有本香さんが中国のウイグル人・チベット人差別弾圧問題に迫る!
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 ・・・中央ユーラシアとは、ユーラシア大陸の中央部分に広がるウラルアルタイ系の諸言語を用いる諸民族が居住する地域を広く指す文化的な地域概念である。
 1960年代ハンガリー出身の学者が用い始めて以来、ウラル・アルタイ系の民族の歴史や文化を研究対象とするアルタイ学にとって便利な地域概念として、次第に広く用いられる様になった。 
 中央アジアは、ユーラシア大陸又はアジア中央部の内陸地域である。
 18世紀から19世紀にかけては一般にトルキスタンを指したが、現在でも使用される。
 トルキスタンとは「テュルクの土地」を意味し、テュルク(突厥他)系民族が居住しており、西トルキスタン東トルキスタンの東西に分割している。
 西トルキスタンには、旧ソ連諸国の内カザフスタンキルギスタジキスタントルクメニスタンウズベキスタンの5か国が含まれる(以下、中央アジア5か国と記す)
 東トルキスタンは中華民国に併合されて以降、新疆省と成り、中華人民共和国に併合されて以降は新疆ウイグル自治区と成った。
 中国領トルキスタン、ウイグルスタンとも言う。
 広義には、「アジアの中央部」を意味し、東西トルキスタンの他、カザフステップジュンガル盆地チベットモンゴル高原アフガニスタン北部、イラン東部、南ロシア草原を含む。
 UNESCOはトルキスタン以外にも、モンゴル地域、チベット地域、アフガニスタンイラン北東部、パキスタン北部、インド北部、ロシアシベリア南部等を中央アジア概念の中に含めている。
 これ等の地域の特徴は歴史上、ツングースモンゴルテュルクフィン・ウゴル等のウラル・アルタイ系の諸言語を話す人々が歴史的に重要な役割を果たして来た事である。
 古くは遊牧民、新しくは定住民としてウラル・アルタイ系の人々に様々な文化的影響を与えたイラン系の人々もこの地域の重要な構成員である。
 又、彼等はロシア人漢民族等の周辺の大民族と密接に関わって来た。


 ウイグルは、4世紀から13世紀にかけて中央ユーラシアで活動したテュルク系遊牧民族並びにその国家及びその後裔とも20世紀の政治的必要性からの名乗りともされる「ウイグル」を自らの民族呼称とする民族を指し、後者は現在中華人民共和国の統治する新疆ウイグル自治区カザフスタンキルギスウズベキスタン中央アジアに居住している
 人口は約1千万人
 テュルク諸語ウイグル語を話すムスリム(イスラム教徒)である


 ・・・ウイグル地域に日本人が入ったのは、1880年の大日本帝国のロシア駐在公使の西徳二郎が初めてとされる。
 1902年から1908年及び1910年にかけては大谷探検隊が入った。
 1905年には上海亜同文書院二期生の波多野養作林出賢次郎桜井好幸が入っている。
 1906年には参謀本部将校の日野強上原多市が入った。
 この内上原多市の現地での活動については不明な部分が多いが、中国側資料によれば、1907年にイリで陸軍武備速成学堂を設立した際に、軍事教官として日本人の「原尚志」を任命したと言う記録があり、これが上原ではないかと推定されており、イリ地方で1912年迄6年間活動していたとも言われる。
 こうした大日本帝国軍部による情報収集活動はロシアの動向に関するものであったとされる。 
 関岡英之によれば、大日本帝国陸軍は、満州モンゴル、ウイグル、チベットイスラム教勢力等を支援する事によって、ソ連や中国共産党等の共産主義勢力を包囲する戦略として「防共回廊」政策があったと指摘している。
 大日本回教教会を創設した林銑十郎や、板垣征四郎らが推進したと言われる。