土曜の朝はかなり遅めに起きてから女土方のところに出かける準備を始めた。特に時間は約束していなかったが、夕食を一緒にということなので自分なりに午後の3時頃には指定された駅に着いて連絡を取りたいと思っていた。そんな訳でのんびりと支度をしているところに馬の骨氏から電話が入った。この間のことで話がしたいから時間が欲しいと言って来た。僕は馬の骨氏にこんな風に答えた。

「あなたが誰と交際しようとそれはあなたの自由で私はそれについて何かを言うような立場にはありません。これまで私の様な者を大切にしてもらって感謝しています。でもあなたの自由も認めますから私の自由も認めて欲しいのです。これはこの間のことであなたに腹を立てているわけでは決してありません。ただ私は私の生き方を生きたいだけなんです。」

 そして「これから約束がありますから。」と言ってしばらく間を置いてから電話を切った。馬の骨氏はただ「うん。」と言っただけで後は何も言わなかった。これ以上こんなことにつき合わされるのはもうごめんなので僕は手早く荷物をまとめると部屋を出た。もっとも荷物と言っても着替えと本くらいで他には何も持たなかった。

 指定された駅に着くと女土方に電話を入れた。馬の骨氏の電話で早めに部屋を出てしまったので早過ぎたかと思ったが、女土方は待ちくたびれていたように喜んで「すぐに迎えに出るから駅前にあるサイファーという喫茶店で待っていて欲しい。」と答えた。さほど大きくもない駅前で女土方に言われた店はすぐに見つかった。そこでアイスコーヒーを注文してジャパンタイムズをめくっているとほどなく女土方が店に入って来た。

「何だか落ち着かなくて朝早くから起きちゃった。待ちくたびれちゃったわ。やっと来てくれたのね。」

「迷惑じゃなかったの。泊りがけで押しかけて。」

「そんなことないわ。こっちこそ無理言ってしまってごめんなさい。」

 こんなやり取りがあってからしばらく雑談をした後で女土方は木曜にバーのカウンターでしていたようにテーブルに両肘を突いて指でこっちにおいでという合図をした。僕が顔を近づけると小声で「今日は私だけのもの」と言って微笑んだ。

『おう、望むところだ。』

 流石にそうは言わなかったが、今回はこの間と違って僕にしても腹を決めてきているし、本来が男なのだからそんなことくらいでは慌てなかった。

「そうよ、あなたの自由にしていいのよ。どうしたいの。」

 僕はそう言って微笑み返してやった。女土方も何も言わずに微笑みで答えた。こうなるとどっちが狙われる鼠でどっちが獲物を弄ぶ猫か分からなくなって来た。自分に纏わる諸問題は取り敢えずすべて先送りしておいて刹那的な快楽に溺れようというわけでもなかったが、それはそれとしてとにかく面白くなりそうだった。まあ男の好奇心とは概ねこういうものである。

「お買い物して行こう。昼食はどうせブランチでしょう。だから夕食は何か作ろう。」

 女土方は何だか無闇と微笑みっぱなしだった。会社でもこのくらい微笑んでいればこの女もそこそこ聡明なようだし、またきれいでもあるのだから男も放っておかなかろうに生理的に受け付けないのでは仕方ない。

 僕たちは夕食の買い物のために途中のスーパーに入った。女土方は「ねえ、今夜はステーキ食べようか。私、ご馳走するわ。」と私を振り返った。

「いいわよ、じゃあ私は果物を買うわ。ステーキアンドフルーツパーティにしましょう。」

 そんなことを言いながら大きな肉と様々なフルーツ、飲み物やパンを買い込んだ。酒は自宅にあると言われたが酒を飲みたいとも思わなかったのでコーヒーやミルクを買い込んだ。
女土方の自宅はちょっと小高くなった丘の上にある四棟続きの洒落たテラスハウスだった。そしてカーポートにはスマートが置いてあった。僕が珍しそうに覗き込んでいると女土方は、「可愛いでしょう、これ。一人だから丁度いいわ。遠くに行くのも苦にならないし。興味あるなら乗ってみる。」と言い出した。

