食事を終えるとチェックアウトの準備を始めた。取り敢えず荷物は車に入れておいて女土方は街に出てみると言うので少し時間が早かったことから僕も一緒に外に出てみようかと思ったが、観光パンフレットを見てもどうも運河以外にはこれと言ったものもないようなのでホテルで時間まで待つことにした。
荷物をと言っても特に大掛かりな荷物があった訳ではないが、取り敢えずバッグに詰め込んでいるといきなり女土方に声をかけられた。
「ねえ、どのくらいで終わるの。」
見合いの話だろうが、どのくらいかかるかなんてことは何とも言えなかった。
「さあ一時間かそんなものじゃない。もう少しかかるのかな。とにかく早く終わらせるわ。」
「じゃあそのくらい見て戻ってくるわ。荷物はフロントに預けていくから。」
そう言い残すと女土方はバッグを手に持って部屋から出て行った。僕は一人残されたが、特に慌てることもなく荷物をまとめ終わると部屋を出てロビーに降りた。フロントで清算を済ませてからラウンジに入った。もう慣れた場所だった。飲み物を注文するとバッグから本を取り出して読み始めた。約束の時間まではまだ少し間があった。しばらく本に目を落としていると人の気配を感じて振り返った。そこにすらりと背の高い品の良さそうな中年男性が立っていた。
「佐山さんですか。」
すらり氏は僕に声をかけてきた。どうもこの男が見合いの相手らしい。
「はい、今日はお忙しいところをわざわざありがとうございます。」
「こちらこそすみません。法事で帰省されたところをお邪魔して。」
すらり氏は注文を取りに来たウエイターにコーヒーを注文すると席に着いた。僕もすらり氏が座るのを待って今まで座っていた椅子に腰を下ろした。僕はここですらり氏の様子が少しおかしいのに気がついた。僕自身も以前にいろいろな理由から何度か見合いをしたことがあるが、大体男なんてものは見合いなんぞした日には獲物を狙う肉食獣のように相手から目を離さないものなのだ。
それがさりげなくそうしようがぎらぎらしながら孔の開くほど見つめようが、とにかく興味津々の態で相手を注視しているものなのだ。それが男という生え物の性なのだ。それは女にしても同じことで目を伏せながらそれでも見るところはしっかりと見ているものなのだ。
ところがこのすらり氏にはそう言うぎらぎらが全く感じられなかった。密かにうかがうという風情すら全くなく淡々と言うか冷め切っていると言うかとにかく異性に対する欲望のようなものがこのすらり氏からは全く感じられなかった。その辺に勘が働くようになったのは女土方のおかげなのか、それとも潜在意識下に残っているのかもしれない女の本能なのかそれは見当もつかなかった。
お互いに席について自己紹介だけするとしばらくは黙っていたが、黙っていても現状打開には至らないと意を決して僕の方から口を開いた。
「あの、私、あなたに話しておきたいことが。」
僕が口を開こうとするとすらり氏に遮られた。
「いや、まず僕の話を先に聞いてください。そうでないとあなたに対して失礼になるから。」
そうしてすらり氏は一旦言葉を切って「今の世の中じゃあ行儀が悪いかも知れませんけど失礼します。」と言うとタバコに火を点けてからコーヒーを飲み込んだ。
「まずこのお話はなかったことにさせていただきたいのです。こちらからお願いしたような形でこんなことを言い出すのは誠に申し訳ないのですが。」
すらり氏は本当に申し訳なさそうな表情でそう言った。僕にとっては断られることはむしろ幸いで自分が嫌なことを言い出さなくてはいけないという手間が省けたのだから万歳を叫びたいほど大喜びだった。
「そうですか。よく分かりました。」
まさか「それはこちらにとっても万々歳です。」と言うわけにもいかないからちょっと伏し目がちにそう答えておいた。
「それでその理由をあなたにお話しますから聞いていただきたいのですが、よろしいでしょうか。わざわざお一人でここにお出でいただいたのはそのためだったのですが、今の今まで話したほうが良いものかどうか迷っていました。でも今日あなたに会ってみて話しておかなくてはいけないと思いました。きっと不快に思われるでしょうけど、どうか僕の言うことを聞いていただきたいのです。」
