クリスマス・イヴではございますが、今夜も旅行記の続き。「お寺」のお話を書きます。

 

2022年「秋燃ゆる京都6連泊旅行」3日目 その2は、「私の百寺巡礼」と題して、私がライフワークとして行っている参拝の「第二十番目」のお寺として「二尊院」を訪問したときの模様を記録としてまとめています。

 

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「百寺巡礼」。

作家の五木寛之さんがかつて二年間をかけて、全国の百の古刹・名刹を訪ねるということを成し遂げられました。

それらは書籍化だけでなく、放映もされて、当時私の心を揺さぶりました。

 

その足跡を追う旅が始まったのが2018年11月。

題して「私の百寺巡礼」

 

この旅の終わりにいったいどんな風景が見えてくるのでしょうか。

それを探しに今日も歩きます。

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「京都で一番よかったところはどこですか?」

京都に訪ねる機会が多くなったせいか、もしくはこのブログを見てくださった方から、この質問を受けることが多くなりました。

答えは・・・

「どこが一番なんてとても決められまへん。どこもかしこも好きやわ」です。

 

ただこの旅が短い日数だとして、「ここだけは訪ねて帰りたいところは?」と聞かれると、「哲学の道」か、ここ嵯峨野の「竹林の道」と答えると思います。

 

短く太くだったかもしれませんが、これまでの仕事や暮らしの中で擦り減らしたものがたくさんありました。

立ち止まると、そういうものがたくさんあったことにより気づかされます。

かと言って走り続けていれば、倒れて起き上がれなくなるまで走っていたのでしょうか。現実に20代でも、30代でも、さらに懲りずに40代でも「過労」や「病気」で倒れていました。

この旅もそうだし、「人生」もそうですね。シナリオどおりになんていきません。

今はただ今を見つめ、癒しをくれるこの場所に出会えたご縁に感謝して歩くだけです。

 

「天龍寺」の北門を出ると、そこはそんな私の安らぎの地。

 

今日も風のささやきを、木々の揺れの中に求めて歩きます。

 

以前は、この観光地に私ひとりきりという時もありました。

 

自分も訪れているんだからお互い様ですが、人がどうしても写ってしまってイメージしている構図が決まらなければ、立ち止まって空を見上げるのもよいです。

 

人の流れに逆らうのではなく、かと言って流れに押されるでもなく、ちょっと傍らに避けて少しだけ立ち止まる。それだけで自分にしか見えない世界が見えてくるような。

 

この私にとっての「竹林ワクチン」はあと何か月くらいもつのかでしょうか。来春にはまた必要になりそうかな・・・。

 

「竹林の道」を抜けると、「トロッコ嵐山駅」。

紅葉の絶景を駆け抜けるトロッコ列車は、また妻と来られたときのお楽しみにします。

 

駅のすぐそばには「小倉池」です。夏に訪れたときは、咲き誇る「蓮の花」に圧倒され、感動したことを思い出します。

いつかそちらの写真も整理しておきたいと思います。

 

そのほとりに小さな社が。

 

「髪」の「神さま」です。

 

毎度お参りしていたせいか、効果あったみたい。今日もお礼を。

 

 

 

 

 

 

 

「常寂光寺」門前。参拝を少し迷いましたが、足の筋肉がだいぶんやられてきていたので、急な階段を上る自信がなく、この日は門前からお礼を。

経験が増えると、未知への挑戦を減らしますね。

 

この季節、嵯峨野路にも賑わいが戻ってきましたね。

 

初めて訪れてから40年近くになるのでしょうが、変わらないこの景色にいつもほっとさせられます。

 

「落柿舎」の葉っぱも散り、「柿」だけが残っていました。

 

さて、楽しみにしていた「二尊院」門前に到着です。「百寺巡礼」の放送で知ったお寺。初参拝ですっかりお気に入りのお寺となってしまいました。

このお寺に私は四つの「ワクワク」があります。

 

一昨日の大雨でかなり落葉したようですが、私には紅葉に出会えただけで十分。

 

近年、「花手水」にも力を入れていらっしゃるとのことで、門を入ってすぐ、早速「おもてなし」を受けることができました。

 

「紅葉の馬場」と呼ばれる緩やかな階段。ここを五木寛之さんがゆっくりと一歩ずつ踏みしめて上がる様子をテレビで拝見したとき以来、こちらのすっかりファンになりました。

 

 

石の間から湧き出る水にも、紅葉たちは集い美しく散っていました。

 

「唐門」からご本堂を。天皇の意思を伝える「勅使」が訪れたときだけ使用したので「勅使門」とも呼ばれるそうです。

 

