・・・実はフグのキモはフグ調理師免許を持った調理師であっても調理も食べる事も禁じられています!

 但し・・・養殖のフグの肝を食べた事がある人曰く・・・「

やはりキチンと血抜きしてありました。
流水で1時間以上、血抜きをするそうです。
板前さんに聞いたのでは、「僅かながら毒がある」(若しくは「ある場合がある」だった?)と言っていたと思います。
味は・・・どう表現すればいいのだろうか・・・脂がたっぷりで、鮟鱇の肝に近いかも?
天然のフグちりを食べた事もありますが、肝を入れると脂で鍋が白濁します。
食べさせてくれるお店も知っていますが、フグの肝は京都の文化人がフグの毒で亡くなってから、大っぴらには出さないと思います(殆ど全ての都道府県は条例で肝を食べる事を禁止している様です)大分では、食べられる様ですよ」と。
 フグ肝は7割程度が脂質で、この油には人の必須脂肪酸であるIPA、DHAが含まれている為、口当たりも良く、 食べて太る心配は無く、食べ過ぎなければ非常に体にいい。

フグの肝料理の解禁を巡り…全国ふぐ連盟VS佐賀県 
テレビ朝日系(ANN) 5月11日(水)18時48分配信 
 フグの肝料理の解禁を巡り、激しい対立です。 
 フグの肝臓は強い毒性が含まれるとして、食品衛生法により販売や店での提供が禁止されています。
 然し、佐賀県と県内の企業は「養殖トラフグを無毒化し、検査するシステムを構築した」として販売の解禁を求めていて、10日から食品安全委員会で審議が始まりました。 これに対し、フグ料理店等が加盟する全国ふぐ連盟は「検査は十分では無い。許可するのは断固反対」としています。 

 元々フグが毒を作ってる訳じゃなく、海中のプランクトン由来の毒。
 完全に隔離出来れば、自ずと毒も無くなる筈・・・ 
 テトロドトキシンはトラフグクサフグに代表されるフグ毒の成分で、元々細菌が生産したものが、餌となるヒトデ類、貝類を通して生物濃縮され体内に蓄積されたものと考えられている。 
 フグやイモリ等の保有生物はTTXに対し高い耐性を持っている為、保有生物自身が中毒死する事は無い。
 これは自然に蓄積する濃度のTTXに耐えられると言う意味で、作用点となるイオンチャネルの形が他の動物と違うのである。
 然し人為的に高濃度のTTXを与えれば中毒する。
 テトロドトキシン (tetrodotoxin, TTX) 化学式C11H17N3O8で表され、ビブリオ属シュードモナス属等の一部の真正細菌によって生産されるアルカロイドである。
 一般にフグとして知られるが、他にアカハライモリ、(紬鯊ツムギハゼ、(豹紋蛸ヒョウモンダコ、(滑々饅頭蟹)スベスベマンジュウガニ等幾つかの生物もこの毒を持っている。
 習慣性が無い為鎮痛剤として医療に用いられる。
 分子量319.27、CAS登録番号 [4368-28-9]。
 語源はフグ科の学名 (Tetraodontidae) と毒 (toxin) の合成語である。


 ・・・河豚
 体は丸みを帯びる。
 鰓孔は1本のスリットとなり、胸鰭の前方に位置する。
 背鰭臀鰭は体後部に位置する。
 鰭に棘条は無い。
 腹鰭は無い。
 歯は上下に2本ずつで、嘴状になる
 肉食性である。
 群れを作る種は少ない。
 背鰭と臀鰭で推進力を生み出す独特の泳ぎ方をする。
 大量の水(又は空気)を飲み込み、体を膨らませる事が出来る。
 肉・内臓・卵巣等に猛毒のテトロドトキシンを蓄積する種がいる

