すらり氏と入れ替わりに女土方がラウンジに入って来た。そして席に着くと「お疲れ様」とだけ僕に向かって言った。
「相手の人、ゲイだったわ。自分からそう言ったの。事情があって仕方なく見合いを受けたんだって。そう言って謝罪して帰ったわ。でもさわやかですてきな人だったわよ。」
「えっ。」
女土方はちょっと意外な顔をした。
「ホテルの入り口ですれ違ったすらりと背の高い中年の人かな。そう言えばなかなかスマートな人だったかもしれない。」
「ビアンやゲイの人って美男美女が多いのかな。罪よねえ。さあ車を返して東京に帰りましょう。」
僕は荷物を持って立ち上がると駐車場の方向に歩き出した。そしてタクシーを頼んで後についてきてもらうと佐山家に向かった。そして車を戻すと佐山母に一言見合いの結果について報告をした。
「あっさり振られちゃったわ。じゃあまたね、お母さん。元気でね。」
僕はそれだけ言うと「あんた、また何か仕出かしたんでしょう。」なんて調子で喚き立てている佐山母の声を背中に受けながらタクシーに乗り込むと小樽駅に向かった。しかしこの世には同性愛者というのも結構いるものなんだな。売名的なものを除いてこの国ではまだまだ欧米のように表面には出てこないから実態は分からないが、自分がこの体になって以来目の前に出てくる奴等の半分はその類だ。感情の問題はとにかく別に同性愛者が悪いとは思わないが、こんなに多いとも思わなかった。もっとも今の僕も傍から見れば立派な同性愛者なんだろうけど。
“I’m strait!”
僕としてはそう叫びたい気持ちだけどね。
帰りの飛行機の中で黙って雑誌に目を落としていた女土方が顔を上げると僕に向かってぽつりと言った。
「みんな何もないように平然としているけどその内側にはいろいろな問題を抱えているんでしょうね。誰にも口に出して言えないような問題をひっそりと抱えて伸吟しながら何とかしようとしているのかもしれないわね。」
僕は今日出会ったすらり氏のことを思い出した。あの狭い地域社会の中で人と絡み合って生きていかなくてはいけないという境遇の中で一体どうして自分の生き方を探していくのだろう。それも周囲が容易には受け入れそうにない生き方を。
僕にしても複雑な事情を背負って彷徨っている身なので何の力にもなってはやれないのだが、すらり氏が「自分はゲイなので」と言った時の顔が妙に思い出されてならなかった。僕は飛行機の小さな窓から見える地上の明かりに目を落とした。きっとどこかの町なのだろう明かりがかたまって見えるところもあればポツリポツリと点在しているところもあった。その明かり一つ一つがまるでそれぞれ皆違った人の生き方のように見えた。僕はこれまでポツリポツリと点在する明かりのような生き方を好んできたが、これから先この複雑な状況を抱えて一体どうして生きていくのだろう。窓から目を離すと女土方が僕の方を覗き込んでいるのに気がついた
「どうしたの、深刻な顔をして。何か困ったことでもあるの。」
女土方は心配そうに尋ねた。
「ううん、そうじゃないの。あの人のことを思い出して。お見合いの相手の人。自分の生き方を見つけるまで大変じゃないかなと思って。」
「そうね、この国はね、同性愛に関してはまだまだ興味本位と嫌悪が主流だから。」
僕は女土方の手を取って軽く握った。
「ねえ、私たちは一人じゃないから。きっと大丈夫ね。」
女土方はゆっくりと大きく頷いた。
法事も終わり僕たちはまた日々の仕事に明け暮れる毎日に戻って行った。考えてみれば何だか訳の分からないうちにいろいろなことを経験した。どうにもならない運命に翻弄されながらとにかく自己保身を基本に目の前に次から次へと展開される驚愕の出来事に対応して何とか切り抜けてきた。確かにそんな対応の仕方はお互いに好むと好まざるとにかかわらず出会わざるを得なかった相手を翻弄し傷つけることになったかもしれない。でも僕自身も自己保全の瀬戸際で悪戦苦闘を続けた果ての結果なのでそういった人たちには何とかご勘弁いただきたいと思う。
