はい、おはようございます。

まず、昨日アップできたと思ったんですが、起きて確認したらアップロードに失敗しており、その後リトライするも虚しく…というわけで遅くなっちゃいました、すいません。



前回の続きをお話ししていこうと思います。

 "「東京のフラニー」その3 " ということですね。


まず、作中に登場するサリンジャーの作品である『フラニーとゾーイー』なんですが、フラニーは妹で、ゾーイーはそのお兄さんで。

そのフラニーという子が裕子のような子で、


いわゆる厭世的なものの見方をしてしまう、世の中を悲観的に、あるいは否定的に見てしまう、そんな子らしいです。


でもそれは結局、エゴの肥大化によって、世界がそう見えてしまっているのかなって思います。


利己的な自分は常に存在しているじゃないですか。

100%利他的な人間なんていないし、利己的な部分があるからこそかえって人は魅力的な存在だったりするわけじゃないですか。


また、葛藤があるからこそ人は大きくなれるし。


そういうエゴをただ醜いと思って否定するのではなく、それもこれも全部自分なんだって受け容れることで、ちっちゃくまとまった自分からの脱却が始まるんじゃないでしょうか。


そういったエゴを受け容れるきっかけになるものは様々ありますね。


自分一人でうまくいく場合もあれば、他人の力を借りる場合もある。


でも、圧倒的に後者のケースの方が多いんじゃないでしょうか。フラニーの場合は、それが兄ゾーイーによる愛情、それによって救われたのかなと。読んでないんですけど。


本作の裕子にはまだそういう人が現れていない、あるいはまだ関係が始まっていないのかなと思います。

なので、彼女にも早くそこから救い出してくれる人が現れて欲しいなぁ、なんて思います。


そんな感じです。

じゃあまた次回以降、短編についてお話ししていきたいと思います。

ありがとうございました。