たのもー!!
札幌のコーチング&カウンセラー まさかなんてんです。
札幌の桜、満開です~。美しい春を、味わってます♡ウキウキ~♡
札幌の花見は、ジンギスカンの香りとともに。お外でジンギスカンが食べられる幸せ。ほほ。
さて、
母の愚痴を聞くのが、苦痛…に感じてる人に。
「聞かなきゃいいじゃん」とアドバイスされて
「うむむ…」となったことはありませんか?
私は、あります。
聞かなければいいと言われて、「だって、だって…」となってしまう。
「それを聞いてあげるのが、親孝行でしょ」と言われた日にゃあ、
がっかりですよ。
ある日、こんな人に会いました。
「私はね、12歳の時に、母親にはっきり言ったよ。近所の人のことや、お父さんのこと、私は一切聞きたくないって。言わないでねって。私に言ってもどうしようもないからね。ってさ」
もちろん、「冷たい」って言われたそうですが、キッパリと言いきったとか。
キッパリできる人もいえれば、でもでも…でやめられずに聞き続けてしまう人もいるんですよね。
私だって、何度か抵抗したことあるんです。
「聞きたくない」
「私に言われても、どうしようもない」
でもね、そのたびに、母に大暴れされる。
私の罪悪感がビンビンに反応して、同じことの繰り返し。でした。
「あんたは、冷たい人間だ!」って言われるのが、苦しかったから。
私は、小学生のころから、母の愚痴の聞き役をしてきました。
「嫌だなー」って思うようになったのは、高校生くらいの頃から。
それまでは、嫌だと思っていなかったんです。
むしろね、誇りに思ってました。
「私は、お母さんの役に立ってる!」って。
母の話し相手になれていることで、認められてるなーって、喜んでたんです。
前回の尾木ママの番組で、長女ちゃんたちが、お母さんに「こっちみてー」って切ないほど思ってるのをみて、思い出しました。
私も、長女。長子。
もの心ついた時から、「お母さん、こっちみてー」と感じてました。
母の話相手をすることは、お母さんが思い切りこっち向いててくれること。
子供だった私は、この役割に幸せを感じてたんですね。
話って、ほとんどが愚痴や悪口という、ゴミみたいなもんだったんですけどね。
お母さんの愚痴の聞き役、やめたいけど、できない…
だって、だって、
お母さんが怒っちゃうから、面倒…
冷たい人間になりたくないし…
周りの人から非難されちゃうし…
私が助けてあげなくちゃ…
《できない》ということは、《したくない》から。
愚痴の聞き役をやめないのは、何があるの?
それって、
お母さんに、認めてほしいって思ってるからかも。
「いい子ね」
「役に立つ子ね」
「あなたがいて良かった」
愚痴を聞いてあげたら、愛されてるということを確認できるからかも。
でもね、
それって、本当にあなたを幸せにしてくれる愛情なのかな?
愚痴を聞くって、ゴミ箱になること。苦痛で当然。
その苦痛と引き換えの、愛情って、本物??
何かと引き換えにしなくちゃいけない愛情だったとしたら、
本当は、無くても大丈夫なのかもしれません。
愚痴だけじゃなく、
理不尽ないろんな要求なんかも、「お母さんの愛」「愛される私」と引き換えにしてるかも?
お母さんの愛情がほしかったんだ、お母さんに認めて欲しかったんだって気づく。
「愛情がもらえるはずだ。愛情を注いでもらうべきだ。」って思い込んでるからこそ、執着してしまう。
お母さんから、愛されない子になるのが、怖い…。
その「執着」、手放してみませんか?
「お母さんから、思うように愛情を注いでもらわなくても、大丈夫」かもしれない。
怖いけど、
一歩踏み出すことで、新しい自分や世界に出会えるはず。
悲しくて、苦しいけれど、
きっと、乗り越えていけるはずですよ!
せいやっっ!!