珠玉の名機・コニカⅢA~日本的カメラにおける美学の最高峰 | 山と料理と猫、そしてクラカメな日々の備忘録

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今年は自分で自分にクリスマスプレゼントを買い求めました(笑)

 

 

小西六写真工業株式会社(現コニカミノルタホールディング株式会社)が1958年(昭和33年)に世に送り出した「コニカⅢA」。

 

1958年と云えば、タイミング的にはニコンFが1959年6月にデビューする年の前夜にあたります。したがってレンジファインダー機の歴史において、その末期を飾る日本的レンジファインダー機の最高峰であり、ひとつの頂点です。

そして同時にコニカⅢAとは、コニカⅠからはじまるローマ数字シリーズのトリを飾る、コニカを代表する高級機です。

 

レンズは和製ズミクロンの誉れ高い「ヘキサノン50mm/f1.8」。

当時、生産可能な明るいレンズの限界を目指したと云われています。

 

コニカは今は存在しないメーカーですが、日本で初めて写真工業を興した始祖であり、日本最古の光学機メーカーです。新宿中央公園の一角に「日本写真発祥の地」という記念碑がひっそりと佇んでいますが、本格的に光学機器を生産し始めたのは、新宿淀橋のこの地に移転してからと窺っております。

またコニカはこうした光学機器と同時に銀塩フィルムも販売しており、1970年代にフジフィルムにトップの座を譲るまでは国内シェアナンバーワンのメーカーでした。わたしが物心つくころには、フジフィルムの後塵を拝しておりましたが、赤系の発色はずば抜けて素晴らしかったと記憶しています。そうした意味では、ドイツの光学機メーカー「アグファ」と、どこかしら似ているのかもしれません。

そして1959年9月に発表されたコニカS以降、コニカは大衆機路線へと転換し、70年代のピッカリコニカやジャスピンコニカなどの名機をヒットさせるのです。

このローマ字シリーズのコニカは、大衆路線に舵を切る直前の、高級路線を堅持していた時代のカメラです。

 

 

まず目に付くのはファインダーの大きさ。

ブライトフレームのパララックス補正機構が距離に応じてナチュラルな動きでスーッと動いて、なおかつ視野率100%を維持するという驚異的な機構を有しています。なかには巨大なプリズムが入っています。このおかげでカメラの重量はズッシリ850gはあるかと思います。まさに金属と硝子の塊。

この大きく明るいファインダーは「生きているファインダー」と呼ばれております。

これはおそらくライカM3が席巻していた当時においては、驚くべき独創性ではなかったかと思うのです。

ファインダーのデカさは近年の安原製作所1式を彷彿とさせますが、個人的にはそれよりもずっと気品を感じさせます。

 

 

フィルムの巻上げは、左手側のレバーを2回ストロークさせることでシャッターもチャージされるセルフコッキング機能を有しています。

このあたりは非常に独創的な機構であり、前モデルのコニカⅡまで無かったセルフコッキング機能を、ここでようやく実現させております。

レンズ鏡筒周りに巻き上げ機構を有しているのは、たいへん珍しいです。

わたしが知る限りでは同時代の東ドイツのツアイスイコンが世に送り出した「ヴェラ(英語式に『ウェラ』と呼ばれることが多い)」あるいはタクソナくらいです。巻き上げレバーが軍艦部にないため、軍艦部上部はスッキリとした大変美しい造形に仕上がっています。

 

 

コニフードを装着した様子。

当時の高級路線を突っ走っていたコニカのボディー、それはおそらく日本国内では右に出るものがいないほどの完成度の高さだといえます。

 

メッキがこれでもかと厚く施されています。同時代のレオタックスなどと比較すると、その差は歴然。

非常に美しいメッキの仕上げです。

 

 

この当時、ライカでさえ実現していなかった「パララックスの自動補正機構」の発案や、独自の巻き上げ機構など、オリジナリティあふれる名機です。こんな機種が日本で開発されて販売されていたことは、実に頗る目を見張ることです。

 

 

写真ではちょっと見難いのですが、黄色がかった色のフレームが見えると思います。

これが距離に応じてスーッと動きます。とても明るくて、見やすいファインダーですので、眼鏡をつけたままでも安易に使えます。

おまけに視野率100%ですので、両目を開けたままでも使用することが可能です。

 

みんな揃いもそろってあのライカを真似していた時代に、小西六写真工業株式会社というところは、涼しい顔をしてこんな独創的な機種の開発をやってのけていたのです。

いまの中国製商品をわれわれは馬鹿にして見下した見方をしていますが、実はわが国も他人のことは偉そうに非難できません。

それというのも、当時ほとんどの日本メーカーは、敗戦でパテントの権利を剥奪されたバルナック式ライカやローライのコピーをひたすら判で押したように、作っていたからなのです。

尤もなかには本家にはみられないような独創的な機構や、優れた改良が施された名機も少なくありませんでした。しかしながら、マネっ子はやはりマネっ子に過ぎませんでした。

結果として、マネっ子が本家を凌駕するまでに成長することはありませんでした。

ライカM3が登場したことは、多くの光学機メーカーに衝撃が走りました。

そしてライカM3を越える機種は、コピーライカの分野ではついぞ生み出せなかったのです。

 

1950年代から1960年代にかけて、日本の光学業界は3度の「ショック」を経験していると思います。

 

ひとつはいま申し上げました「ライカM3ショック」です。それにより、日本光学(現ニコン)や旭光学(旧ペンタックス、現リコーイメージング株式会社)などのメーカーは、レンジファインダー式カメラの開発から一眼レフの開発へシフトチェンジして、結果として成功を収めるのです。

