僕は一足先に起き出してキッチンで夕食の支度を始めた。勝手に使っても良いものかどうかちょっと考えたが、まあ泊まってくれと招かれたんだからかまうまいと都合が良いように解釈した。
今日はステーキとサラダ、それに果物というあまり手のかからないものを選んだのであまり手は掛からない。まず肉に塩胡椒をしておいて野菜を適当に刻み始めたところに女土方が降りて来た。
「勝手に使わせてもらってごめんなさい。あなた、良く休んでいたから起こすのが気の毒で。」
女土方は髪をゴムで止め直すと首を大きく二、三回振った。
「ねえ、あなた、本当に初めてなの。驚いたわ、あんなに。」
「もちろんあなたが初めてよ。すてきだったわ。」
これは若干内容に省略があって「女の体になってしまってから女を抱くのはあなたが初めてよ。」と言うのが正確な言い方だが、基本的には嘘はないし、まあ許容範囲ということでいいだろう。
「ねえ、あなたはもうずい分経験があるの。こういうこと。」
僕はまだ虚脱状態が続いている様子でソファに座り込んでいる女土方に聞いてみた。
「そうね、それはもちろんこれが初めてじゃないけどそんなにたくさん経験を積んできているわけでもないの。この世界は狭い世界で込み入った事情が色々あるのよね。良い男性と知り合うのも大変だけどこの世界で自分に合ったいい女性と知り合うのは本当に難しいわ。」
「そうなんだ、知らなかったわ。良い人とめぐり合うのは狭き門というか難しいのね。ねえ、ここにある食器を借りてもいい。盛り付けをしたいの。」
僕がそう言うと女土方はようやく立ち上がってキッチンに入って来た。
「ごめんなさいね、食事の支度までみんなあなたにしてもらって。どうぞここにあるのを使って。どれでもいいわ。」
女土方は食器棚の戸を開いてくれた。料理はステーキと合わせに使うフレンチフライ、サラダとスライスした果物のヨーグルト添えでごまかしてしまった。女の食事もこんなものだろう。
「料理は苦手だからあまり作らないの。」と言いながら僕が作ったものを喜んで食べている女土方にビアンの世界のことを聞いてみた。
「興味本位の世界とは違って女同士の関係って男と女の関係よりもずっと複雑なの。限られた狭い世界だし、それにみんな嫉妬深いからね。だから面白半分どころか真面目な関係でも経験を積むのは難しいのよ。」
「それで私のような素人に手を伸ばしたの。」
僕はちょっと意地悪い質問をしてやった。
「違うのよ、あなたのことを見ていて好きになったのよ、特にここ半月くらい。あの時遅い時間に更衣室に入って行ったあなたを見てどうしようもなくなってしまってあんなことしてしまったけどごめんなさいね。驚いたでしょう。」
女土方は皿の上でバナナのスライスをフォークで転がしながら小さな声でそう言った。
「あの時は本当に驚いたわ。あんなこと生まれて初めてだったから。でもあなたってかわいい人ね。会社ではどうしてあんなに冷淡を装っているの。」
「別にそういうわけじゃないのよ。私は職場では良い仕事をして良い商品を出したいだけなの。だって職場は仲良しクラブじゃないんだしね。それに私の査定のこと皆いろいろ言うけど何でも無闇にお金をかければいいてものでもないでしょう。
お金をかけなくてはいけないことにはそうしているつもりよ。でも商品を開発するのにはコスト管理もとても大事だと思うの。競争力のある商品っていうのは内容だけじゃなくてコストも大事でしょう。内容はあなたたちが考えることだけどコスト管理は私の仕事だから。
私はコスト管理という方法であなたたちと共同作業をしているつもりよ。そんな意地悪なんかしているつもりはないわ。」
女土方が言うことはもっともなことだった。ものを作る側としては良いものを作ることはつまりは金をかけることと短絡的に思い込んでしまうところがないわけではない。確かに安直に良いものを作ろうとするには金をかけることが一番だけれどそれでは商品として競争力という点でひけを取ってしまうのは間違いなかった。
女土方は外見とは違ってとてもかわいい女だった。杓子定規だとか融通が利かないとか冷淡だとか言うのは彼女の本当の姿を知らないからだと思ったが、同時に女土方自身が周囲に理解してもらおうという努力を欠いていることも確かだった。これについては僕自身も人のことは言えないが。
「ねえ、あのね、あなたは何時頃から、その、つまり女性に興味を持ち始めたの。」
