ちょっと書かせてもうぜ。
ブログネタ:友達の恋バナ、聞いているとテンション上がる?下がる?
参加中いたって普通。
でもなぁ~これまで聞いてきたのって、“恋バナ”って感じのモノじゃ無かったしなぁ;
なんつーか、楽しい話題一っつも出してこねーんだもん。
出てくんのは痴話喧嘩の愚痴とか相談染みた事ばっかだったしなぁ・・・どうなんだか。
テンションは変わんないんだけどね、内容によっては怒ったり冷めたりしてました。
そんなもん。
キャッキャきゃっきゃと長続き出来るほど楽な恋愛ってないんだと思うよ
恋愛あっての恋バナ。恋愛というモノがそうならば、恋バナもまたしかり。
聞いててこっちまでつられて嬉しくなるような話ばっかだったら、破局なんて言葉もないだろう。
上手くいき続けたり、良い事ばっかりなわけがないと思う。ぜったい障壁が生まれるモンだもの。
逆に恋バナを聞かされる中で、良い事の話ばっかしだったり、“問題があったというのに事後報告かつ結果論”でしか話されていなかったら、まずはそいつと自分との信頼関係を疑った方が良いと、俺は思うね。
腹を割って話せていない証拠だもの。
理由はどうあれ、話す上でそこに変な遠慮があったら意味無いと思うんだよね。
例えばだ、
急に友人が泣きながら『どうしよう?』って相談を投げかけてきたとする。
話を聞くうちに事の重大さが見えてきた。相談された側は『でも、どうしてもっと早く相談しなかったの?』って問うだろう。
でも、コレは間違いだと俺は思うんだよね。
俺としては、それだけのことを早いうちから話せなかったというのは“相談しようと思っても話した先での相手の対応が気がかりであったから”だと思うからだ。
ようは相談者と相談役の間に何かしら距離があったわけだな。一歩引いてしまうような。
これは一概にどっちかが一方的に悪いというわけではない。俺としては、どっちもどっちだ。
日ごろの付き合いが出ると言えばそれまでだが、信用して“もらえる”ような行動や意思表示を自然とこなせてなきゃダメ(といったら語弊も生むが)だと思うな。
自然とこなせすというのは難しいと思われてしまうが、ようは包み隠さず行動すれば良いだけの話。
あと、信用して“もらおう”と行動するのではなく、信用して“もらえる”ように心がけること(・・・というのも変な話しだが・・・)。
悲しいかな。この辺りを履き違えてる人が身の回りに結構多いかも。
その履き違いが逆効果を生むのに、逆効果を生んでおきながら、他人のせいにして勝手に“自分は嫌われ者”だと思い込んでは鬱となる。。。
これは最悪のパターンだよ。とても勿体ない。
まず、自分を改めて見直してほしい。
まぁ今の御時世、自分を変に形作っちゃったり気取ったりしちゃってる人が多いようだから、なかなか難しいものがあるのかもね。
御年配の方々が不思議がるのも無理は無い。コミュニケーションでの“己の見せあいっこ”が、それだけシッカリと現代の人には出来ていないのだろう。
だから、それまでとはあり得ないような事が起きてたりするわけだな。
しかし、まぁ
何事も、人間関係が大事なんだな。
彼氏と、彼女とケンカした。
仲の良い友達に相談した。
友達とケンカした。
ほかの仲の良い友達に相談した。
友達同士が喧嘩している
私がお互いの相談に乗った。
こういったように、
“自分”という一つの人間を中心としたネットワークは、自分の、互いの人間関係の上で成り立っているものだと思う。
人生は、きっとこの繰り返しなのでしょうね。
こういった考えを持っていると『人間一人じゃ生きていけない』って言葉が、何の考えも持っていなかった頃より、より重く感じます。
もっと人を、人間関係を、人生の中で大事にしていかないといけないね。