こんにちは!4年DF#2 アカネです!

ついに引退ブログを書く時期になりました、、、1月14日のA1を終えてから、2週間が経とうとしています。正直引退した実感が湧かない毎日を過ごしていましたが、つい先日かわいい後輩たちが素敵な引退式を用意してくれて、ようやく、引退したんだなと思うようになってきました。

まずは初めに、この4年間で関わってくださったすべての皆様、日体大ラクロス部を応援してくださった皆様に、この場をお借りして感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

長い文章になりますが、感謝の気持ちと、たくさんの思い出が詰まった4年間をここで振り返らせてください。

私が日体大ラクロス部に入った理由は、高校の時に不完全燃焼で終わったラクロスを、日本一が狙える環境のある大学に入ってもう一度全力でやりきりたかったから。高校生の頃に大学のリーグ戦を見に行って、ここのチームでプレーしたいって強く思ったのが日体だったからです。

1年生
私たち4年生が入学した2020年は、コロナ真っただ中。入学式もなく授業もオンラインで、友達に会うこともできない、そんな状況でした。私は実家が埼玉の田舎なので、ラクロスを続けるために学生寮を借りて一人暮らし生活を始めました。ラクロス部には入るも、大学に行く事すらできなかったので、動くのはグループラインのみ!同期のみんなとも、ズーム上ではじめまして!クロスは部屋にあるからまあボール触ってトレーニングしよう~そんな感じの毎日を送っていました。思っていた大学生活とは裏腹、本当ただの引っ越しでした。
ミクが8割話すZOOMの学年ミーティングをやっていたある時、「なんかツキと私の部屋の作り似てるね~」なんて話してたら、「上京して市ヶ尾にある学生寮に住んでるよ!」
まさかとは思ったけど、部屋のドアを開けたらツキがいました。同じ寮で真ん前の住人でした。そこからは猛スピードで仲良くなって一緒に公園でトレーニングしたり買い物したり課題やったりもうずっと一緒に行動してました。懐かしすぎる。一人暮らしだけ始まったけど、コロナで誰にも会って話せなかった自分にとっては本当に大きすぎる存在でした。
7月あたりになって部活が再開できることになり、ようやく大学のグラウンドで練習ができるようになりました。自分は高校からラクロスをやっていたので、上級生練に混ぜてもらっていました。それでも対人メニューは制限されてできなくてパスキャやラントレ、フットワークをする日々が続きました。ほぼ基礎メニューだったけど、それだけでもわかる上級生の技術の高さ。それと並行して、1年生なので練習の準備、グラメ!ゴールの組み立て!大ネット!水タンク!急げ時間内に終わらない!一個上の上級生から召集がかかり、反省会。あの時は必死に食らいついて毎日部活してました。


そんなこんなで時間が経ち、制限もだんだん緩和していき、同期全員で初めての学年練習、学年試合。学年全員で考えて練習を組み立てていくことがこんなに面白いんだ、そう感じたし、新人戦も優勝して自信にもつながって学年の団結力も深まって、本当に楽しかったです。今でも写真をよく見返します。




2年生
育成組も合流してチーム全体で本格的なレベル分けが始まり、私はスパークチームでずっと練習してました。同期の中にはトップでどんどん成長して活躍する仲間もいたりして、すごいなと刺激をもらいながら、自主練して毎日のようにからまでラクロスしてました。うまくなりたい!その一心だったと思います。
スパークは準リーグがあるので、試合に向けて練習していきながら、2年生の私でも話しやすい環境を作ってくださったり、ミスすることにびびってプレーがうまく行かずに悩んでいたら気づいて声をかけて励ましてくださったり、スパークで一緒に練習していた上級生には本当にお世話になりました。ありがとうございます。上級生のために絶対に勝ちたいって気持ちが強かったし、何より上級生とやる一回一回の練習、毎回の試合が本当に楽しかったです。


準リーグが終わったら、トップの応援。この代のトップチームは本当に強くてうますぎて、毎試合毎試合学ぶ事があったし、見ていて飽きない、日体のラクロスってやっぱりおもしろいな、そう思わせてくれるチームでした。スタンドから学生日本一の景色を見せてもらえて、日本一ってこんな感じなのか。すごい、かっこよすぎる。絶対に取りたい。そう思わせてもらっていました。
日本一をとるためにはラクロスとの向き合い方をもっと変えないと、プレーが伸びないと思ったので、自分なりにプレーの考え方や時間の使い方などを見直すきっかけにもなりました。そういえば、21日体が始まってからの冬トレ、インターバルがこの4年間で一番きつかっです。体力が特別あるわけでもなかった私は、毎回気絶しかけてました。羽田さん。