 ※鰓(えら)
 元々生命中で誕生したとされる。
 動物が小さくて動きも鈍い内は皮膚から直接酸素を取り入れるだけで事足りていたが、やがて動物が大型化し、行動も活発になるにつれ、呼吸器としてえらが出来、小さなえらで多くの酸素を一度に取り込める様、機能的な発達をして来た。
 えらは動物の種類によって様々な形があるが、糸状や葉状、弁状の器官が沢山集まっていると言う構造は共通している。
 これは等と同じ事で、より多くの酸素を取り入れる為に表面積を増やす構造をとっていると言える。
 魚類のえらはガス交換に加え、浸透圧調節、アンモニア排出の3つの役割を果たしている。
 ヌタウナギヤツメウナギ等の無顎類では、頭部の後ろに鰓孔(さいこう)が1-7対あり、それぞれにえらを備えている。
 口腔内と鰓孔は繋がっていない。
 サメやエイ等の軟骨魚には5-7対の鰓裂がある。
 鰓裂は皮膚が背側から腹側に向かって縦に裂ける様にして形成され、口腔内と唾がって換水を行う事が出来る。
 軟骨魚類の場合は鼻の穴とは別に、目の後ろに噴水孔(ふんすいこう)と言う穴があり、ここから水が出入りする。
 水族館等で生きたエイ類を観察すると、硬骨魚の様に口をパクパクする事は無いが、目の後ろにある噴水孔が開閉するのが分かる。
 硬骨魚では1対の鰓蓋(えらぶた、さいがい)が発達し、4対のえらを覆っている。
 口と鰓蓋を交互に開閉させる事で水流を起こし、呼吸が効率良く行われる。
 硬骨魚のえらは、血管が通っている赤い弁状の器官が鰓弓に沢山並ぶ構造となっている。
 この赤い部分を一次鰓弁(さいべん)と言い、この一次鰓弁の両脇に無数の二次鰓弁と呼ばれるヒダがある。
 実際にガス交換が行われているのは、この二次鰓弁上である。
 尚、硬骨魚の鰓弁の反対側には鰓耙(さいは)という櫛状の器官がある。
 これはイワシアユ等のプランクトン食性の魚で特に長く発達しており、吸い込んだ水の中から餌のプランクトンを濾し取る役割を果たす。
 プランクトンより大きな動物を捕食するアジスズキ等の魚では、鰓耙が短く、数も少ない。
 又、魚類のえらには塩類細胞と呼ばれる細胞が多く存在する。
 これは体と水の間での浸透圧差に対抗してNaイオンやClイオン等の塩類を能動輸送する、生命維持に欠かせない細胞である。
 細胞膜上に各種のイオンチャネルポンプを備えており、能動輸送を行うエネルギーの供給装置としてミトコンドリアが多数存在する。
 この様な細胞はMRC(ミトコンドリア・リッチ・セル)とも呼ばれ、軟骨魚類の直腸腺もこれに属する。
 又、海水魚と淡水魚では塩類細胞の形が異なっている。
 海水魚では海水中へ塩分を放出し、淡水魚では逆に淡水中の塩分を積極的に取り入れ、どち等も体内の浸透圧を一定に維持するのに寄与している。
 ヒトを含む陸生脊椎動物では、えらが退化しているが、硬骨魚ではえらを形成する遺伝子が陸生脊椎動物では副甲状腺(上皮小体)を形成する事が岡部正隆等によって明らかになった。
 副甲状腺は血液中のカルシウムイオン濃度をモニターし、不足した場合にはパラトルモンと言うホルモンを放出、パラトルモンは骨に働きかけ、カルシウムイオンを放出させる。 陸生脊椎動物においては、えらの一部が副甲状腺に変化し、イオン濃度を調節すると言う機能が引き継がれている事になる。
 副甲状腺は2〜3の対を成しており、発生上もえらの変化した器官である事を反映している。
 骨は体重や筋力に耐えられなくなる迄カルシウムイオンを放出する事もある。
 体を支える機能よりカルシウムの貯蔵庫としての機能を優先させる訳である。
他方、水中ではプランクトンやデトリタスと言ったセストン(懸濁物:けんだくぶつ)を、濾過摂食繊毛粘液摂食と言う方法で食べる動物も多く、その様な動物では、えらが摂食器官としての働きも兼ねており、えらが水との接触面積を増やすのは、そち等の方でも効果が大きい。

 ・・・敵を威嚇する為河豚は体を膨らませる姿がよく知られる図:フグの形態(各部名称)
 この姿から英語では "Pufferfish" と言い、これは「膨らむ魚」と言う意味を持つ。
 胃の腹面の膨張嚢に空気や水を吸い込んで体の体積を2倍以上にする事が出来る
 腹部に棘状の短い突起がある種もいる。
 (顎歯)が良く発達しており、これが融合した強靭な4つの歯を持つ。
 主に海水魚だが、汽水や淡水に生息する種もいる。
 その愛嬌のある姿から、キャラクター化される事もままある。
 又、一般的に硬骨魚は瞼を持たないが、フグは油瞼と言う膜で目を覆っている・・・と言っても瞬間的に開閉するものでは無く十数秒かけてゆっくりと閉じたり開いたりする。