「さあ何時ごろだったかしら。思春期にはもうそうだったわ。異性よりも同姓の方に惹かれていたわ。でも男の人とも付き合ったことあるのよ、就職してすぐの頃に。周りの事情とかいろいろな意味でそうしなきゃいけないと思って。だから我慢したんだけどどうしてもだめだったわ。何回目かの時相手の男の人を突き飛ばして逃げ出したわ。
相手の人には本当に気の毒なことをしたと思うけど自分でもどうしようもなかった。それからね、いろいろ考えたの。自分なりに悩んだわ。だって普通の女としての生活を諦めることでしょう。結局辿り着いた結論は自分の思うことに素直に生きようという当たり前と言えば当たり前の結論だったわ。
私のことみんな冷淡だとか融通が利かない堅物とか言っているでしょう。仕事に精一杯かけようという思いもあるんだけど近寄られたら困る人たちが近寄ってこないようにという思いもあるのよ。せっかく私に好意を持ってもらっても私にはその好意には答えられないから。
でもあなたに会えてよかった。あなたと一緒にいると本当に落ち着くわ。私ね、ここ一月くらいのあなたの変わり方には本当に目を瞠るような思いだったの。仕事もそうだしあんなに夢中だったのに総務のあの人をあっさり袖にしたりして。でも当たり前のことなんだけど私の方なんて振り向いてもくれなかったから。
あなたはあの時更衣室で私がどうしてあんなに大胆なことをしたのかと言うけど私は私の思いを伝えたかったの。確信というほどじゃなかったけど何となくあなたは受け入れてくれるんじゃないかと思ったわ。」
『いきなり抱きついてきて有無を言わせずに唇を奪ったのだから受け入れるも何もあったものじゃないじゃないか。それに僕が佐山芳恵に間借りするようになってから好きになったのなら男を好きになったも同じことなのだから別にビアンでもなんでもなく普通じゃないか。』
僕は心の中で女土方にそう言ってやった。
「でもさっきのあなたには驚いたわ。何だか男の人のようだった。あなたが男と入れ替わったって本当じゃないかと思ったけどあなたは正真正銘の女だったし、あり得ないわよねえ。でもそんなことはもうどうでもいいわ。今は私のそばにいてくれるんだし。美味しいものもたくさん食べたし。」
女土方は「久しぶりに楽しくて食べ過ぎてこんなに膨れちゃったわ。」と言うとお腹を軽く叩いて見せた。そんな女土方の仕種が何とも言えずかわいらしかった。
今日はステーキとサラダ、それに果物というあまり手のかからないものを選んだのであまり手は掛からない。まず肉に塩胡椒をしておいて野菜を適当に刻み始めたところに女土方が降りて来た。
「勝手に使わせてもらってごめんなさい。あなた、良く休んでいたから起こすのが気の毒で。」
女土方は髪をゴムで止め直すと首を大きく二、三回振った。
「ねえ、あなた、本当に初めてなの。驚いたわ、あんなに。」
「もちろんあなたが初めてよ。すてきだったわ。」
これは若干内容に省略があって「女の体になってしまってから女を抱くのはあなたが初めてよ。」と言うのが正確な言い方だが、基本的には嘘はないし、まあ許容範囲ということでいいだろう。
「ねえ、あなたはもうずい分経験があるの。こういうこと。」
僕はまだ虚脱状態が続いている様子でソファに座り込んでいる女土方に聞いてみた。
「そうね、それはもちろんこれが初めてじゃないけどそんなにたくさん経験を積んできているわけでもないの。この世界は狭い世界で込み入った事情が色々あるのよね。良い男性と知り合うのも大変だけどこの世界で自分に合ったいい女性と知り合うのは本当に難しいわ。」
「そうなんだ、知らなかったわ。良い人とめぐり合うのは狭き門というか難しいのね。ねえ、ここにある食器を借りてもいい。盛り付けをしたいの。」
僕がそう言うと女土方はようやく立ち上がってキッチンに入って来た。
「ごめんなさいね、食事の支度までみんなあなたにしてもらって。どうぞここにあるのを使って。どれでもいいわ。」
女土方は食器棚の戸を開いてくれた。料理はステーキと合わせに使うフレンチフライ、サラダとスライスした果物のヨーグルト添えでごまかしてしまった。女の食事もこんなものだろう。
「料理は苦手だからあまり作らないの。」と言いながら僕が作ったものを喜んで食べている女土方にビアンの世界のことを聞いてみた。
「興味本位の世界とは違って女同士の関係って男と女の関係よりもずっと複雑なの。限られた狭い世界だし、それにみんな嫉妬深いからね。だから面白半分どころか真面目な関係でも経験を積むのは難しいのよ。」