しかし自分のことを棚に上げてこんなことを言うのは気が引けるところもあるが、それにしても誰も何でもないような顔で日々を生活しているようだけれど、その裏では驚くような重荷を背負って呻吟している人たちが何と多いことか。女土方や小樽で出会ったすらり氏にしても勿論のこと、馬の骨氏も新たな女性と浮名を流し、あの総務の女史とアイ・ラブ・恐怖のトライアングルでもめにもめているようだ。しかしこれなどは自業自得と言うのかも知れないが。一つだけ馬の骨氏を擁護すれば彼は女性を惹きつける何かしらの魅力を備えているように思う。ただし引き寄せられた女性をどのように遇するかは個人の力量や資質によるのだろうが。
また気がかりと言えば佐山芳恵は一体どこでどうしているんだろう。それと僕の体はどうなっているのだろう。単純に佐山芳恵が僕の体を占有してそこで出会った運命と呻吟苦闘を続けているのか、それとももっと別の運命を生えているのか僕には見当もつかなかったし今後の先行きはもっと見当がつかなかった。
そうして不安を抱えながら不透明な時間を生きてはいるものの人間というのは環境適応性が旺盛なのか僕自身の個性なのか女生活もそれなりに慣れてきて日常の生活にはさほどの不自由を感じなくなってきていた。勿論目が覚めたら全く知らない人間に、しかも女になっていてその全く知らない人格を出来るだけなぞって生きると言うのは並大抵のことではなかった。それでもどうひっくり返されて調べられても自分が佐山芳恵ではないということを科学的に立証することは不可能だと自覚してからは僕の行動はかなり大胆になった。
元々僕自身個性が薄い類の人間ではないし、その個性を殺すことを最も嫌う人間であった僕としてはなぞることが出来る分の佐山芳恵を演じはしたが、当然のこととは言え彼女の人格をなぞれるところなど多寡が知れていた。だからきっと周囲では佐山芳恵は気が違ったのではないかと思うほどの激変振りだったに違いない。佐山芳恵には気の毒なことをしたところも多分にあったのかもしれないが、しかしそれは僕にとっても同じことだった。それに僕が今の状態で生きていくには他には方法がなかったのも事実だった。そうして開き直ってしまえば当初は多いに戸惑った日常生活もそれなりに板に付いて生きることが出来るようになった。また僕自身にしても最初の頃とは違って傍から見ていても女としての立ち居振る舞い周囲にがさほどの違和感を感じさせなくなってきていたようだったし自分自身も女としての生活をそれほど苦痛とは感じなくなっていた。
「相手の人、ゲイだったわ。自分からそう言ったの。事情があって仕方なく見合いを受けたんだって。そう言って謝罪して帰ったわ。でもさわやかですてきな人だったわよ。」
「えっ。」
女土方はちょっと意外な顔をした。
「ホテルの入り口ですれ違ったすらりと背の高い中年の人かな。そう言えばなかなかスマートな人だったかもしれない。」
「ビアンやゲイの人って美男美女が多いのかな。罪よねえ。さあ車を返して東京に帰りましょう。」
僕は荷物を持って立ち上がると駐車場の方向に歩き出した。そしてタクシーを頼んで後についてきてもらうと佐山家に向かった。そして車を戻すと佐山母に一言見合いの結果について報告をした。
「あっさり振られちゃったわ。じゃあまたね、お母さん。元気でね。」
僕はそれだけ言うと「あんた、また何か仕出かしたんでしょう。」なんて調子で喚き立てている佐山母の声を背中に受けながらタクシーに乗り込むと小樽駅に向かった。しかしこの世には同性愛者というのも結構いるものなんだな。売名的なものを除いてこの国ではまだまだ欧米のように表面には出てこないから実態は分からないが、自分がこの体になって以来目の前に出てくる奴等の半分はその類だ。感情の問題はとにかく別に同性愛者が悪いとは思わないが、こんなに多いとも思わなかった。もっとも今の僕も傍から見れば立派な同性愛者なんだろうけど。
“I’m strait!”