すらり氏はかなり真顔だった。僕は最初に会った時の異性に淡々とし過ぎたすらり氏の表情を思い浮かべた。それで何となくそっちの方のことかなと思いついた。僕の感を追いかけるようにすらり氏の口からその言葉が語られた。
「僕は、その、女性に興味が持てない男なんです。いきなりこんなことを申し上げるのは本当に驚かれたでしょうし、それを分かっていてあなたにお会いするなんてことは失礼に失礼を重ねる行為だということはよく承知していましたが、この狭い町で人とかかわりながら生業を立てている身なのでどうしてもお断りできない訳がありまして本当に申し訳ありませんでした。」
あまりのすらり氏の真摯な態度に僕の方が恐縮してしまった。
「そんなことありません。実は私の方も東京で仕事を持っていてこんな話をお受けできる立場ではなかったのですが、私にもいろいろ事情がありましたので。」
「そうですか。そう言っていただけると僕の方も少しは気が楽になります。」
すらり氏は少し口元を緩めて微笑んだ。
「以前周囲の勧めでどうしても断りきれずに結婚もしましたが、どうしても妻との生活になじめず離婚し
てしまいました。妻には申し訳ないことをしたと思っていますが、その頃は自分の真実をつかみかねていたような状態で結婚すればそれなりに何とかなるかもしれないなんていう甘い見通しを持っていました。
最近やっと自分が何を求めていたのか分かりようになりましたが、僕にもこの地域社会で人とかかわりあって生えていかなければいけないし、また周囲に対しての責任もありますのでもうしばらくは自分を殺して生きなくてはいけなそうです。でも何時かそう長くはないでしょうけど自分の人生を思い切り生きてみたいと思っています。
そんな訳であなたには迷惑をかけてしまいましたが、許してやってください。それからいきなり変な話を聞かされてさぞ驚かれたし、また気分を害されたでしょう。改めてお詫びします。」
すらり氏は要するに「自分はゲイだから女性は愛せない。ただこの狭い世界で商売をしながら会社を維持して生きていくためには自分を曲げなくてはいけないこともある。そのことで迷惑をかけたがそれは曲げて許して欲しい。」と言いたかったようだった。
ずい分言い難いことだろうし、また無闇に口にすべきことではないのかも知れないが、すらり氏がどうしてこんなことを僕に話したのかその真意は僕には分からなかった。
「いやあこんなことを話していいのかどうかずっと迷っていたんですが、あなたを見た瞬間この人には話さなくてはいけないというかきっと自分の思うところをきちんと受け止めてもらえると思いました。うまくは言えないんですが、あなたにはどこかしら通じるものを感じたんです。いえ決して変な意味ではなくて人としてということです。もっと違ったかたちで出会っていればきっと僕にとって良い知人でいてもらえたかもしれません。」
通じるものと言えばそれはお互いに男だからそうだろう。しかし同性愛者の人権を擁護する団体じゃあるまいし、そんなに同性愛者ばかり出てこられてもこっちも困ってしまう。他の形と言ってもこれ以外の出会い方なんてあるものか。こんなかたちで出会ったこと自体が奇跡以上のことなのだから。それにしてもこの手の人種は女土方にしてもすらり氏にしてもその種の感覚が鋭いのだろうか。どこか僕の真実の姿をそれとなく感じているように思えた。
「人にはそれぞれ感じ方や考え方、生き方に個人のスタイルがあってもいいのだと思います。どう生きるか、何を求めるか、何を愛するかと言うこともそれはその人の個人的な問題で他人がとやかく言うべきことではないと思います。今日はあなたが私に本当のことを話してくださったことをとても感謝しています。そして何時かあなたの思いが通じることを祈っています。今日は本当にありがとうございました。」
同性愛攻めに遭っていたからと言って僕がすらり氏にお礼を言ったのは決してお世辞ではなかった。取り扱い方によってはどろどろと澱んだ救いようのない暗い話題になりかねないことをさらりと言ってのけ自分の本当の姿を打ち明けた上でそうせざるを得なかったと話したすらり氏には好感が持てた。
「では長くお邪魔しても意味がないのでこれで失礼します。間に入ってくださった方には僕の方からそれとなく話しておきます。あなたには決してご迷惑はかけませんから。」
