昨日、娘が主人の実家である長崎に、ひとりで遊びに行きました。
見送りの際に、娘は「今年も、長崎で原爆の日を迎えるんだなぁ。」とつぶやきました。
関東に生まれ育った私は、原爆を「過去の悲しい出来事」としか思っていませんでした。
数年前に長崎原爆資料館
に、娘と訪れた際に、初めて原爆というものに向き合い、衝撃を受けました。
昭和20年の今日、長崎に米軍によって第二の原爆が投下されました。
午前11時2分のことです。
広島の原爆は、リトル・ボーイとよばれるウラン爆弾でしたが、長崎の原爆はファット・マンと呼ばれるプルトニウム爆弾で、ウランより強力とされていますが、平地の広島に比べ長崎は、地形が原爆の被害の拡大を防ぎました。
長崎に原爆を落としたのはボックス・カーというB29。
広島の原爆のエノラ・ゲイと同様早朝テニアン島を出発し、当初第一目標の小倉上空に達しますが、天候が悪かったため投下を断念して、目標を急遽第二目標の長崎に変更しました。
そして長崎でも市の中心部には投下できず、少し北部の浦上地区、松山町上空9600mから投下しました。
高度500mで炸裂した原爆は0.2秒後には半径200mもの火球を作り、その表面温度は8000度にも達しました。
原爆の被害は、爆撃そのものの被害も大きかったのでしょうが、放射能の被害は今もなお続いています。
原爆投下より数ヶ月以内に7万人が亡くなり、その後亡くなった人は、今年三月末現在約26万6千600人にものぼるそうです。
平和公園で開催された原爆犠牲者慰霊平和祈念式典では、長崎市長によって今なお続く被爆者の心身の苦しみに触れ、核抑止力に固執する核保有国に強い憤りを表明。
日本政府には、被爆国として米国の「核の傘」からの脱却を要望しています。
この式典には小泉純一郎首相に加え、衆参両院議長、最高裁長官も出席しました。
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NO MORE WAR!!
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【関連リンク】
長崎から「平和」を発信、60回目の長崎原爆忌
ナガサキ・「ピース・サイト
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