就活中に偶然出会った選択理論。
そして衝撃を受けたのには理由があります。
それは一言で言うならば、外的コントロールは不幸しかもたらさないということを、
私が育った家庭環境を通して、嫌というほど実感しているからです。
私の(母方の)祖父は非常に貧乏だったそうです。
祖父は小学生のころから、お金持ちのお嬢さんが夜道を通るために提灯を持ち歩くことによって、
家にお金を入れてたそうです。
また祖父は5人兄弟の末っ子で、上には男はおらずすべて姉。
さらに若くして父親を亡くし、家族の中で一番年下ながらも、唯一の男として、
一家を守らねば!という強い気概を幼いながら持っていたそうです。
そんな気概を持った祖父は、中学校を卒業したらすぐ働き始めました。
そして一代でガソリンスタンド3件、酒屋1件、洋服屋1件、喫茶店1件を建て、
また岐阜の田舎ですが、そこら中に自分の土地を持つほどになりました。
町内では一番のお金持ちです。
日本の高度成長時代を人の10倍の努力で走りまくった祖父。
しかし一つの問題がありました。
それは自分の子供3人がみんな女であるということです。
祖父には、自分の性は残したい、ガソリンスタンドの仕事は男に継いで欲しいという願いがありました。
そこで、婿養子に来てくれるガソリンスタンド勤務の男性と長女をお見合いさせたのです。
これが私の両親の出会いです。
父には当時別の彼女がいたものの、無事父と母が結婚し、私が産まれました。
(ということで私のNという性は母方の姓です。)
さて、ここまでなら何も問題もなく、HAPPYという話しですが、問題はここからです。
ここから外的コントロールがもたらす不幸の始まります。
祖父のガソリンスタンドを継いだ父は、当然今まで他店で働いていたガソリンスタンドのやり方で仕事します。
しかし祖父には祖父のやり方があり、それを父に強要します。
始めのうちは素直に祖父の言うことを聞いていた父ですが、
気性が激しく、全く意味のわからない指示(というより命令でしたが)を出す祖父に不満がつのっていきました。
象徴的なエピソードがあります。
アルバイトとして働きにきてくれていた学生が、たまたま体調が悪かった日のことです。
祖父とすれ違ったときの挨拶が、元気がなく嫌々言っているように祖父からは見えたのです。
中卒で頭では自信がないが、そのコンプレックスをバネにして、元気・やる気・努力には
誰よりもこだわっている完璧主義の祖父。
祖父の怒りは一瞬にして頂点に達し、「2度とここに来るな!帰れ!クビだ!」と言い放ちました。
それを事後報告で聞いた父。
当時採用の広告を出してもなかなか応募のないアルバイト。
そんな中やっときてくれた学生で、自分が育て、ようやく一人前になった学生。
それを自分に何も相談せず、クビにするということはどういうことか。
当然怒りますが、祖父はその学生が悪いの一点張り。
祖父が運営していた高度経済成長は終わり、失われた10年に入ります。
祖父に数字を報告に行く父。
それを見て、なんで売上げ向上していないんだと怒る祖父。
祖父と父とのガソリンスタンドの運営の仕方の違いをうまくすり合わせすることができず、
むしろ外的コントロールのやり合いによって、お互いにストレスを溜める結果になりました。
間違いなく、もっとガソリンスタンドをよくしたいという目的は、祖父・父共に共通なのに、
そのアプローチが外的コントロールが故に、2人の関係性は壊れ、お互いにストレスを溜める結果になりました。
祖父と父との力関係は、完全に祖父が強いので、特に父の欲求は満たされません。
このような状況ですので、父は不健全に欲求を満たすしかなかったのです。
さすがに私たち子供(3人)に対してはありませんでしたが、母へはひどくあたりました。
暴力を振るうこともしばしばありました。
父からしたら、祖父や母を含めたN家すべてが憎かったのです。
そんな状況を目の当たりにした私たち子供たちは、父への見方が変わり、
だんだん父を好きでなくなってしまいました。
そして父は家族の中で居場所がなくなり(まったく欲求充足できず)、浮気を繰り返すことになったのです。
この後も色々なことがありました。
父と浮気相手のスキー旅行。
浮気相手が着ているのは、母のスキーウェア、スキーの板、靴。
父と浮気相手が焼肉屋でデートをしているところに、母が乗り込みました。
しまいには、浮気相手を妊娠させるというところまで至りました。
(浮気相手も結婚していて子供もいるのですが・・・)
最終的にはそれを祖父も知ることになり、父は追い出されることになりました。
両親はまだ離婚はしていませんが、もう5年以上別居しています。
そして子供3人も大きくなり一人暮らしをすることになり、
現在父、母、私、妹、弟の5人の家族は、全員別々に暮らしています。
このような状況になったのは、決して悪気があった訳ではなく、よかれと思ってのことですが、
外的コントロールを信じていたからだと思います。
また外的コントロールがもたらす被害を知らなかったからだと思います。
これが私が選択理論に感銘を受けた理由であり、
選択理論を世の中に広めたいと思う理由です。