2018年辛抱しんちゃんのブログ題名は
 「辛抱しんちゃんのブログ12~辛抱すればこそ、成功が得られる:常に前へ進む気力さえ失わなければ、若さは何時も向こうからついて来るです。

 「辛抱すればこそ、成功が得られる」はアメリカの詩人ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローの言葉です。

※代表作に、「ポール・リビアの騎行」、「人生讃歌」、「ハイアワサの歌」、「エヴァンジェリン」等があり、ダンテ・アリギエーリの「神曲」をアメリカで初めて翻訳した人物でもある。
 「炉辺の詩人」5人組の1人として知られる。
 メイン州ポートランドで生まれ育つ。
 ブランズウィックボウディン大学で学び、幾度かの海外滞在を経た後、後半生の45年間はマサチューセッツ州ケンブリッジで過ごした。
 ロングフェローは存命中からアメリカで賞賛された人物であり、1877年の彼の70歳の誕生日はパレードや講演会、彼の詩の朗読会が行われ、恰(あたか)も国民の休日の様であった。
 最も愛された詩人の一人とも言われており、アメリカの最初期の「著名人」の一人である。
 ロングフェローの作品は彼の時代には広い人気を集め、現代の批評家の中には感傷的に過ぎると言う者もいるが、現代でも尚人気がある。
 その詩は親しみ易く、分かり易い題材を扱い、平明で、流麗な言葉を用いている。
 ロングフェローの詩作品がアメリカの聴衆を作り、アメリカの神話を生む事になったのである。
 ロングフェローの詩「クリスマスの鐘」は、クリスマス・キャロル「クリスマスの日に鐘の音を聞いたよ」の元になっている。
 ケンブリッジにあるロングフェローの家、ロングフェロー国定歴史サイトは、アメリカ国定歴史サイト、アメリカ国定歴史建造物、アメリカ登録歴史プレースに指定されている。 
 1906年、その3分の2縮尺の家がミネソタ州ミネアポリスのミネハナ公園に造られ、動物園の目玉的存在になった。
 又、ポートランドのダウンタウンにあるロングフェローの生家は、メイン州歴史協会によって保存・運営され、夏季のみ博物館として公開されている。

 尚、彼は以下の名言も残している。
 愛は日の光、憎しみは日陰、人生は日陰と日向の格子縞。 ("Love is sunshine, hate is shadow, life is checkered shade and sunshine.")
 間違った事の言い訳をするよりも正しい事をする方が時間がかからない。 ("It takes less time to do a thing right than explain why you did it wrong.")
 上着の綻びは直ぐ繕える。然し、きつい言葉は子供の心を傷つける。 ("A torn jacket is soon mended; but hard words bruise the heart of a child.")  悲しみは瞬時の暗闇を通って灯りから灯りへ架ける覆われた橋に過ぎない。 (" The grave is but a covered bridge Leading from light to light, through a brief darkness!")  愛が何時始まるかを知るのは難しい。愛が始まった、と知るのはそんなに難しく無い。 ("It is difficult to know at what moment love begins; it is less difficult to know that it has begun.")※
 
「常に前へ進む気力さえ失わなければ、若さは何時も向こうからついて来る」は松下幸之助の言葉である。

 ※松下 幸之助は、日本実業家発明家著述家
 パナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者である。
 異名は経営の神様
 自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP(「Peace and Happiness through Prosperity」<繁栄によって平和と幸福を>)研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。
 幸之助は、1965年に古希(70歳)を迎えた後、グループの総帥になると、ある従業員に「どうやってこの様に大きな成功を収める事が出来たのですか?」と尋ねられた。  それに対して松下は「私は天からの3つの恵みを受けて生まれた。家が貧しかった事体が弱かった事小学校迄しか進学出来無かった事と答えている。  200年かけて日本の山を2割切り崩し75000平方kmの土地を平らにした上、その土砂で四国程の面積の島を作ろうと考えていたそうな。  幸之助は奈良県五條市の智弁学園で有名な辯天宗の信者。 http://www.city.gojo.lg.jp/www/contents/1146442169604/simple/120223134117_1.gif  (只、智弁学園は二代目理事長のせいで、韓国に謝罪行脚の修学旅行をしているのは如何なものかと思うぞ)。  晩年、雑誌の取材で「何か一つ夢を叶えるとしたら何を望みますか?」と質問された所「今の全財産を渡すからもう一度二十歳に戻して欲しい。それが出来たら私はもう一度今と同じだけの財産を築いてみせる。」と答えたと言う。  又、「失敗した所で止めるから失敗になる。成功する所迄続ければ成功になる。」と言う発言は有名である。
 因みにスッポンスープが好物で冷蔵庫に常備していた。