僕としてはそう叫びたい気持ちだけどね。
帰りの飛行機の中で黙って雑誌に目を落としていた女土方が顔を上げると僕に向かってぽつりと言った。
「みんな何もないように平然としているけどその内側にはいろいろな問題を抱えているんでしょうね。誰にも口に出して言えないような問題をひっそりと抱えて伸吟しながら何とかしようとしているのかもしれないわね。」
僕は今日出会ったすらり氏のことを思い出した。あの狭い地域社会の中で人と絡み合って生きていかなくてはいけないという境遇の中で一体どうして自分の生き方を探していくのだろう。それも周囲が容易には受け入れそうにない生き方を。
僕にしても複雑な事情を背負って彷徨っている身なので何の力にもなってはやれないのだが、すらり氏が「自分はゲイなので」と言った時の顔が妙に思い出されてならなかった。僕は飛行機の小さな窓から見える地上の明かりに目を落とした。きっとどこかの町なのだろう明かりがかたまって見えるところもあればポツリポツリと点在しているところもあった。その明かり一つ一つがまるでそれぞれ皆違った人の生き方のように見えた。僕はこれまでポツリポツリと点在する明かりのような生き方を好んできたが、これから先この複雑な状況を抱えて一体どうして生きていくのだろう。窓から目を離すと女土方が僕の方を覗き込んでいるのに気がついた
「どうしたの、深刻な顔をして。何か困ったことでもあるの。」
女土方は心配そうに尋ねた。
「ううん、そうじゃないの。あの人のことを思い出して。お見合いの相手の人。自分の生き方を見つけるまで大変じゃないかなと思って。」
「そうね、この国はね、同性愛に関してはまだまだ興味本位と嫌悪が主流だから。」
僕は女土方の手を取って軽く握った。
「ねえ、私たちは一人じゃないから。きっと大丈夫ね。」
女土方はゆっくりと大きく頷いた。
法事も終わり僕たちはまた日々の仕事に明け暮れる毎日に戻って行った。考えてみれば何だか訳の分からないうちにいろいろなことを経験した。どうにもならない運命に翻弄されながらとにかく自己保身を基本に目の前に次から次へと展開される驚愕の出来事に対応して何とか切り抜けてきた。確かにそんな対応の仕方はお互いに好むと好まざるとにかかわらず出会わざるを得なかった相手を翻弄し傷つけることになったかもしれない。でも僕自身も自己保全の瀬戸際で悪戦苦闘を続けた果ての結果なのでそういった人たちには何とかご勘弁いただきたいと思う。
しかし自分のことを棚に上げてこんなことを言うのは気が引けるところもあるが、それにしても誰も何でもないような顔で日々を生活しているようだけれど、その裏では驚くような重荷を背負って呻吟している人たちが何と多いことか。女土方や小樽で出会ったすらり氏にしても勿論のこと、馬の骨氏も新たな女性と浮名を流し、あの総務の女史とアイ・ラブ・恐怖のトライアングルでもめにもめているようだ。しかしこれなどは自業自得と言うのかも知れないが。一つだけ馬の骨氏を擁護すれば彼は女性を惹きつける何かしらの魅力を備えているように思う。ただし引き寄せられた女性をどのように遇するかは個人の力量や資質によるのだろうが。
また気がかりと言えば佐山芳恵は一体どこでどうしているんだろう。それと僕の体はどうなっているのだろう。単純に佐山芳恵が僕の体を占有してそこで出会った運命と呻吟苦闘を続けているのか、それとももっと別の運命を生えているのか僕には見当もつかなかったし今後の先行きはもっと見当がつかなかった。
そうして不安を抱えながら不透明な時間を生きてはいるものの人間というのは環境適応性が旺盛なのか僕自身の個性なのか女生活もそれなりに慣れてきて日常の生活にはさほどの不自由を感じなくなってきていた。勿論目が覚めたら全く知らない人間に、しかも女になっていてその全く知らない人格を出来るだけなぞって生きると言うのは並大抵のことではなかった。それでもどうひっくり返されて調べられても自分が佐山芳恵ではないということを科学的に立証することは不可能だと自覚してからは僕の行動はかなり大胆になった。
元々僕自身個性が薄い類の人間ではないし、その個性を殺すことを最も嫌う人間であった僕としてはなぞることが出来る分の佐山芳恵を演じはしたが、当然のこととは言え彼女の人格をなぞれるところなど多寡が知れていた。だからきっと周囲では佐山芳恵は気が違ったのではないかと思うほどの激変振りだったに違いない。佐山芳恵には気の毒なことをしたところも多分にあったのかもしれないが、しかしそれは僕にとっても同じことだった。それに僕が今の状態で生きていくには他には方法がなかったのも事実だった。そうして開き直ってしまえば当初は多いに戸惑った日常生活もそれなりに板に付いて生きることが出来るようになった。また僕自身にしても最初の頃とは違って傍から見ていても女としての立ち居振る舞い周囲にがさほどの違和感を感じさせなくなってきていたようだったし自分自身も女としての生活をそれほど苦痛とは感じなくなっていた。