永遠の勝利

それは唯一和合によってのみもたらされる。

 

二項対立を出発とした、すべての出会いは

角度、濃度、方向性の違いによって

「争い」と語られ、はたまた奇跡の「再会」のように語られるが

それらはすべて、一時的条件、部分的条件による

偶発的な出会いに名付け、意味や価値を見出し評価しているに過ぎない。

 

それらすべての出会いに対して

意味や価値が無いわけではないのだが

本物の出会い、永遠の勝利から見ると

意味も価値も水泡のように消えていく。

それは同時に、本当の出会い、本当の勝利があるのだという

希望のメッセージでもある。

 

 

人間は、突如として起きる地震を経験すると

それまで当たり前のようにあった「生きる」ということを

心深く考える。

しかし、日常や仕事、生活はほとんど変わらず

あなたに何かを要求し、忙しさに翻弄され、

そういった根幹的疑問、本質的問いをいつの間にか

遠いどこかに忘れ去ってしまう。

 

そして、時折、はたと湧いて出てくる

侘しさ、寂しさ、苦悩、葛藤は、

あなたの心のほとんどを占めるが

その感覚的、抽象的な思い、問いに対して

残念ながら、現代は全く優しくない。

むしろ、それを

「弱さ」「病気」「未熟さ」というレッテルで片付け

多くは、向き合うことそのものを許してはくれない。

 

この時代、誰もが持つ深刻な悩みであったとしても。

 

私は、「強さ」とは何なのか?

という問いに対してはこう思っている。

 

「弱さ」を認め、向き合い、楽しむ勇気。だと。

 

裸で生きること、

そのままで生きること

ありのままであること。

 

本来の素朴さ、純朴さ、単純さ、無邪気さは

いつの間にか余計なしがらみ、固定観念によって

そぎ落とされ、ダイヤモンドの原石は

いつしかダイヤモンドそのものが削られなくなっていく。

 

私は、堅牢さ、完全さよりもむしろ

弱さ、未熟さ、未完成さを包含したものに

美的感覚を感じている。

 

死があるからこそ、生を慈しむ心が生まれるように。

 

その強さと弱さは相対立するものではなく、

本来はひとつに和合するものであると。

 

支配者と被支配者

富者と貧者

経営者と労働者

 

このような二分的視点観点によって

物事の論理をスタートするなら

動物が育む弱肉強食の社会性と何ら変わらない

人間による争い文明、戦争文明、弱肉強食文明は

根源的解決を見出せないまま終焉を迎えるように思う。

 

スティーブ・ジョブズが

「死はほぼ間違いなく生命による最高の発明だ」

と言ったように、

 

私は、

「未熟さ」こそが価値を生み出す根源だと思っている。

不完全で完全。

 

しかし、こと現代的理性(科学的思考方式)によって

成果主義、実力主義、資本主義と

客観性ばかりが評価され

人間本来の性質、可能性からすると

かなりな部分を切り刻まれ

超偏重性評価軸によって強烈に裁かれ束縛されている。

 

さらにIQ10000にもおよぶAI(人工知能)の誕生によって

その評価義軸で生き残る人類の開拓開発そのものが

不毛のように感じられる。

 

それでも変わらない教育は

もはや形骸化し機能不全状態であり、

先生も生徒も苦しむlose-loseが深刻な現場で心が痛い。

 

西洋的視点を土台にした

論理偏重の因果律の限界を突破し、

因果の外、エネルギーの外の非二元、非二分の

東洋の悟りにも通ずる和合一つを出発点とした、

新たな教育改革が必要だと思っている。

 

分離を土台にした争いの勝利ではなく、

すべてが一つにほどけた和合からスタートし

すべてが勝利した状態の境地から、

すべての出会いが争いではなくクリエイティブ化できる

そのAll winの境地こそ、この時代に最も要請されている

メッセージではないでしょうか。

 

本当の出会いを果たしたい。

本当の人生を全うしたい。

本当の人類で未来を創りたい。

 

まだ見ぬ、あなたとの出会いを楽しみにしています。