 ・・・今迄
 「辛抱しんちゃんのブログ」
 「辛抱しんちゃんのブログ~この国の明日の為のスクランブルだ!」
 「辛抱しんちゃんのブログ2~砕いて見せるぜ悪の牙」
 「辛抱しんちゃんのブログ3~悲しみからこれ以上生まれるものはない:赤い太陽 それより赤い 胸に正義の 血潮が踊る いつもこの世は 正しい者が 勝つぞ その名は 僕等の 辛抱しんちゃん」
 「辛抱しんちゃんのブログ4~分かったら黙って俺について来い」
 「辛抱しんちゃんのブログ5~願いは誰にも撃ち落せない:強く願えば運命は きっと変えられる」
 「辛抱しんちゃんのブログ四~狼は生きろ!豚は死ね!!:男に喧嘩を売る時は、拳で来い拳で!!」
 「辛抱しんちゃんのブログ五~神は超えられない試練を人には与えない:障害を克服出来ると信じる者だけが、本当に障害を克服する事が出来る」
 「辛抱しんちゃんのブログ六~誰にも奪えないものがある。それは希望さ:行き先は言わない。その方が楽しい」
 「辛抱しんちゃんのブログ七~正しい事をしていれば必ず成功する:前途は遠い。しかして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ。
 「辛抱しんちゃんのブログ八~夢見る事が出来れば遣り遂げる事も出来る:朗らかに死んで行く為に、私は生きようと思う。」
 「辛抱しんちゃんのブログ九~胸襟秀麗:全てが失われ様とも、未だ未来が残っている」
 「辛抱しんちゃんのブログ十~運命が明かされる迄、自分の最善を尽くす:戦いに勝つのは、必ず勝とうと堅く決心した者だ
 「辛抱しんちゃんのブログ11~夢を見るから、人生は輝く:小便は済ませたか?神様にお祈りは?部屋の隅でガタガタ震えて命乞いをする準備はOK?」
 「辛抱しんちゃんのブログ12~辛抱すればこそ、成功が得られる:常に前へ進む気力さえ失わなければ、若さは何時も向こうからついて来る」
 ・・・12年か。
 12年!
 6/3/3で12年!
 コイズミ学習デスクだ!

 いっつもいっつもいっつもいっつもそうだけどさあ!
 毎年毎年本当にイイ事が無い辛抱しんちゃん。
 待てど暮らせど12年間イイ事皆無・・・ん?
 ちょっと待てや?
 
 確かに不幸のどん底で毎日毎分毎秒悲惨な目に遭ってる辛抱しんちゃんだが・・・それでも希望はある?
 これでも一軒家持ちで妻もいて男三人も息子がいる。
 四方八方敵だらけで、金もコネもバックも無いけど、その都度知恵と勇気で立ち向かって来た。
 それはそれで自画自賛出来る。
 辛抱しんちゃんと同じ運命を辿ろう者がいたら、即日発狂を覚悟してかかって欲しい・・・それぐらい絶望が毎食事に被さる人生を進んでいる。
 何で生きていられるんだろうか?
 それこそ今回の新タイトル「辛抱すればこそ、成功が得られる」事を信じているからではないだろうか?
 ブログタイトルをこうして振り返ると、やはり「希望」をアピールしている。
 それは「今は絶望のどん底にいるけど、いつか必ず希望を掴んで成功してやる」本心を強く表しているのだろう。
 「強く願えば運命は きっと変えられる」「障害を克服出来ると信じる者だけが、本当に障害を克服する事が出来る」「夢見る事が出来れば遣り遂げる事も出来る」等心中そのままだ。
 
 妻の辛抱ゆうちゃんが、年末に誕生した三男の辛抱よいちゃんが、しんちゃんに幸運を運んでくれるとか言ってくれた。
 本当にそうなら非常に嬉しい。
 
 今年の辛抱しんちゃんには如何なる困難が待ち受けているのか?
 予知能力者で無いから全く以て分からない。
 
 だから多分こうして今年も生きて行きます。

前途は遠い。
しかして暗い。
然し恐れてはならぬ。
恐れない者の前に道は開ける。
行け。
勇んで。
小さき者よ。
『小さき者へ』有島毅郎