社会のなかには色々な考えの人間がいる。それが楽しい、それぞれが考えていることを完全に理解することは当然できずに、でもどういった考え方の人間なのか、理解しながら信頼関係を築きながら日々暮らしており、様々なコミュニティや、長く付き合うことができる人間との出会いがある。
みんな良くも悪くも違い、欠点と思われるような部分を持つ人間もいる、というかみんなあるはずで、私もいっぱいある。本当の悪人はいないと思っている。少なくとも出会ったことがなかった。
ただそういう人間は稀にいるかもしれないが、生きる年数を重ねていく毎に何かしらの理由から排除され、いたって一般的?という年月の重ね方をした自分とは交わっていないだけだとも思う。
でも生まれて初めてそれを覆す人間に出会ってしまった。これが確率論の事例みたいなものなのだろうか。本来であれば起こり得ないような確率を掻い潜り、その人間と接しなければいけなくなってしまった。
これは客観的に見れていない、当事者として冷静さを失っているのではないかと何度も考えたがおそらくかなり妥当な見方をしていると思う。ありえない。こういう人間が間違いであっても人の上にたつことは許されない。組織の問題でもあるが
みんな良くも悪くも違い、欠点と思われるような部分を持つ人間もいる、というかみんなあるはずで、私もいっぱいある。本当の悪人はいないと思っている。少なくとも出会ったことがなかった。
ただそういう人間は稀にいるかもしれないが、生きる年数を重ねていく毎に何かしらの理由から排除され、いたって一般的?という年月の重ね方をした自分とは交わっていないだけだとも思う。
でも生まれて初めてそれを覆す人間に出会ってしまった。これが確率論の事例みたいなものなのだろうか。本来であれば起こり得ないような確率を掻い潜り、その人間と接しなければいけなくなってしまった。
これは客観的に見れていない、当事者として冷静さを失っているのではないかと何度も考えたがおそらくかなり妥当な見方をしていると思う。ありえない。こういう人間が間違いであっても人の上にたつことは許されない。組織の問題でもあるが