「法然廟」へと続く長い階段。上から見る市内の景色も絶景なのですが、足の痛みとあいにくの天気のせいにしてこの日はここまでに。遠くから見る「紅葉」のグラデーションがとても綺麗でした。

 

「鐘楼」は行列でした。嵯峨野の山あいにひっそり佇む「二尊院」ならではと言えるでしょうか。数ある京都のお寺の中でも参拝者が鐘を撞いてもいいというお寺にはなかなか出会わないものです。

志納金を入れて私も、ご挨拶代わりに一打を。

これが一つ目の「ワクワク」です。

 

季節をまとった「花手水」に感激です。

 

二つ目の「ワクワク」は、毎回季節ごとに違う風景を見せてくださるこの「花手水」でした。

 

「阿弥陀如来」「釈迦如来」「二尊」が並んで私たちを迎えてくださるご本堂にお参りを済ませ、ご本堂まわりの廊下を巡れば、そこにも「花手水」です。

 

 

 

 

「釈迦如来」はこの世の人々を苦悩から救い、浄土へ送り出します。そして「阿弥陀如来」は来る者をやさしく浄土へ迎え入れる。そんな姿かたちがそっくりな二体のご本尊にいつも魅入られて、なかなか本堂を去りがたい気持ちになります。

三つ目の「ワクワク」は、「二尊」さまです。

 

クリスマスイヴの夜にお釈迦さまのお話になってしまいましたね。

 

ならば、「甘いもの」のお話に変えましょう。

「二尊院」の山号は「小倉山」

おなじみの「小倉百人一首」の発祥の地であると同時に、この「小倉餡(あん)」発祥の地でもあったのです。

 

小倉餡は、平安時代に「空海」が中国から持ち帰った小豆が小倉の里で栽培され、「菓子職人 和三郎」が嵯峨天皇より賜った砂糖で煮詰め、朝廷に献上したのが始まり。

この地で日本で初めて栽培されていた「小倉大納言小豆」を、「井筒八ッ橋本舗」が現在に蘇らせ、全国へ広がったそうで、

みんな大好きな「スイーツ」の原点がこの地にあったとは、初参拝のときにこちらを訪れるまで、全く私も知りませんでした。

 

 

次々と参拝客が訪れていました。ご本堂を後にすると・・・。

 

何と東の方の空が晴れてきました。この旅で初めての青空を見たような。

 

 

「総門」へと続くなだらかな階段は本当に美しく。落葉集めのブロアー作業もほぼ終わっていました。

また「散りもみじ」もいつか見られますように。

 

西の空には分厚い雲が残っていましたが、お日様も一瞬顔を出してくれました。

 

 

四つ目の「ワクワク」へ。

門前の茶所、「四季庵」さんです。「井筒八ッ橋本舗」さんが、現在は桜と紅葉の季節だけ営業しているお店です。

「小倉餡」発祥の地ですからね。このお店が開いているときは必ずそう言い訳をしつつ、寄らせていただいてます。

もちろん「小倉ぜんざいセット」を注文します。

 

お餅が焼ける間、「八つ橋」をサービスしていただけます。「生八つ橋」全盛の昨今、このニッキの香りの利いた固い「八つ橋」は懐かしい。

昔は京都土産の定番過ぎて、会社の同僚からのお土産のリクエストは「八つ橋じゃないもの」、なんて言われていたこともあったけど、やはり「京都で食べる懐かしの京都の味」に叶うものはないです。 (紅葉の葉は私の演出です。)

 

待ってました。熱々の「ぜんざい」。この日は朝は冷え込みましたが、午後はだいぶん暖かくなってきたので、この外のお席で馬場の階段の景色とともに美味しくいただきました。

(紅葉の葉は私の演出です。)

 

「四季庵」といいつつ、今は「二季」の営業のこちらのお店。

お話し好きのお店の方とのお話もつい盛り上がってしまう私。春に初めてお会いしましたが、覚えていただいていたのも嬉しくて。

「ひとり旅」だと「会話」をしていないので、ついつい話し過ぎてしまうのですが、今回も「嵯峨野」のお話から大好きな「ナベサダ」さんのお話まで楽しいお話をありがとうございました。

 

今季の営業日も、この日を含めてあと「4日間」ということをお聞きして、来春の再会までお互い元気でいましょう、とお別れしました。小倉餡が結んでくれたご縁に感謝です。

 

お店は、この総門を入ったすぐ左手にあります。

年間でもほんの何日かしかチャンスのない、「小倉餡」発祥の地での「ぜんざい」の「甘い思い出」

 

この後、お店の方が「ぜひ行ってみて」と勧めてくださったお寺に向かいます。

 

旅の三日目、「嵐山・嵯峨野」の旅は続きますパー