2018年12月に取り上げたKonicaⅢAの記事。
記事をアップしてからもうだいぶ経つのですが、おかげさまでいまでも常時ハッシュタグの上位にランキングされる記事になりました。
この記事を契機に、KonicaⅢAの存在に興味を持たれた方が多数いらっしゃることは、この上もなく嬉しいことです。
さて今回取り上げさせていただくのは、そのKonicaⅢAと双頭の鷲をなしているともいえる名機、東京光学の「Topcon35」を取り上げさせていただこうと思います。
わたくしが所有しているのは「Topcon35L」という1957年に発売された機種です。
ところでこのカメラを製造した東京光学は現在、測量機器などの製造販売で国内ではトップシェアを誇る東証一部上場企業「トプコン」の前身です。
端的に、押しも押されぬ大企業ですね。
太平洋戦争時、東京光学は自社の光学機器を大日本帝国陸軍へ納入していました。
他方、大日本帝国海軍へ光学機器を納入していたのは現在のニコン、当時の日本光学でした。
そうしたわけで「陸のトーコー、海のニッコー」と呼ばれていた逸話はあまりにも有名ですね。
こうした背景からもお分かりのように、東京光学とは、戦前戦中から戦後にかけて、日本の光学機器の製造販売のトップブランドを担っていた企業ということになります。
1950年代当時、日本のカメラ業界は玉石混交の乱戦状態。
それこそ四畳半企業と揶揄された家族経営の会社から、押しも押されぬ大企業まで、乱立していました。敗戦直後の日本製品の世界的評価としては、「安かろう悪かろう」で、進駐軍相手にPXなどで、豆カメラとか、欧米製品をコピーしたいわゆる安いがよく写るカメラを販売して、外貨獲得に勤しんでいたそうです。日本製のカメラは進駐軍にとっては、「安くて良くできた玩具」の類だったのかもしれません。しかし、朝鮮動乱の時に、ライフ誌の専属カメラマン「デヴィッド・ダグラス・ダンカン氏」によって日本光学製のレンズの高性能が大々的に認められたエピソードは、とりもなおさず日本の光学機器が世界の表舞台でようやく認められた証左となったと思います。
そうした背景もあり、1950年代の日本の光学機器業界は、少なくともトップブランドの企業においては、世界に羽ばたいていく大きなうねりの中で、高度な工業技術と高度に維持された品質管理のもとで、最も脂ののった円熟期に入っていったと思います。
そうした円熟期のトップブランドの顔ともいえる製品の一つとして、本機が挙げられます。
レンズシャッター式RF機では、おそらくKonicaⅢAとTopcon35は双頭の鷲ともいえる存在だと云えましょう。
それではレンズキャップを開けてみましょう。
レンズキャップを開けるとこんな顔つき。
まず目を惹くのが、なんといっても黄金色に輝くアルバダ式ファインダーでしょう。
鏡のようにキラキラ輝いています。
フィルター径は40.5mm。
こちらはマルミのフィルターを装着しました。
Topcon35については、赤城耕一著『フィルムカメラ放蕩記』(HOBBY JAPAN社刊)062頁以降にて、詳しく触れられています。
1957年頃の当時、等倍ファインダーでパララックス自動補正機能を備えた機種は、KonicaⅢAとTopcon35位ではなかったかと思われます。
デザイン的にはKonicaⅢAのような独特なスタイルではなく、非常にオーソドックス。
逆に言うと、アクのない無難なデザインだと思います。
赤城氏のコメントでは「パッと見の外観は角張ってゴツゴツした質実剛健なイメージ」であるが、「よくよく見ると、表面のメッキの仕上げなどは粗く、あまり繊細で緻密な光学製品という感じがない」と、さんざんな云われようです。
さらに追い打ちをかけるように「ファインダー窓が大きいので、大きな顔をした中年のおっさんが、千葉の海水浴場で恰好をつけて時代遅れの黄色いサングラスをかけているかのよう」と、こき下ろすのです。
まずはそうしたいささか否定的な印象から入っていくTopcon35ではあります。
しかしひとたびその等倍ファインダーを覗くと、まるでそれらのマイナスイメージを基から覆すコメントが矢継ぎ早に続いていきます。
「等倍の仕様でパララックスも自動補正されるというお金のかかった優れもの」であり、「視認性は抜群で、ブライトフレームの処理も上品である」と続き、「ボディー表面の仕上げの雑駁さとファインダーの性能がそぐわない感じさえしてくる」と、なんともアンビバレントな評価をされています。