 ・・・早い話ふぐは、自分の体内で、毒を作りません!
 ふぐは、毒のあるエサを食べても、大丈夫な体で、その毒を体内で溜めます。
 だから、餌が管理されている養殖ふぐには、毒が無いと言われます。
 色々な餌を食べる天然のふぐは毒の量にも個体差があります。
 ふぐも種別によって、毒のある部位が違います。
 それとフグの肝は猛毒がありますが、カワフグ、サバフグと言う種類のフグは致死量に至らない毒性だそうです。

 江戸時代から「フグは食いたし命は惜しし」と言われる様に、古くから美食として知られるフグ。

養殖で毒性の無いふぐが市場に出回り、肝も食べれる様になれば、それが得も言われぬ旨さであるとすれば、是非共食べてみたい。
 現在では条例が無い大分県に行かないと食べられそうもない。
 フォアグラと味が似ている上に、栄養価がフォアグラ以上である河豚の肝。
 白子も上手くフグ刺しも旨いと来れば、河豚の肝も相当旨いと想像しますが如何でしょうか・・・?

 追伸「河豚食わぬ非常識」:北大路魯山人http://www.tougei-web.com/webdata/uploads/2014/04/10/2014041000000886302418.jpg
 ふぐを恐ろしがって食わぬ者は、「ふぐは食いたし命は惜しし」の 古諺 こげん に引っかかって味覚上とんだ損失をしている。
 その論拠の価値を極めもせずに、うかうか古諺に釣り込まれ惜しくも無知的判断から、嫌々常識的判断から震え上がりその実、常識を失っている。
 これ等に向かって我々が冬季常食する天下唯一の美味、 摩訶 まか 不思議の絶味であるふぐの料理が、聊(いささ)かの危険性なき事実を 諄々 じゅんじゅん 力説してみても、その確実を容易に信じようとはしない。
 所謂先入主に 囚 とら われて頑として動こうとしない。
 ふぐと言うもの、如何せん人命を奪う毒素があり、例えば十中の三位は確実に中毒しまったく命に関わると決まっている時にこそ「ふぐは食いたし命は惜しし」が岐路に立って迷う人の為に、時に善き教訓となり、危うく人の生命を守り得る寸鉄の働きと……ならんでも無いが、この頃の様にふぐの安全料理が確立して、全く危険が取り除かれた時においては、「ふぐは食いたし命は惜しし」は、寸鉄としての価値を失うばかりか、無益に人を恐怖さす所の戯言にしか当たらない。
 しかのみならず、人の口福を拘束する余計な失言であるともいい得られる。
 誰が言ったか、何時どんな時代に出来た 諷刺 ふうし だか判明しない。
 「ふぐは食いたし命は惜しし」に訳も無く 囚 とりこ になって、それが為に却って目前の体験実際が物語る安全を信じられないと言う事は不甲斐ないばかりか、非常識でもあり、余りにも 迂遠 うえん な事として恥ずかしい。 飛行機に乗る事が冒険である……これは肯定出来得る。
 是非を顧みる暇も無い程の急用が無い限り、悪戯に飛行する事は決して当を得た常識とは認め難い。
 然し今日のふぐ料理は絶対安全と言って差し支えない迄の成績が挙がっている。
 この時安心して天下唯一の美味に親しんでみる事は決して徒事では無いと思われるのである。
 何でもかでも、海から山から捕えて食べ物と成す人間としての当たり前の行事と言えよう。
 それもたいやはもの旨さ、鰻や天麩羅の旨さ、海鼠腸(このわた)や唐墨の旨さ、鮎や穴子の旨さ、松茸やシメジの旨さ、ウドやぜんまいの旨さ、蕎麦や素麺の旨さ、鼈(すっぽん)や山椒魚の旨さ、若狭の 一 ひ と塩、石狩の新巻、或いは 燕巣 えんそう 、或いは銀耳、 鵞鳥 がちょう の肝、キャビア、まあそんなものの旨さに似た程度の旨さであるならば、私は敢えてがたがたする人々に態々(わざわざ) 笞 むち 打って迄ふぐの 提灯 ちょうちん 持ちなんかしやしない。
 ふぐの旨さと言うものは実際絶対的のものだ。
