MF93番大村渚紗です。

まず初めに先日の全日またそれまでの試合でのたくさんの応援ありがとうございました。応援の力があって全日まで勝ち進むことができました。重ねて感謝申し上げます。

引退してからは、やることがなくてリーグを見返したり、みんなの動画をもう一回見たりして、、ラクロスみんなでやることはないんだなとしみじみと実感しています。点決めてみんなで抱き合ったり、試合勝った後のグダグダな校歌だったりもないのかと寂しい気持ちでいっぱいです。

ここからは私の4年間と、4年間を通して伝えたいことの二つに分けて書きたいと思います。簡潔にまとめるのが苦手なので、長い文章で且つ、個人的なネガティブな話ばかりになると思いますが読んでくださると嬉しいです。


私は1年生の10月30日にラクロス部に入部しました。
同期のプレーヤーとしては最後の入部でした。最初に入部した部員からはおそらく約半年遅れでした。(途中入部組は私の少し前、ふみよその少し前にすずのとなつき、私の一年後にまりもかな?)日体に入るからには全力で何かに取り組みたいと思い、「日本一」「初心者から日本代表」という言葉に惹かれて入部を決めました。それまで約11年間バスケを続けていた私にとって、新しい競技に触れるのは小学校2年生以来のことでとても新鮮でした。
同期の育成練習や全体練習を横目に見ながら端で練習をしていたのは懐かしい思い出です。練習を抜けて教えてくださった上級生や育成のみなさん、てんさんにマンツーマンで教えて頂けた環境は途中入部ながら恵まれていました。本当にありがとうございました。


入部して少し経つと21日体になりました。最強の代です。
個人的にはこの一年はずっとスパークとブーストの間を行き来していました。レベル分けという言葉が嫌いになったのはこの頃です。毎週日曜日の夜のチーム発表の通知に怯え、ただストレスでした。とにかく連絡を待つ時間が憂鬱でした。(変動があると気まずいのでその時間誰かといないようにしていました笑)
シーズン後半になるとありがたいことにスパークに上げていただき、準リーグ、Vリーグで試合に出ることができました。(全試合が終わったあとブーストに落ちたのも今となってはいい思い出です笑)
 21トップは学生日本一になりました。全日では惜しくも敗れてしまいましたが、大きな舞台で活躍する選手を見て、自分のいつかあの舞台に立ちたいという強い憧れを抱き、シーズンを終えました。



そして22日体が始動しました。
正直、4年間で一番悩んだ年だったかもしれません。
メインだった4年生がごっそり抜けて「今年こそは自分が!!」と意気込んでいたからこそ、理想と現実とのギャップに苦しんだ年でした。
代初めのレベル分けではトップとスパークのローテーションでした。結局トップには上がれたものの、出場時間0秒のブルーフェスを経て、スパークのスーパーカップに出るという描いていた理想とは異なるスタートでした。
一緒にトップから派遣されたトイさんアムさんと見返してやろうねと話して鼓舞しあって、、その節は本当にお世話になりました。
きっと扱いにくかっただろう私を受け入れてくれたスパークの上級生、同期には感謝しかありません。おかげでスーパーカップは最高の思い出になりました。
(四年間で楽しかった合宿上位ではないかってくらい楽しくて、、試合で勝ったことはもちろん、みんなでするお昼寝、カラスに襲われたお弁当や夜のじゃんけんアイス大会、濃かったね。本当に忘れられない思い出です)


 帰ってきてトップに戻りましたがうまくいかず、コロナに感染し開幕戦に出られなくなり、腰痛に悩まされ、、この年のリーグ戦はあまりいい思い出がないので割愛^ ^
22トップはFinal4まで進みました。逆転負けはしたものの立教戦での選手のプレーは本当にかっこよかった。だからこそ活躍する同期や上級生をベンチから羨ましく思いながら、試合に出られない現実が本当に悔しかった。Final4はベンチに入るものの出場できず、終わりました。
振り返れば、とにかく自分のことで頭がいっぱいの一年でした。なぜ自分は出られないのかとコーチにたびたび聞きに行っていたほどです笑。自分より他人に矢印を向けまくっていた、今となれば、自分を客観視できていない人間が出ることができるわけないです。技術的も精神的にも試合に出られる器ではなかったのかなと今は思います笑。