そう、このカメラは実際にファインダーを覗いて、手に取って操作して、仕上がりの写真を眺めて初めて、その優秀さに驚くのかもしれません。
このファインダーの高評価を皮切りに、操作性の滑らかさ、シャッターフィールの軽やかさ、そして写りの素晴らしさ…と本機の賛辞が畳みかけるように続いていきます。
それくらい、本機は実際に手に取ってみると驚くような高性能機だと実感するはずです。
巻き上げレバーはダブルストローク式。
当時の製造技術で、ダブルストローク式は設計上無理のないものでした。
しかも分割巻上げできますので、ワンストローク式にこだわらなければ、充分使いやすい機構です。
シャッターフィールは極めて静か。
本当に蚊のささやきの如き微細なフィールです。
レンズはトプコール4.4cm F2。
50㎜よりやや広角で、50mmが瞳をこらしてグッと見つめる距離感であるならば、それよりも、ややリラックスして眺めた距離感でしょうか。
わりとナチュラルな画角だと思います。
フイルムカウンターは、逆算式。
最初に目盛りを手動で合わせる必要があります。
ファインダーの視認性は確かに当時のトップクラスだと思いますが、KonicaⅢAと比較すると、やはりKonicaⅢAの「生きているファインダー」に軍配が上がります。
それだけ、KonicaⅢAのファインダーは突出していたと云えましょう。
とはいえ、Topcon35のファインダーも比較しなければ、本当に見やすくて高性能です。
またメッキ仕上げの精緻さも、KonicaⅢAの美しさと比べると、いささか見劣りしてしまいます。
しかし、それでも、工作精度の高さ、デザイン上のまとまりの良さは特筆に値すると思います。
わたくしの所有しているTTopcon35Lはライトバリュー方式の個体です。
ライトバリューの数値を合わせる操作面では、KonicaⅢAよりも操作しやすくて、むしろこちらに軍配が上がります。
以下、作例です。
●カメラ:Topcon35L
●付属レンズ:Topcor 4.4㎝ F2
●フイルム:Fuji Eterna iso1.6
…いかがでしたでしょうか。
シネマライクな描写だと思います。
日本の光学機器の円熟期に製造販売されたTopcon35。
KonicaⅢAなどのクラシックコニカを既にお持ちのかたがいらっしゃいましたら、ぜひもう一つの雄である本機もお手に取られてみてはいかがでしょうか。
先日、南林間の白黒フイルム専門のプロラボの社長さんと歓談した折に、話題に上ったのもTopcon35でした。
その社長の「終の棲家」ならぬ「終のカメラ」は、Topcon35でした。
自分の人生最後のカメラとして残しておきたいと云わせる傑作機、それがTopcon35です。
カメラは「カメラのロッコー #rokkoo2013 」で購入しました。
オーバーホール整備済み、アフターフォロー1年保証付き。
なにかあっても、「現状渡しですから…」と逃げずに、「ん?どうしました?」…と、きっちり対応してくれる安心のショップです。
2018年当時は日本橋人形町に店舗を構えていましたが、現在は無店舗型で営業しています。
主に、販売サイト「J-カメラ」にて商品を展開しています。
J-カメラのHPはこちら… ☆☆☆
クラシックカメラは初めてだけど、アフターフォローの体制が整っているのか不安という方、しっかりと結果を残せるクラシックカメラにご興味のある方は、ぜひご覧ください。
最後に、赤城耕一氏の痛快なコメントで、末尾と代えさせていただこうと思います。
「4.4cmというレンズの焦点距離にも驚くが、さすがトプコール。その写りは侮れず、そんじょそこらの一眼レフ用の標準レンズより高性能である。………(中略)………つまらない高級コンパクトカメラよりはるかによい仕事をする。」
………赤城写真機診療所 MarkII第4回より引用。
ここで指摘されている「つまらない高級コンパクトカメラ」が何であるのかは、数年前から市場で暴騰している20世紀末頃に各社から販売されていた一連の高級電子式コンパクトカメラを指しているのだというとは、もはや論を待たないことだと思います。
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ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.19」。
今日も一日、お気持ちさわやかに…。