すらり氏はそう言うと立ち上がってラウンジを出て行った。僕は立ったままその後姿を見送っていた。きっとすらり氏も本当の自分にたどり着くまで苦闘を続けるのだろう。もっともそれは何も特別な境遇を背負った人だけに与えられた試練ではないのかもしれないが。
荷物をと言っても特に大掛かりな荷物があった訳ではないが、取り敢えずバッグに詰め込んでいるといきなり女土方に声をかけられた。
「ねえ、どのくらいで終わるの。」
見合いの話だろうが、どのくらいかかるかなんてことは何とも言えなかった。
「さあ一時間かそんなものじゃない。もう少しかかるのかな。とにかく早く終わらせるわ。」
「じゃあそのくらい見て戻ってくるわ。荷物はフロントに預けていくから。」
そう言い残すと女土方はバッグを手に持って部屋から出て行った。僕は一人残されたが、特に慌てることもなく荷物をまとめ終わると部屋を出てロビーに降りた。フロントで清算を済ませてからラウンジに入った。もう慣れた場所だった。飲み物を注文するとバッグから本を取り出して読み始めた。約束の時間まではまだ少し間があった。しばらく本に目を落としていると人の気配を感じて振り返った。そこにすらりと背の高い品の良さそうな中年男性が立っていた。
「佐山さんですか。」
すらり氏は僕に声をかけてきた。どうもこの男が見合いの相手らしい。
「はい、今日はお忙しいところをわざわざありがとうございます。」
「こちらこそすみません。法事で帰省されたところをお邪魔して。」
すらり氏は注文を取りに来たウエイターにコーヒーを注文すると席に着いた。僕もすらり氏が座るのを待って今まで座っていた椅子に腰を下ろした。僕はここですらり氏の様子が少しおかしいのに気がついた。僕自身も以前にいろいろな理由から何度か見合いをしたことがあるが、大体男なんてものは見合いなんぞした日には獲物を狙う肉食獣のように相手から目を離さないものなのだ。
それがさりげなくそうしようがぎらぎらしながら孔の開くほど見つめようが、とにかく興味津々の態で相手を注視しているものなのだ。それが男という生え物の性なのだ。それは女にしても同じことで目を伏せながらそれでも見るところはしっかりと見ているものなのだ。
ところがこのすらり氏にはそう言うぎらぎらが全く感じられなかった。密かにうかがうという風情すら全くなく淡々と言うか冷め切っていると言うかとにかく異性に対する欲望のようなものがこのすらり氏からは全く感じられなかった。その辺に勘が働くようになったのは女土方のおかげなのか、それとも潜在意識下に残っているのかもしれない女の本能なのかそれは見当もつかなかった。
お互いに席について自己紹介だけするとしばらくは黙っていたが、黙っていても現状打開には至らないと意を決して僕の方から口を開いた。
「あの、私、あなたに話しておきたいことが。」
僕が口を開こうとするとすらり氏に遮られた。
「いや、まず僕の話を先に聞いてください。そうでないとあなたに対して失礼になるから。」
そうしてすらり氏は一旦言葉を切って「今の世の中じゃあ行儀が悪いかも知れませんけど失礼します。」と言うとタバコに火を点けてからコーヒーを飲み込んだ。
「まずこのお話はなかったことにさせていただきたいのです。こちらからお願いしたような形でこんなことを言い出すのは誠に申し訳ないのですが。」
すらり氏は本当に申し訳なさそうな表情でそう言った。僕にとっては断られることはむしろ幸いで自分が嫌なことを言い出さなくてはいけないという手間が省けたのだから万歳を叫びたいほど大喜びだった。
「そうですか。よく分かりました。」
まさか「それはこちらにとっても万々歳です。」と言うわけにもいかないからちょっと伏し目がちにそう答えておいた。
「それでその理由をあなたにお話しますから聞いていただきたいのですが、よろしいでしょうか。わざわざお一人でここにお出でいただいたのはそのためだったのですが、今の今まで話したほうが良いものかどうか迷っていました。でも今日あなたに会ってみて話しておかなくてはいけないと思いました。きっと不快に思われるでしょうけど、どうか僕の言うことを聞いていただきたいのです。」
すらり氏はかなり真顔だった。僕は最初に会った時の異性に淡々とし過ぎたすらり氏の表情を思い浮かべた。それで何となくそっちの方のことかなと思いついた。僕の感を追いかけるようにすらり氏の口からその言葉が語られた。
