社会のなかには色々な考えの人間がいる。それが楽しい、それぞれが考えていることを完全に理解することは当然できずに、でもどういった考え方の人間なのか、理解しながら信頼関係を築きながら日々暮らしており、様々なコミュニティや、長く付き合うことができる人間との出会いがある。
みんな良くも悪くも違い、欠点と思われるような部分を持つ人間もいる、というかみんなあるはずで、私もいっぱいある。本当の悪人はいないと思っている。少なくとも出会ったことがなかった。
ただそういう人間は稀にいるかもしれないが、生きる年数を重ねていく毎に何かしらの理由から排除され、いたって一般的?という年月の重ね方をした自分とは交わっていないだけだとも思う。
でも生まれて初めてそれを覆す人間に出会ってしまった。これが確率論の事例みたいなものなのだろうか。本来であれば起こり得ないような確率を掻い潜り、その人間と接しなければいけなくなってしまった。
これは客観的に見れていない、当事者として冷静さを失っているのではないかと何度も考えたがおそらくかなり妥当な見方をしていると思う。ありえない。こういう人間が間違いであっても人の上にたつことは許されない。組織の問題でもあるが
俺はずっとサラリーマンとして働くことに違和感を感じてきた

しかもそう思いながらも日々過ぎ去っていき

気付けば10年以上の時間を過ごした

同じことを思いながら

何故できないのか

自信がないから

真剣に考えてこなかったから

要はただの愚痴、現実逃避みたいなものな気がする

でもこれだけの時間を過ごし、自分の人生の終わりまでの時間は刻一刻と減っている

これは事実

ついに今日初めて掲げる目標は

向こう一年で自分が起業できるのか判断すること

これについてはあくまで起業するのではない

自分が徹底的にこの1年は考えぬいて、
自分には起業して勝算があるのかを見定めることにしたい

これは達成可能な目標だ

内容的にも
時間的にも

この結果、、、もし勝算があるなら起業する準備段階に入りたい

もし勝算がないと判断したなら定年までは少なくともサラリーマンとして過ごす覚悟をしようと思う

これはあくまでも自分の決意表明

忘れぬようここに残しておくことにする

これで自分がどのような人間なのか

俯瞰することができる気がする
サラリーマンはやっぱりつらいよなー

こんな人間的に終わってるやつにつかえてもそいつに評価されなあかんし

やっぱり運やなーと思うわー

そういう意味ではほどほどにやっとかなあかんなーとおもうわ

真剣にやるもんじゃない

業績はな

目の前にいる相手には真剣に向き合ってる自信はあるけど

誰よりも

でもやっぱりクズにつかえるのは嫌やわ