【訃報】富沢祥也選手【追悼】
どうやら本当でした・・・。
悲報です。
世界ロードレース選手権で日本から参加している富沢祥也さんがレース中の事故で亡くなったようです。
レースで転倒し後続車に40mも飛ばされ頭部や胸、腹部を強打・・・・・・・残念です。
サンマリノは確か、音速の貴公子・セナも亡くなった場所ではなかったか・・・。
心から冥福をお祈り申し上げます。
【9月6日 AFP】
世界ロードレース選手権(WGP 2010
)に参戦しているテクノマグ-CIP(Technomag-CIP
)の富沢祥也(Shoya Tomizawa
、日本)が5日、イタリアのミサノ(Misano)で行われた第12戦サンマリノ&リビエラ・ディ・リミニGPのMoto2クラス決勝でレース中に事故に遭い、死亡した。
富沢は転倒し、避けきれなかった後続のアレックス・デ・アンジェリス(Alex de Angelis
、サンマリノ)とスコット・リーディング(Scott Redding
、英国)にはねられ、40メートル飛ばされた。
富沢は30キロメートル離れたリッチョーネ(Riccione)市内の病院に搬送されたが、後に死亡が確認された。
大会主催者によると、富沢は頭部や胸、腹部をけがしていたという。
一方、デ・アンジェリスは無傷、レディングはサーキットで治療中だが命に別条はない模様。
大会主催者は、「テクノマグ‐CIPの富沢祥也(19)は5日、Moto2クラスの決勝レースで転倒し、頭部、胸部、腹部を負傷しました。富沢はサーキット近郊のリッチョーネ市内の病院に搬送され、緊急治療を試みたが、14時20分に死亡が確認されました。MotoGPファミリーは、富沢の家族、そして彼の友人たちに心から哀悼の意を表明します」と声明を発表している。
今季より新設されたMoto2クラスで富沢は、開幕戦のカタールGPで優勝、続く第2戦スペインGPでは2位に入り、好スタートを切ったが、第11戦を終えて82ポイントで総合7位だった。(c)AFP
富沢祥也選手(19)の事故死は6日付のイタリア各紙でも大きく取り上げられた。
人物像の紹介や関係者の追悼の声のほか、レースの危険性を検証する記事も多かった。
最大手のスポーツ紙ガゼッタ・デロ・スポルトは3ページに展開し「ひょうきんで好感度抜群だった。短期間でみんなに認められた」などと、別れを惜しむライダー仲間らの談話を載せた。
また同紙は富沢選手がバランスを崩した縁石外の人工芝はかなり滑りやすく、以前から問題視されていたと指摘。
スポーツ面トップの見開き2ページで伝えたレプブリカ紙は、今季から新設されたモト2クラスの運営のずさんさが事故を招いたと批判した。(ローマ共同)
第12戦戦サンマリノ&リビエラ・ディ・リミニGPの決勝レースが行われたミザノ・ワールド・サーキットは、MotoGPクラスの決勝レース後、富沢祥也の不運な死去を伝えると、パドック中が深い悲しみに包まれ、MotoGPライダーたちがメッセージを送った。
トニ・エリアス
「この瞬間、みんなが悲しみを感じている。昨日、クリニカ・モービルでショーヤと冗談を交えて話したけど、もう僕たちと一緒にいないと考えると、本当に恐ろしい。彼は僕の人生で決して消すことができない跡を残した。」
7年前に開幕戦日本GPの鈴鹿で、加藤大治郎の死去を経験したファウスト・グレシーニ
「今日のレースは、勝利を味わうことが全くできません。ライダーを失うという意味を理解している。彼の家族と彼のチームが今どのような状態にあるのか認識している。」
レプソル・ホンダのダニ・ペドロサ
「気持ちを表す言葉はない。すごく悲しく、恐ろしく、起きてはいけないことだ。彼はすごく楽しく、いつも幸せだった。ライダーとしては、僅か時間でみんなの尊敬を勝ち得た。速く勇敢だった。」
ホルヘ・ロレンソ
「富沢に起きたことの後で、レースのことをあまり話せない。今日彼に起きたことは残念。彼はナイスガイで、ストロングなライダーだった。すごく悲しい。彼の家族と友人たちに申し訳ない。」
バレンティーノ・ロッシ
「こんなに悲しいことが起きてしまうと、全てがゼロになってしまう。リザルトは重要ではない。本当に申し訳ない。彼は非常にストロングなライダーだったけど、何よりもすごく好感で、いつも笑顔だった。まだ若く、この先グレートなキャリアが控えていた。すごく悲しい。」
ケーシー・ストーナー
「1週間前のピーター・レンツのアクシデントのように、呼吸が止まってしまうほどの恐ろしいことだ。彼の走りを見ることが喜びだった。グレートなレースをするところを見たかった。」
ニッキー・ヘイデン
「彼の家族とチームを考えるけど、パドック中がこの悲劇に強烈に打ちのめされた感じだ。結局、僕たちはみんなが兄弟。ビックなタレントとグレートなパーソナリティーを持ったライダーを失った。彼のスタイル、決定力、そして、いつも絶やさない笑顔が好きだった。」