『それよりも今乗ってみたいのはお前の方だよ。』

 こんな下品なことを考えながら僕は笑顔で「後でちょっと乗せてね。」とだけ答えた。女土方の家の中はあっさりとしていてきれいに片付いていた。一階の居間はシンプルなデザインのソファとダイニングセットが置かれているだけで他には目立った家具は見当たらなかった。その分部屋の中は広々として気持ちが良かった。

 居間の外はテラスになっていてその先には小さな庭があった。そこにはどうして作ったのか池を中心にミニチュアの森が設えてあった。

「きれいな庭ね。心が安らぐわ。」

 僕は庭を褒めたがそれは決してお世辞でもなんでもなかった。五坪程度の小さな庭だったが、その中に見事に自然の森の広がりが表現されていた。

「父が大事にしていたの。私にはもてあまし気味だけど父の形見のようなものだから。」

 女土方は買い込んだ品物を片付けながらか細い声で言った。職場での豪腕振りがうそのような繊細な声だった。

「あなたもお父様を亡くしているのね。私もよ。来月北海道の実家で法事なの。」

 佐山芳恵の父親が亡くなっていたのは法事の話が飛び込んでくる前に知っていた。僕自身も両親を亡くしていたので親につながるものを捨てがたい気持ちはよく分かった。

「私は母親も亡くしているから一人きりなの。もう慣れたけど本当に独りになった時は途方に暮れてしまったわ。」

 女土方はキッチンから出て来て「お客様を寝室にご案内しなくてはね。でもここはホテルじゃないから寝室もベッドも一つ、相部屋よ。いいわね。」

『上等じゃねえか』

 盛り上がる欲望を押し隠して僕は軽く頷いた。それは僕としてはむしろ望むところだった。女土方は二階へと階段を上って行った。そして僕はその後に続いた。女土方は二つ並んだドアの片方を開けた。

「向こうの部屋は私の書斎兼仕事部屋。あとで公開するわ。」

 案内された部屋は濃い赤のベッドカバーがかけられた大きめのベッドとステンドグラスの暈をかぶった大きなスタンドのある寝室だった。その濃い赤色を見た時、僕はここしばらく心の奥に雌伏せざるを得なかった男の欲望が吹き出してくるのを抑えられなくなった。この間とは逆に後ろから女土方の両肩を押さえて自分の方を向かせると突然のことで驚いたのか口を半ば開き加減で僕を見つめている女土方の唇に自分の唇を重ねた。そしてそのまま欲情の起爆薬となった深紅のベッドに倒れ込んだ。

 牛じゃあるまいし赤い色を見て興奮するなんて何とはしたないとは思ったが、嫌いではない女とこんなところで二人きりになっては穏やかにはいられない。向こうもその気なんだろうし自分の体が女の体だからと言ってそんなことかまうものか。

 そうしてもつれ合ってベッドに倒れ込んだ僕たちがもう一度そこから起き上がったのは外が薄暗くなった頃だった。その間にどのようなことがあったのかは個人のプライバシーにかかわることだし人様の前であからさまに話すような恥じらいのないことは僕の厭うことではあるので詳細は省略するが、全体的に男のセックスよりも艶めかしい感じが強いものの基本的には大きな差はなかった。

 世間では女の快感は男の数百倍なんてことを言うが、それは女性特有の感情移入も含めてのことで体に備わった器官と感覚器が女のそれでもそれを実際の感覚として処理するソフトが男のそれではあまり変わらないのかもしれない。

 女土方は未だシーツをかぶったまま眠っていた。シーツがはだけて背中や腰のあたりがむき出しになっていたが、やや脂肪がつき加減の腰の辺りの丸みが妙に艶めかしかった。それを見てもう一度と思ったが、まだ夜もあることなのでさすがに自粛した。これでこの間の奇襲のお返しは十分にしてやったことだし、あまり欲張るのもよろしくなかろう。