女土方が車から降りてドアを開けてやるとその老夫婦は車に乗り込んで来た。そして座るが早いかしゃべり始めた。だからしらばくれて車を出してしまえばよかったんだ。

「芳恵ちゃん、ごめんなさいね。この車とあなたの姿を見たら懐かしくてねえ。義孝ご自慢のあなたと車ですものねえ。」

 ばあさんがそう話し始めた時にどうもこいつらは佐山父の兄弟のようだと思った。まあ車は購入した時はそれなりに高級車と言えたのかも知れないが、自慢の娘は入れ物だけ残して何処かに行ってしまって今は本人も何処の誰か分からない男に入れ替わってしまっていることはご存知あるまい。それにしてもこの爺さん婆さん車に乗るが早いか「芳恵ちゃんも立派になって。義孝もさぞ喜んでいるでしょうね。今度はもう一度家庭を持っていいお子さんを育てて・・・。」が始まった。他に話すことはないのかい。

 僕は「はいはい」とか「ええ」とかいい加減な生返事ばかりしていたが、その生返事も相手の会話と合わずにちぐはぐなようで女土方も時々僕の顔を覗き込むようにして様子を見ているようだった。だんだんと追い詰められた僕は一計を案じた。

 ちょっとしたカーブで車を振ってから強めにブレーキを踏んだ。みんなが「あっ」と声を上げた時に「運転に集中しないと危ないわね。」と一言言ってやった。これは効果覿面だったようでその後は全員が黙り込んだ。こうしてしばらくは静かに運転を続けていたが、突然ばあ様が「道が違う」と言い出した。ナビに従っているんだから間違うはずはないと思ったが、どうもナビが指示する道路と地元の人が使う道路が違っていたようだった。「運転に慣れていないので分かり易い道を通るの。」と言い訳をしたが、今度は女土方が怪訝な顔をした。それも無理はない。車の運転にはそれ相応に慣れていることは何度も見せつけていたのだから。

 何となくちぐはぐな雰囲気のまま車は会場へと滑り込んだ。女性が苦手と言う車庫入れも鼻歌交じりで軽々とやってのけてどこが運転に慣れていないのかという風情だったが、それも愛嬌と言うことで許してもらおう。

 会場に入るとお客はもう大方席についていた。席についても主催が挨拶をしないと始まらない。僕はそそくさと席につくと周りを見回した。

「それではよろしいでしょうか。皆さんもう席にお着きですか。」

 しばらく間を置いて特に何も反応がないことを確認すると僕は挨拶を始めた。

「皆様、本日はお忙しいところ父とそして私共のためにお集まりいただきましてありがとうございました。佐山家を代表いたしまして、また亡き父に代わりまして厚くお礼申し上げます。

 父が亡くなりましてからともすれば悲しみに打ちのめされ挫けそうになりがちな私共を暖かく支えていただき、お蔭様で今日までこうして穏やかに生活を続けることが出来ました。そして今日また皆様とご一緒に父を偲ぶことが出来ましたことは私共にとってこの上もない幸せな一時でございました。また今日皆様にお会い出来たことを誰よりも喜んでいるのは父かも知れません。

 皆様のご好意に私共は何のお礼も出来ませんが、せめてもの心尽くしに粗宴ではございますが用意させていただきましたのでお時間の許す限りお寛ぎいただき父の話など伺いたいと思います。本日は誠にありがとうございました。佐山家を代表いたしまして皆様に重ねて御礼申し上げます。」

 即興にしては、そして何の縁もゆかりもない他人様の法事にしては上出来だと自惚れていた。その後親族代表の献杯があったが、何と献杯の音頭を取ったのは車に乗せて来た爺さんだった。どうやら死んだ佐山父の長兄ということだった。

 宴会が始まると僕は自分の席を立って参加者一人一人にお酌をして挨拶に回った。ここでも挨拶は「お忙しいところ、ありがとうございました。」「これからもよろしくお願いいたします。」が会話の基本で少しでも込み入った方向に話しが伸びて繋がらなくなりそうなら笑顔で離脱が行動の原則だった。

 一回りするうちにはお互いに首を傾げるようなこともなくはなかったが、大きな齟齬もなく何とか乗り切ったと自分では満足していた。しかし何で日本人は他人の身の上話が好きなんだろう。共同体が基本の社会構造だからその構成員の身の上に興味を示すんだろうか。

 宴席が終わって帰るお客を送り出してから用意してもらった折り詰めを持ってお寺に向かった。途中女土方に挨拶を褒められた。ほろりとするような感動的な挨拶で目頭を拭っていた人も何人かいたと女土方はそう言った。挨拶に回った時に同じことを言っていたのが何人かいたが、僕には女土方に褒められたのが何だかうれしかった。

 住職への挨拶が済んで佐山家に寄ろうと思ったが、ちょっと困ったことが起こった。佐山家の所在がよく分からなくなってしまったのだ。しばらくカーナビをいじってみたが、自宅登録はしていないらしくそれらしい目印は見つからなかった。女土方はさすがに怪訝な顔をして見つめているので何時までもこうして探しているわけにも行かず来た時の記憶を辿って車を発進させた。

 朝里川の護岸に出てしばらく走ってからまた左に折れて住宅街に入り、その奥の方が佐山家だったが、その左に折れる場所がどこなのか皆目見当が付かなかった。困ったと思いながら護岸の上に作られた道路を走っていると女土方が「この先二つ目の角を左だったわね。」と呟いた。僕は「えっ」と声を上げて女土方の顔を見てしまったが、促されて曲がってみると確かに見たことのある住宅街がそこにあった。そこから先は女土方の指示に従って運転したおかげで僕たちは無事に佐山家に戻りつくことが出来た。

 佐山母や弟君そして弟君の近未来の連れ合いに挨拶をすると腰を落ち着けることもなしに実家から逃走を図った。それでも車だけはしっかりと明日の午後まで借りることにした。玄関を出る時に佐山母が「明日はちょうどお昼に先方様がホテルのレストランに行くと言うことだから先に行って待っているのよ。逃げ出したりしたら親子の縁を切るわよ。いいわね。」と念押しの脅迫めいたことを口にした。

「親子の縁なんてものはな、もうとっくに切れてるんだよ。」

 僕もそう言って脅し返してやろうかと思ったが、これも人間関係を著しく損ないかねない極めて穏当を欠く言動であることから「大丈夫、分かってます。」と明るく答えて佐山家を後にした。