「それで私のような素人に手を伸ばしたの。」
僕はちょっと意地悪い質問をしてやった。
「違うのよ、あなたのことを見ていて好きになったのよ、特にここ半月くらい。あの時遅い時間に更衣室に入って行ったあなたを見てどうしようもなくなってしまってあんなことしてしまったけどごめんなさいね。驚いたでしょう。」
女土方は皿の上でバナナのスライスをフォークで転がしながら小さな声でそう言った。
「あの時は本当に驚いたわ。あんなこと生まれて初めてだったから。でもあなたってかわいい人ね。会社ではどうしてあんなに冷淡を装っているの。」
「別にそういうわけじゃないのよ。私は職場では良い仕事をして良い商品を出したいだけなの。だって職場は仲良しクラブじゃないんだしね。それに私の査定のこと皆いろいろ言うけど何でも無闇にお金をかければいいてものでもないでしょう。
お金をかけなくてはいけないことにはそうしているつもりよ。でも商品を開発するのにはコスト管理もとても大事だと思うの。競争力のある商品っていうのは内容だけじゃなくてコストも大事でしょう。内容はあなたたちが考えることだけどコスト管理は私の仕事だから。
私はコスト管理という方法であなたたちと共同作業をしているつもりよ。そんな意地悪なんかしているつもりはないわ。」
女土方が言うことはもっともなことだった。ものを作る側としては良いものを作ることはつまりは金をかけることと短絡的に思い込んでしまうところがないわけではない。確かに安直に良いものを作ろうとするには金をかけることが一番だけれどそれでは商品として競争力という点でひけを取ってしまうのは間違いなかった。
女土方は外見とは違ってとてもかわいい女だった。杓子定規だとか融通が利かないとか冷淡だとか言うのは彼女の本当の姿を知らないからだと思ったが、同時に女土方自身が周囲に理解してもらおうという努力を欠いていることも確かだった。これについては僕自身も人のことは言えないが。
「ねえ、あのね、あなたは何時頃から、その、つまり女性に興味を持ち始めたの。」
「さあ何時ごろだったかしら。思春期にはもうそうだったわ。異性よりも同姓の方に惹かれていたわ。でも男の人とも付き合ったことあるのよ、就職してすぐの頃に。周りの事情とかいろいろな意味でそうしなきゃいけないと思って。だから我慢したんだけどどうしてもだめだったわ。何回目かの時相手の男の人を突き飛ばして逃げ出したわ。
相手の人には本当に気の毒なことをしたと思うけど自分でもどうしようもなかった。それからね、いろいろ考えたの。自分なりに悩んだわ。だって普通の女としての生活を諦めることでしょう。結局辿り着いた結論は自分の思うことに素直に生きようという当たり前と言えば当たり前の結論だったわ。
私のことみんな冷淡だとか融通が利かない堅物とか言っているでしょう。仕事に精一杯かけようという思いもあるんだけど近寄られたら困る人たちが近寄ってこないようにという思いもあるのよ。せっかく私に好意を持ってもらっても私にはその好意には答えられないから。
でもあなたに会えてよかった。あなたと一緒にいると本当に落ち着くわ。私ね、ここ一月くらいのあなたの変わり方には本当に目を瞠るような思いだったの。仕事もそうだしあんなに夢中だったのに総務のあの人をあっさり袖にしたりして。でも当たり前のことなんだけど私の方なんて振り向いてもくれなかったから。
あなたはあの時更衣室で私がどうしてあんなに大胆なことをしたのかと言うけど私は私の思いを伝えたかったの。確信というほどじゃなかったけど何となくあなたは受け入れてくれるんじゃないかと思ったわ。」
『いきなり抱きついてきて有無を言わせずに唇を奪ったのだから受け入れるも何もあったものじゃないじゃないか。それに僕が佐山芳恵に間借りするようになってから好きになったのなら男を好きになったも同じことなのだから別にビアンでもなんでもなく普通じゃないか。』
僕は心の中で女土方にそう言ってやった。
「でもさっきのあなたには驚いたわ。何だか男の人のようだった。あなたが男と入れ替わったって本当じゃないかと思ったけどあなたは正真正銘の女だったし、あり得ないわよねえ。でもそんなことはもうどうでもいいわ。今は私のそばにいてくれるんだし。美味しいものもたくさん食べたし。」
女土方は「久しぶりに楽しくて食べ過ぎてこんなに膨れちゃったわ。」と言うとお腹を軽く叩いて見せた。そんな女土方の仕種が何とも言えずかわいらしかった。