 

次のショックは「キヤノネットショック」です。キヤノンは大衆向けの廉価なキヤノネットを販売しました。なんといっても当時高価だったカメラの価格破壊を起こして、みんなこぞって買い求めた大ヒット商品となったのです。そのため、多くの中小零細国内メーカーが倒産もしくは撤退を余儀なくされたと聞きます。

 

そして第3のショックとは、ペンタックスSPのデビューによる「ペンタックスSPショック」だと思います。廉価で高性能なM42マウントを具備するペンタックスSPの出現は欧州に衝撃を走らせました。これによって、欧州の老舗メーカーは国際的なシェア争いにおいて、致命的なダメージを負うことになり、ついには1970年代に至り、統廃合の再編成を余儀なくされるのです。

 

(※そのあたりについては、こちらの記事もご参照ください)

 

 

 

 

そうした生き馬の目を抜くような過酷な企業間競争の流れの中で、唯一孤高で高邁な精神を感じるのが、このコニカ製ローマ数字シリーズの一連の高級機種です。

開発は風巻友一氏という切れ者と窺っております。

慶応大学閥で固められていた当時の小西六写真工業株式会社は、典型的な名家の「お坊ちゃま企業」で、なんでもオールマイティーにこなせる「グローバリスト」を評価し、「スペシャリスト志向」はあまり評価されなかったと聞きます。

レンズ設計で頭ひとつ抜けた才能を持った風巻氏は「スペシャリスト志向」であり、会社の評価体系に不満を持っていたそうです。

このコニカⅢAが発表される直前に小西六写真工業を退社し、旭光学へいわば「ヘッドハンティング」ともいえる形で華麗な転職をなしとげることになります。転職先のポストは役員、破格の高待遇です。そして風巻氏は後にSMC(スーパーマルチコーティング)タクマーレンズの開発で大活躍したとのことです。

この切れ者、風巻氏の息がかかった最後の名機を手にすることは、このうえもない悦びを感じます。

 

 

コニカのロゴマークやローマ数字がとてもモダンでハイカラな雰囲気です。

 

 

この階段式デザインのフィルム巻き戻しクランクは、後の大衆機にも引き継がれます。

しかしやはりこの時代の造形が一番品格を感じさせます。

こんな凝った造形は、コストの兼ね合いで今のメーカーはやらないと思います。

 

 

フィルム巻き上げレバーは俗に「招き猫方式」とも呼ばれています。

賛否両論ありますが、個人的にはなかなか可愛らしいデザインだと思います。

 

 

そしてこの焦点を合わせるためのツマミの造形は白眉ではないでしょうか。

先代のコニカⅡもそうですが、アールデコの影響を受けたかのような、独特の美学を感じます。

こんな凝ったデザインを採用するとは、コストを考えているのでしょうか。

シャッターは精工舎のレンズシャッターです。

やはり底部のメッキ加工もとても美しい。

 

 

レンズを保護するために、マルミの保護フィルター43mmを装着しました。

オリジナルの「コニフィルター」は薄型フィルターで、大変稀少。

まず見かけないので、見かけたら即購入でしょう。

 

 

背面のデザインはとてもスッキリとしています。

 

 

裏蓋を開ける機構は、ニコンFと似ていますね。

「O(オープン)」にダイヤルレバーを合わせて、ダイヤルレバーを押すと、裏蓋が小気味良く開きます。

 

 

カメラケースの背面には「KONISHIROKU」の文字。

 

 

ストラップはさすがに痛んでいたので、代替品で新しいものに交換しました。

 

 

これでひとまず安心ですね。

 

 

珠玉の名機「コニカⅢA」。

日本的カメラにおける美学の最高峰ともいえる非常に美しいカメラです。

所有しているだけで顔がほころぶという数少ないカメラです。

 

■追記■

購入した先は「カメラのロッコー」さんです。

浅草のカリスマ的名店「早田カメラ」の早田さんの下で15年修行された廣木店主の腕は間違いなく確かです。

どれも整備済みの大変綺麗カメラが揃っています。

 

スプリングカメラや国産のレンジファインダー式レンズシャッターカメラが充実しています。

また東ドイツ製の中判一眼レフ「ペンタゴンシックス」に関してはスペシャリストだと思います。

どの製品も整備済みで、1年間の保障付。とても安心してクラカメを購入できます。

 

カメラや写真に関するどんな些細な質問でも、気さくに答えてくれる良心的なお店です。

 

■カメラのロッコーさんのHPはこちら…… ☆☆☆

 

作例です。和製ズミクロンの非常にシャープな線が気持ちよいです。

 

 

日本橋、三井本館のコリント式大オーダー。
 

 

皇居、半蔵門から日比谷に向かって。

ボケ味も非常に品がよろしくて好感がもてます。

 

 

三菱一号館ビル、中庭彫像。

 

もしこのヘキサノン50mmがライカ用のLマウントだとしたら、価格は一気に跳ね上がり、7万円~8万円という非常に高価な代物となります。しかし、コニカⅢAであればボディーを含めてその半額で手に入るし、しかも非常につくりの良いボディーも付いてきますので、これは非常にお買い得と云えましょう。

 

■参考記事を以下併載させていただきます。

 

 

■こちらはKonicaⅢAのライバル機について書いた記事です。

 

 

 

 

ゆったりとじっくりと撮影するのにはおあつらえ向きな高級機です。

 

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ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」。

 

今日も一日、お気持ちさわやかに…。