山と料理と猫、そしてクラカメな日々の備忘録

山と料理と猫、そしてクラカメな日々の備忘録

山登りを通じて、日々の山行き、お料理、猫のポン王子、そしてクラシックカメラの記録を綴っていきます。

4月、桜の季節だ。

今年は雨日が続いて、結局、桜をゆっくり観ることはなかった。

今年の桜は足が早い。

 

そういえば、夢に亡くなった動物が出てくる話は、よくある話として耳にするが、わたしの場合、未だにそれは無い。

 

まぁ、幽霊でも良いから出てくれないものかともおもうのだが、それも一向に無い。

 

 

2025年9月末日撮影。

 

●カメラ:Topcon35

●付属レンズ:Topcol4.4cm F2.8

●フイルム:Kodak Gold200

●現像・スキャン:チャンプカメラ青葉台店

 

そんなこの頃だが、4月に入り、奇妙な夢を見た。それはこんな夢だ。

 

ある日、自宅玄関前に二人の身なりの整った初老の紳士が立っていた。

チャコールグレイの三つ揃いで、白くて細かいフラワーの小紋柄が施されたブラックタイが、綺麗なウィンザーノットで締め上げられ、折り目正しいディンプルが、Vゾーンから覗かせていた。

背筋を伸ばした綺麗な姿勢で、おもむろにダークグレイのハットを脱帽し、丁寧な所作でこちらに会釈した。

 

それにつられてわたしも会釈をする。

 

会釈をして、下った視線の先には、綺麗に磨かれて艶やかに黒光りするストレートチップのドレスシューズが整列していた。

 

突然の見知らぬ者の訪問に、少々訝しげな視線を、心なしか投げかけていた。

 

彼等は云う。

はじめまして、手前共は、このような者です。

と、おもむろに内ポケットから名刺入れを取り出し、流れるような手つきで名刺を差し出してきた。

見ると肩書きには、こう書いてある。

「執務官吏 ○○ ○○」

どうやらお偉いさんのようだ。

それにしても、そんな方がこんな所に訪ねて来るなんて、なんか場違いのような…と、目をシロクロさせていた。

 

その執務官吏とやらは、こう話す。

 

先日旅立たれたお宅様の猫氏だが、天界の新しい任務が内示された為、本日、その通知をするために参上した次第です。

 

新たな任務は、地上界では「虹の橋」と呼ばれているところの管理部署です。

お仕事の内容は、新しくやってくる他の動物達のアテンド、個々の動物達のこれから先のライフデザインの相談役と、コンサルなど。

 

正式配属は、5月からと決定しております。

 

今般、生前での猫氏の学び、スキルアップのなかで、特にコミュニケーション能力、構造的理解、論理的思考が高く評価されたため、この度の登用となりました。

 

今月は、来月に向けての準備で、多忙を極めておりますが、よろしくお伝えくださいとの伝言をいただきましたので、ここにお伝えいたします。

 

あ、それと、手前共は、普段は猫などの姿であって、本日内示の通知をお伝えする使命のため、このようなニンゲンの形姿となっております。

 

いずれにしても、たいへんな朗報ですので、どうぞこの嬉しいお知らせをお受け取りください。

 

……という内容だった。

 

なにがなんだか、さっぱり理解不能な内容だったが、ひとつだけ、気になったことを口にした。

 

あの、、、それは結構なことではあります。

ここは嬉しいと喜ぶべきことかとは理解しますが、かなりの重責なのではありませんか?

亡くなってからも、オーバーワークするのではないかと、こちらも少し心配してしまいます。

ただでさえ、生前は、家族に心配かけまいと、ムリして頑張りすぎたので。

 

そう、行く先での身を案じていると、その執務官吏は、こう話された。

 

かしこまりました。

本件については、充分配慮させていただくことにいたします。

ただ、地上界に行く前から、本猫は当部署での従事を希望していたので、ストレス無く采配を振るうものとおもわれ、手前共もこれを期待しています。

また当部署は、手前味噌ながら、たいへん狭き門です。地上界ではこれをエリートコースと呼ぶようですが、そのような行き先となります。

なので、どうぞご心配無く。

 

そう言い残して、丁寧にお辞儀をして、踵を返し、去って行った。

 

………まあ、よくわからないながらも、ポン王子は新しいステージでは嘱望されていることは理解した。

 

これはただの夢なのかもしれないけれど、もしこの話がほんとうならば、うちを卒業した者として、天界での、誉高い、あらたな仕事を無理しないで頑張って欲しい。

 

 

2025年6月撮影。

 

●カメラ:RICOH GR2

 

 

こうした夢の話は、たいてい他愛の無い、荒唐無稽なものだ。

けれども、われわれは世界の客観的事実がなんであるのかという問いよりも、もっと高い関心を払うべき問いに眼を向けるべきだと思う。それは、わたしと世界との「間」における「わたしとの係わりの意味」への問いへの関心である。

人間は、世界とわたしとの間に「意味」という救いを求める。

それは、事実そのものが何であるのか?なのではなく、わたしとの間において生じた表象が、どのような意味を投げかけるのか?ということなのであり、その問いこそ、より本質的で深い問いなのだ。

 

…そのように思う。