悔しい思いを抱え、23日体になりました。
最初のコーチとの面談で「今年はサアヤ、スズノに続いてMFとしての立場を確立する」そう話して始まった今季。今年は日本一をとる自信がありました。去年リーグで大活躍していた同期がたくさんいたから!ついていけば間違いないと思っていました。
ただ、アクシデントが起きました。スズノの怪我です。本当にショックでした。一番欠けると思っていなかった人が欠け、1からのチーム作りになりました。
スズノはうまくいけばFinal4で復帰できる。そんな話を聞いたときに日本一になりたい、勝ち進みたい理由に「もう一回一緒に試合に出たい」が増えました。
でも予選をスズノなしで突破できるのか、、、
正直不安しかなかった。同じMFとして空いた穴を少しでも埋めることはできないかと自分のキャパを超えたことを勝手に考えすぎているから、自分のプレーもうまくいかない。初期の練習試合では絶不調でした。正直何もした覚えがありません。MFとしての立場を確立するはずが、「やばいねナギサ」と幹部で話題に上がってしまっていました。(最近知りました笑)
それでもどうにか抜け出したかったので、まずは自分が1on1かけてゴールに向かわないと始まらないって考えてからは不調を抜けた?と思います。徐々に調子を戻し(絶好調の練習試合のNeo戦を経て、教育実習のストレスで激太りし、、)リーグが始まりました。

初戦ドキドキで苦戦した早稲田戦、有観客のホーム戦でたくさんの応援に後押しされた東海戦、同じくホームでBやりすぎて脚が攣った法政戦と順調に勝ち進み、迎えた立教戦。ここがチームのターニングポイントでした。(前回のブログで書いたので割愛します)この後に続く試合に勝ち切れたのもこの負けがあったからこそだったと思います。
後がない農大戦もギリギリでしたがなんとか勝ってFinal4進出。待望のスズノが帰ってきてFinal4突破。勢いそのままに二度目の立教を倒し、関東優勝。

全国の試合ではスポーツマンシップという言葉に囚われたり、、喉をおかしくした謎のホテルや、ごみの捨てられない(まるで刑務所の)山奥の謎ホテルに泊まったり、、多くの試練を乗り越え、勝ち進み全国優勝。最高の瞬間でした。



しかし全日決勝ではNeoにボコボコにされました。また足は攣るし、全く歯が立たなかった。完敗でした。


ただ、どこよりも長くラクロスをする、1月14日までラクロスをするという目標を達成できたこと、嬉しかったし本当に楽しかった。最後まで楽しんでラクロスできました。





振り返るとキリがないので4年間の振り返りはこの辺にします。


さて、引退ブログということで最後に伝えたいことがあります。
私たちは学生日本一を二回味わいました。私自身はというと一回目は応援席で、二回目はフィールドで味わいました。
正直一度目の日本一は未だに実感がありません。フィールドに立っている上級生や同期は「109人でとった日本一」とか言っていたけれど、当時(今も)私は性格がひん曲がっていたので「そんなわけない、うまいトップの人たちがとった日本一で、トップだけ別」くらいには思っていました笑。
今年フィールドに立って学生日本一をとりました。取ってから思います。トップチームだけでは不可能です。勝っていても負けていても、いつも盛り上げてくれたから、全員の力で取れました。間違いなく日体のラクロス部全員の学生日本一でした。


でも、この二回の日本一は私にとって重みが違う。
もちろん全員の日本一には違いないですが、トップだけがとった日本一だと思われてもしょうがないです。
実際に2年前、私も思っていました。日体ってどのくらい強いの??って誰かに聞かれたとき胸を張って「日本一」とは言えなかった。私は何もしていないし、自分のチームのことだと、自分のことだとはとても思えなかった。同じチームだけど“違う集団”が成し遂げたことだと思っていました。
でも今は日本一だと胸を張って言えます。フィールドであの歓喜を味わったから、間違いなく私たちが学生日本一です。

