麻酔処置をします。これが大体三十分くらいかかると思います。手術自体は開けて見てみないと分かりませんが、一時間から二時間程度を予定しています。

 腹膜炎を併発していたり癒着があっても手術自体は難しいものではありませんので心配をしないで任せてください。手術前に点滴を入れますので動くのに不自由になると思います。動く用事があるのなら今のうちに済ませてください。何か質問はありますか。」

旦那医者は淡々とした口調で説明を終えた。

「特にありません。でも今更この期に及んで動く用事って何なの。外出してもいいのかしら。エステでも行って来ようかしら。」

 ちょっとふざけて質問をしたのだが、旦那医者は以外に真面目で笑いもしないでまた淡々と答えた。

「短い時間、近所ならかまいませんけど今エステやマッサージで体を刺激するのは良くないですね。何か外に用事がありますか。」

そうして真面目に答えられると僕の方も困ってしまった。

「特にありません。よろしくお願いします。」

「じゃあもう点滴を始めてもかまいませんね。」

 旦那医者は電話を取ると点滴バッグを持ってくるように連絡をした。特に広くもない医院の中なのであっという間に点滴バッグが三個僕の目の前に置かれ、またそれこそあっという間に腕に針が刺されて点滴バッグにつながれて僕は自由を制限されてしまった。