こどもは本当に純粋で、かわいらしい。


今もし、家族がいなければ色々と判断が大きく変わっていただろうとふとした瞬間に思う。


こどもの成長が親の生き甲斐になるのはよく分かる。


限られた時間の使い方を考えた時にどうしてもそこに気持ちがいく。

それを繋いでいくものなのだろう。


自分の幸せが家族の幸せになれば、欲の半分は消えたようなもので、1段階人間として丸くなるんだろうな。


周りでもやっぱりみんなどんどんと角がとれて丸くなっているような気がする。


どう生きたいか


何を大切にしたいか


何が幸せか

我慢する気はないが、何とか年を越すことができた。


今もやる気はゼロに近い


今は仕事に必死についていくというよりは仕事は最低限でこなし、自分の気持ちとたたかっている。


どうすればモチベーションがあげられるのか、どうすれば将来への期待感がもてるのかを模索している。


そういう意味ではまだ別の選択肢は出していないということか。

逃げずに頑張ることとは、、、


何のために頑張るのか、、、


頑張る理由、、、


それぞれ違うと思うが、難しい。


仕事によって得られるもの、、、


まずは金銭的な収入、これは確かに必要ではある。


しかし、これだけでは僕は働けない。それ以上のものがあると知ってしまっているから。


知らなければそうは思わないかもしれないが、、、もう知ってしまっている。人とのコミュニケーションによって得られるものを。


使い方のニュアンスは少し違うがまさに知らぬが仏。


例え年長者であっても働く意味や、そこから得られるものを理解していない人も多い。


そういう人とは全く感覚が一致しない。


そこの溝を埋めるには追い付いてきてもらうしかないが、それはできないだろうな、、、この現実的な諦め感が今の自分のモチベーションに繋がっているのは確実だ、、、