たのもー!!
札幌のコーチング&カウンセラー まさかなんてんです。
今日は、なんてんの思ったことをつれづれなるままに、綴ります。
あの宗教団体が、大きな事件を起こしてから20年たちますね。
衝撃的でした。日本で、宗教テロがおこる。
忘れてはいけない事件。
温故知新。
あの事件から、あの悲劇から、振り返ることで学ぶことがあると思います。
こないだは、あの宗教に子供が入信し、教団と戦った親御さんの再現ドラマが放送されてました。
(永島さんが主演でした)
息子が教団にのめり込んでいく。その最初の段階で、お父さんはこう感じます。
「反抗的な態度に驚いた。それまでは素直なコだった」
やがて、どっぷりと教団にはまった息子を説得しようとした時、『軽蔑した目』を見て、お父さんは、見下されたと感じます。
その時、息子の口からはあの教祖を「素晴らしい、尊敬出来る人」という言葉が出ます。
このお父さんは、いわゆる企業戦士のように設定されてました。
時代はバブル。世の中はもうけてなんぼ。
お父さんは、利益をあげることこそが、幸せだと信じていた世代だったのでしょう。
また、父は強く子供の上に君臨するべき存在という価値観が当たり前だった世代でもあります。
私が、気になったのは、子供が「素直、反抗的じゃない」というところです。
子育て論でよく語られるのは、【反抗期は必要なもの】。
子供が、自分というものを確立し、親の付属から精神的に独立していく。親から離れていくのに必要な心の成長です。
反抗期がないと、上手に親から離れていくこと、自立すること、大人になるめのステップがうまくいかないということなります。
で、この教団にハマった息子は、どうでしょう?
教団にハマり、反対する親を振り切ることで、反抗はしたかもしれません。
でも、それは、自立するための、大人になるための反抗だったのでしょうか?
私は、そう思えないのです。
だって、彼は親の代わりに、教団や、あの教祖を名乗っていた人間に依存してるからです。
反抗のようにみえるけど、偽物にみえます。
なぜ、反抗期がなかったのか?反抗するという力が育たたなかったのか?
反抗できるだけの絆がなかったのじゃないか?
反抗できるだけの信頼がなかったのじゃないか?
(ご両親を責めるつもりはないのです。いろんなことが作用しての結果だったのだから)
親から、愛されてると実感する。
その心が、反抗出来るだけの力を育てるのではないでしょうか。
(※逆に、愛さてれてるという実感をもつことで、反抗期がなくても自立できるケースもありあます。目指したいところですね)
親からの愛を十分に感じられなかった。(親はそのつもりじゃなくても)
一人の人間として、本当に自立する、自分で納得できる幸せを手に入れることができないことが、最大の問題なのではないかと、感じたしだいであります。