2回の日本一を味わったからこそ思います。
フィールドで日本一を味わって欲しい。自分の力で日本一を掴み取って、堂々と胸張って日本一だと言って欲しいです。

そのために今の自分にできることをただひたすらにやってほしいです。

私たちは一番学校に残っていた。あの最強の代がいた二年前もうまくいかなかった去年もグラウンドにいたと思います。私は学校じゃないと何もしないタイプなので残ろうと思ってました。これが正解かはわからないし、非効率的だったと思います笑。でもそのくらいやって始めてリーグに出るチャンスがあるのかなって。自分の力をリーグ戦という舞台で試すチャンスが巡ってくるのかなって思います。
入部時期も中高でのラクロス経験も関係ないと思います。結局はやるかやらないかかなって。他の人が休んでいる間にいかにできるか。練習がうまくいった日はもちろん、うまくいかない日も常にラクロスに触れることが大切だと思います。(ミスした時後悔するのが嫌だからやってました)


繰り返しになりますが、日本一って胸張って言いたいなら、フィールドに立って歓喜を味わいたいなら人よりやってみてください。日体は間違いなく他大よりも日本一を目指しやすい環境も人も揃っていると思います。
家で相手のスカウティングする、自分の動画見る、うまい人の動画見る、何でもいいと思います。ラクロスに触れる時間を増やしてみてください。

それと、何があっても矢印を自分以外に向けず、常に自分に向け続けて欲しいです。
評価しないコーチや幹部のせい、気が合わない選手のせいにするのは簡単なことです。でももったいないしそこから成長はないと思います。私の3年生の頃の過ごし方がその失敗例です。
何か起こることは常に自分にとっての試練だと思って、自分の成長につなげてください!!


すごく偉そうに語っているけれど、私は四年生になるまで試合に出られないし、ユースの沖縄選考には落ちるし、もちろんベスト11でもないし、強みもない今年ちょっとリーグに出ただけの人です。だから一意見として聞いてくれると嬉しいです。


最後に、、


1年生
壁当てしにいく時はいつも一年生がいて本当に意識高いなって勝手に刺激を受けていました。経験者も未経験の子たちもうますぎます。大活躍期待しています^ ^

2年生
ほぼトップの子しか関われなかったけど、みんなたくさん話せて嬉しかったし楽しかった!!しごでき学年本当にお世話になりました^ ^
2年生はとにかく上手なので、3年生支えつつ日本一とってください。

3年生
何人かがアルバムに最初怖かったって書いていて、本当に嫌な奴だったんだなって自覚しました。ごめんね。それでも追いコンでの件もあり、今年になってたくさん話せて、話しかけてくれてとっても楽しかった!ありがとう!
今年は自分の代だけど気負いすぎず、気楽にラクロス楽しんでね。またハマスタ連れてってください!!
それと追いコンでの動画はこれ以上の流出は禁止です^ ^

同期
大学になって性格変わったよね、丸くなった(これでもましな方)って高校の友達にも、親にも言われます。
まぎれもない同期のおかげです。本当に嫌な奴だったけど(今もだけど)仲良くしてくれてありがとう。この代じゃなかったらきっと秒で部活やめていました。22人全員が仲良くて、誰といても違和感なくて、 (陰キャ集団で、、)って代は本当に唯一無二だと思います。
この同期で本当に良かった^ ^

ゴーリーズ
アキノ、ツキを始め、上級生、下級生ゴーリーズの皆さん
たくさんシュート打たせてくれてありがとうございました。たくさん当ててしまってごめんなさい。それでも快く打たせてくれてありがとうございました。おかげでシュートが上達しました。本当に感謝しかないです。

細田さん
自主練始めたのも続けられたのも影響されてです。最後のリーグ一緒に出られて本当に楽しかった。良い影響ありがとう〜
今度運転でどっか連れてってね^ ^

コーチのみなさん
常にラクロスの面白さを教えてくださりありがとうございました。ラクロスを深く知れて、勝つ方法を知れて、ラクロスを四年間楽しみ尽くすことができました。
本当にありがとうございました。

家族
勝手に入部したのにたくさん応援来てくれてラクロスはまってくれて嬉しかったです。ありがとう。

以上でおしまいです。
卒論並みの長さになりましたが読んでいただきありがとうございました。