3年生
3年生になるとトップにあげてもらえて、去年の代のトップメンバーが残っている中、高いレベルでの練習環境でラクロスを追求していく毎日が本当に楽しかったけど、その反面、できない自分に腹が立って悔しい思いをすることも増えていきました。特に一個上のディフェンス陣の先輩方には、わからないことを聞いてはミスを繰り返して迷惑をかけてしまっていましたが、ディフェンスの連動やオールコートでのプレーの幅がどんどん広がって、新しい発見をたくさんすることが出来たし、ラクロスの奥深さを1番知れた時間でした。一緒に日体のディフェンスを作り上げることができてとても勉強になりましたし、このプレーはもっとこうしようなど共有をたくさんしてくれて、後輩の私たちまで巻き込んで底上げしてくれる、優しくて面倒見の良い4年生。


引退されても気にかけてくださって試合にも毎回駆けつけてくれて、フィールドからスタンドを見渡した時、応援してくださる4年生たちを見つけては、嬉しくなって頑張ろうって元気をもらっていました。大好きです。
3年生になってからは、学生寮とお別れをして、わかる人はわかる、マイちゃんとレミと社宅生活の始まりです。実家から通学すると朝練に間に合わないので、大学近くのアパートを3人で借りて、朝練前日の夜に泊まりに行って朝そのままキャンパスに向かうという生活サイクルで過ごしてました。小さい物音や虫を見つけて3人でビビって騒いだり、ウーバーしたりエアコン直撃で体調崩しかけたり、夜中まで喋り倒して睡眠時間を削ったり、揉める事なんて一度もなく本当平和な社宅生活を送れて楽しかった!2人には感謝です。


22日体では2個下の代の育成係をやらせてもらって、ラクロスを教える楽しさにも気付いたし、(当時)1年生のみんながどんどん上達していく姿、成長していく姿を見てすごく嬉しくて目が離せなかったし、自分も頑張ろうってパワーをもらっていました。アクア、ジョイ、ナホと共に命を懸けた伝説の岡山遠征も本当に忘れられない思い出です。



4年生
自分たちの代、正直にいうと伸び悩み。そんな一年でした。ですが、最高のシーズンでした。かなり個人的な話で、下級生の時からずっと対峙力が自分の中で大きな課題でした。プレーが安定してていいね、とか、なんでも上手くこなせるよね、とか、そんな言葉をかけて頂くことが多かったですが、それはある程度のレベルのパフォーマンスを常に出せるけど可もなく不可もなく、ぱっとしない。私はずば抜けていい何かを持っている選手でも、ここぞというときに勝負できるような選手でもなくて、器用なタイプでもないから、自分の武器ってなんだろう、強みってなんだろう、ボトムのくせに1on1苦手とか元も子もないし、強いて言えばクリアとかディフェンス連動が得意分野になるのかなあなんて自信も持てず、3年生の時もトップにはいたけど実際試合に出るチャンスはなかったし、気がついたらもうラスト一年。もちろん後悔することのない集大成の年にしたいし、でもどうすればプレータイムを増やすことができるだろうと、葛藤する毎日でした。
最後まで怪我をちょくちょくしてしまい、思い通りに行かない時期もありましたが、とりあえず、悩んでる時間が勿体無かったので、トレセンに通い詰めたり自主練の時もクロスワークよりトレーニングに重きを置いて、パフォーマンスが少しでも上がるようにと模索してました。
また、23日体ではライドリーダーの役割も務めることになったので、日体の走力を武器にオールコートでも勝負できるチームを目指して試行錯誤しながら、自分たちに合ったライドを考えるようになりました。せっかくフルコート練を設けたのに収穫がない時とかもあって、クリアライドをなかなかうまく仕上げることができず、頼りないライドリーダーだったと思います。頭の中で思い描いてる戦術をうまく説明できなかったり、クリアライドはチーム全員の共通認識が必須だから、みんな理解してくれたかな?って不安でしかなくて、それにライドは特にやってみないとどう転がるかわからないから難しくて、クリアリーダーのふたばやいつも近くにいたアキノ、帰り道が一緒のスズノ、なんやかんや仲良しのナギサにはよく相談して話を聞いてもらったり、技術幹部のサアヤカオル、DFコーチのゆうじろうさんキャンさんに助けを求めて助言をもらってなんとか務めてこれました。結果的に形になったライドを様々なパターンで作りあげられたこと、試合でライドがうまくハマって流れを持ってこれた時とかは、本当に嬉しかったです。
日本一を取るためにみんなでたくさんミーティングや想定をして、7月の半ばから始まったリーグ戦。一戦一戦がとってもい内容で、みんなと必死に勝ち抜いて、ファイナル4、関東ファイナル、全学、全日まで駒を進めることができて、自分たちがやってきたことが間違っていなかったと証明できたこと、学生日本一を取れたこと、A1の舞台に立てたことは本当に大きな財産です。
最強コーチ陣の皆様、ここまで導いてくださって本当にありがとうございました。