 ふぐの代用になる美食は私の知る限りこの世の中には無い。
 私は人が何と思おうと構わぬ気で告白するが、今日私程美食に体験を持っている人間は世間に殆ど無い。
 朝から晩迄、何十年来片時も欠かさず美食の実験に浸っている。
 全く私の様な者は先ず無いと信じられる。
 この点では 僭越 せんえつ ながら世上広しと雖(いえど)も、自分は美食家として唯一とは言わないが 稀有 けう の存在であると信じている。
 元よりそれが善事とも悪事とも思わない事、勿論だ。
 偉い事とも思わねば、馬鹿な所業だとも思わぬ。
 只そう言う風に生まれ合わして来ただけだと思っている迄ではあるが。
 兎に角、誰が何と言っても美食没頭の体験においては人後に落ちない自信を有している。
 従って、あらゆる美食を尽くしていると告白するに 躊躇 ちゅうちょ しない。
 この日夜飽くなき美食何十年の実際生活を基本として至公至平に判断する時、ふぐは絶味も絶味、他の何物にも 処 ところ を異にすると断言して憚らないのである。
 由来毒をもって鳴るこのふぐなるものも料理に法を得れば何ら 危惧 きぐ 無くして、口福を満たされる事は前申す通りだ。
 しかも、この頃の様に下関から飛行機その他で自由に取り寄せられ、或いは下関そのままのふぐ料理屋が東京に少なからず散在する際だから、この美食恵沢に未だ出合わない薄幸者は一生の不覚を悔に残さぬ様、翻然何をおいても先ずふぐ料理の美味を試むべきである。
 そして、その飽喫から得た自覚を振り翳して初めて美食美味を語るべきだ。
 下関人の話によれば下関、 馬関 ばかん 、広島、別府方面におけるふぐの商い高は年々六十万円を下らないと誇る。
 これを話半分にして三十万円のふぐが年々人の口に入る訳だ。
 それが一人前最高の五円当たりにして六万人分であるから一人前一円くらいから商う料理店等を加えて口数を想像する時、話半分の三十万円から概算しても、尚且つ、十万人分くらいにはなる筈である。
 これだけのものを商う料理屋、その他専門店等のふぐ料理からは一人の中毒者さえ出した事が無いと言って又誇る。
 これは私は信じてやって良いとする者である。
 然して、この危険なき実際状態を目撃し体験する者からは、最早、常識上仮初(かりそめ)にもその不安に駆られて良い訳合いのものでは無いと言う結論が生まれる訳だ。
 ふぐを料理する法と言っても実はそ難しいものでは無い。
 生きたるふぐを条件としてただ肉中骨中の血液を点滴残さず去る事のみの仕事と解して良い。
 だが、何だと言って軽々に取り扱う気になる蛮勇は止めて貰いたいが、それには何をおいても先ず下関、馬関、別府等、本場の専門的庖丁人によって作られたものを食うと言う常識を必要とする。
 死んだふぐを料理しては危険のある場合が多い。
 又、素人料理にうかうか安心してはいけない。
 ふぐによって命を失ったと言う話の全部が全部、素人庖丁の無知が原因となっている事を銘記する必要がある。
 価の安い場合にも注意すべきだ。
底本:「魯山人の美食手帖」グルメ文庫、角川春樹事務所   2008(平成20)年4月18日第1刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房   1993(平成5)年発行
初出:「星岡」   1935(昭和10)年
 因みに北大路魯山人って、大山椒魚を煮込んで食ったり、タニシを生煮えで食ったり、日本猿の肉を食ったり、朝鮮半島に渡ってを食ったりと、凄まじく食の幅が広い食通として知られる、マジで、だそうな。
 又、主に自らが主宰する料亭「星岡茶寮」が発行するミニコミ誌「星岡」等で多くの美術論・時評をぶち上げているのだが、その殆どが古美術(とパトロンの書蹟)を礼賛し、同時代の美術作家をディスり捲るものであり、そんな人のエッセイですよとフィルターをかけて読んだ方が宜しいかも?