「僕は、その、女性に興味が持てない男なんです。いきなりこんなことを申し上げるのは本当に驚かれたでしょうし、それを分かっていてあなたにお会いするなんてことは失礼に失礼を重ねる行為だということはよく承知していましたが、この狭い町で人とかかわりながら生業を立てている身なのでどうしてもお断りできない訳がありまして本当に申し訳ありませんでした。」
あまりのすらり氏の真摯な態度に僕の方が恐縮してしまった。
「そんなことありません。実は私の方も東京で仕事を持っていてこんな話をお受けできる立場ではなかったのですが、私にもいろいろ事情がありましたので。」
「そうですか。そう言っていただけると僕の方も少しは気が楽になります。」
すらり氏は少し口元を緩めて微笑んだ。
「以前周囲の勧めでどうしても断りきれずに結婚もしましたが、どうしても妻との生活になじめず離婚し
てしまいました。妻には申し訳ないことをしたと思っていますが、その頃は自分の真実をつかみかねていたような状態で結婚すればそれなりに何とかなるかもしれないなんていう甘い見通しを持っていました。
最近やっと自分が何を求めていたのか分かりようになりましたが、僕にもこの地域社会で人とかかわりあって生えていかなければいけないし、また周囲に対しての責任もありますのでもうしばらくは自分を殺して生きなくてはいけなそうです。でも何時かそう長くはないでしょうけど自分の人生を思い切り生きてみたいと思っています。
そんな訳であなたには迷惑をかけてしまいましたが、許してやってください。それからいきなり変な話を聞かされてさぞ驚かれたし、また気分を害されたでしょう。改めてお詫びします。」
すらり氏は要するに「自分はゲイだから女性は愛せない。ただこの狭い世界で商売をしながら会社を維持して生きていくためには自分を曲げなくてはいけないこともある。そのことで迷惑をかけたがそれは曲げて許して欲しい。」と言いたかったようだった。
ずい分言い難いことだろうし、また無闇に口にすべきことではないのかも知れないが、すらり氏がどうしてこんなことを僕に話したのかその真意は僕には分からなかった。
「いやあこんなことを話していいのかどうかずっと迷っていたんですが、あなたを見た瞬間この人には話さなくてはいけないというかきっと自分の思うところをきちんと受け止めてもらえると思いました。うまくは言えないんですが、あなたにはどこかしら通じるものを感じたんです。いえ決して変な意味ではなくて人としてということです。もっと違ったかたちで出会っていればきっと僕にとって良い知人でいてもらえたかもしれません。」
通じるものと言えばそれはお互いに男だからそうだろう。しかし同性愛者の人権を擁護する団体じゃあるまいし、そんなに同性愛者ばかり出てこられてもこっちも困ってしまう。他の形と言ってもこれ以外の出会い方なんてあるものか。こんなかたちで出会ったこと自体が奇跡以上のことなのだから。それにしてもこの手の人種は女土方にしてもすらり氏にしてもその種の感覚が鋭いのだろうか。どこか僕の真実の姿をそれとなく感じているように思えた。
「人にはそれぞれ感じ方や考え方、生き方に個人のスタイルがあってもいいのだと思います。どう生きるか、何を求めるか、何を愛するかと言うこともそれはその人の個人的な問題で他人がとやかく言うべきことではないと思います。今日はあなたが私に本当のことを話してくださったことをとても感謝しています。そして何時かあなたの思いが通じることを祈っています。今日は本当にありがとうございました。」
同性愛攻めに遭っていたからと言って僕がすらり氏にお礼を言ったのは決してお世辞ではなかった。取り扱い方によってはどろどろと澱んだ救いようのない暗い話題になりかねないことをさらりと言ってのけ自分の本当の姿を打ち明けた上でそうせざるを得なかったと話したすらり氏には好感が持てた。
「では長くお邪魔しても意味がないのでこれで失礼します。間に入ってくださった方には僕の方からそれとなく話しておきます。あなたには決してご迷惑はかけませんから。」
すらり氏はそう言うと立ち上がってラウンジを出て行った。僕は立ったままその後姿を見送っていた。きっとすらり氏も本当の自分にたどり着くまで苦闘を続けるのだろう。もっともそれは何も特別な境遇を背負った人だけに与えられた試練ではないのかもしれないが。