どこの大学よりも長く、ラクロスをすることができて最高だったし、素敵すぎる景色をこのチームで何度も見ることができて本当に幸せでした。




4年間を振り返ってみましたが、能天気なこの性格も相まって、思い浮かんでくるのは楽しかった思い出ばかりです。でも、実際この4年間で、悔しくて悔しくてたまらないこともたくさんあったし、モチベーションがなくなってもうどうしたら良いのか分からない時もあったし、心が折れかけた時もありました。
ただ、

部活をやめたいと思うことは一度もありませんでした。
それは、自分のことをよくわかってくれている大切な同期が横にいて、めちゃくちゃ頑張ってたりふざけて大笑いし合ってる、そんな日常がずっとそばにあって、

みんなといるのが本当に楽しくて大好きだったから。

もうみんなとグラウンドの電気が消えるまで自主練したり、学食で一緒にご飯を食べてお昼寝したり練習動画見たり、駅までぶつくさ言いながらラクロスのことを話して帰ったりすることがないなんて考えると、寂しくて寂しくて仕方がないです。
最高に充実した4年間を送れたのは、紛れもなくみんなのおかげだし、優しくて仲間想いのみんなに出会えたこと、誇りに思っています。本当にありがとう。これからも定期的に集まりたいです。



後輩たちへ
伝えたいことたくさんあるけど、まずは私たち4年生、負けず嫌いな自由奔放陰キャラ学年についてきてくれてありがとう。23日体の長いシーズン、みんなの大きな応援が毎試合の支えになって、勇気をもらっていました。
日体は客観的にみて、毎年強いし層が厚いしみんな運動神経が良い。中学、高校からラクロスをやっている仲間がいようが、ただそれはラクロスと出会ったタイミングが少しだけ早かっただけで、4年あれば自分次第で上達してうまくなって活躍できる環境が日体にはあります。そしてみんながそのポテンシャルを持ってると思うし、私たちの学年を見ていれば、よくわかるんじゃないかなと思います。もちろん経験者の子たちやトップチームにいる子たちは、自信をもってチームを引っ張り続けていってほしいし、私自身、トップもスパークもブーストも育成も学代も経験したので、それぞれのチームにいる子たちが、チームに対して思ったりすることがなんとなくわかる。
100人以上もいる部活だから、チーム間での差を言い訳にして練習を投げ出したくなったり、ラクロスが嫌いになる時もありました。
今みんなが日体大ラクロス部にいて、一人一人がいろんな思いを持ちながら練習をしてると思うけど、自分がチームにできること、逆に自分に足りていないことを考え続けて、全力でラクロスを楽しんで欲しいです。4年間はあっという間だよ!それぞれ悔いのないように、時間を無駄にすることのないように、チャレンジする気持ちを忘れずに、これからも日体のワクワクするラクロスをたくさんの人に届けて欲しいな!変に気負わずみんならしく頑張れ。応援しています。


両親
ラクロスに出会った高校からの7年間、ずっとずっと支え続けてくれて、いつでも一番の味方でいてくれて本当にありがとう。どんなに帰りが遅くなっても起きて待っててくれたり、休みの日なのに送り迎えやお弁当を作って送り出してくれたり、高校で怪我して入院してた時期なんかは仕事帰りに毎日かかさず顔を出して気にかけてくれたり、大学でもラクロスを続けて集中したいからの理由で実家を離れるのを承諾してくれたり、数えきれないほどたくさんのわがままを言っては迷惑をかけました。感謝してもしきれないです。大好きです。大会で遠方に行く時も駆けつけてくれて、謎に試合よりも観光メインの計画を入念に立てて旅行して帰ってくるあたりももはや嬉しかったです。


楽しいラクロス人生でした。




日体大ラクロス部で過ごしたこの4年間は、

私にとってかけがえのない宝物です。

日体に来て本当に良かったし、たくさん成長させてもらいました。


まとまらない文章になってしまいましたが、読んで頂き本当にありがとうございました。
元気いっぱいで頼もしい後輩たちが日体のラクロスを引き続き盛り上げてくれると思います。これからも日体大ラクロス部の応援をよろしくお願い致します!