大阪都構想破たんは、やがて飛び火する。 | バトーさんのから~いブログ

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ここ数か月のことですが、まぁ、一年というスパンじゃないと思うんですけどね。

休日に世田谷近辺にいると、若い夫婦が赤ちゃん連れで歩いているのによく出くわすんですが、それがね、驚くほどに関西弁をしゃべってる。

その比率が本当に高い。

ウチの近辺に、関西人が家族で引っ越してきたというのは、5年くらい前からですかね。

最初は、物珍しく感じていたんですが、このところ、ご近所の関西出身比率が、ハンパ無い。

ナゼはてなマーク

とにかく東京の人口流入は、加速度をつけて昂進中。

世田谷で子供を産んで、子供を世田谷育ちとでも言いたいのだろうかはてなマーク
でも、これだけ世田谷に地方出身者が増えたのでは、山の手の文化なんて、あらかた消え果て、薄っぺらな都会文化になり果てるだけ。

私が生れ育った頃の仕来たりも、山の手の伝統も消え果て、ホントに見るもの聞くもの、田舎じみてきた。

良くも悪くも、都市は生き物。

田舎暮らしなら、『永遠の今』があるだけだろう。昨日も今日も明日も、変わりない日々に、疑問を感じず生きて行くのだろうが、東京は違う。

一見変わらないようでいて、目まぐるしく、何もかにもが劇的に変わって行く。

東京がどうあるべきなのか、その方向性は、現在の若い住人たちが決めて行くべきこと。

年配の人間が、どう気に食わないことがあったとしても、東京のダイナミズムは、若い躍動感こそが、似つかわしいし、そのメインエンジンであるべき。








不幸なのは、関西だ。

例の、大阪と抗争、じゃなかった大阪都構想。

今となっては、まるで歴史の一部と化したかのように、影も形も消え果てて、話題に上ることも口にすることも無くなってしまった。

あの住民投票直前の、両派のシノギを削る、つばぜり合いは、いったいなんだったんでしょうねはてなマーク
そして、闘い済んで日が暮れて、決着は僅差で、都構想否決となったのは、ご存じの通り。



ホントにこれで終わっちゃったのはてなマーク

という感じでしたね。

東京都民が、そう感じるんだから、大阪府民の実感たるや、どんなものだったんでしょうね。

投票の呼びかけ運動中の反対派は、まるで怨敵退散と、お題目を唱える行者のように、反対を絶叫しながら、街を練り歩いていたのに、住民投票勝利に沸くかと思いきや、なんかね、終戦の詔勅を聞かされた、日本国民のような虚脱状態にあったかのよう。

敗戦の会見を開いた、橋下氏のほうが、サバサバとしてましたよね。

天下分け目に敗北したわけですから、腹の内は、石田光成のようだったでしょうに、マスコミの質問にも、やりきりましたから。と言って、笑顔を見せていた。

なんなんですかね。あれ。

TVのキャスターは、これで、反対派にこそ、大阪改革の全責任がかかってきたわけですから、その責任は重大です。と言ってましたが、誰がどういう風に、その責任を負うわけはてなマーク

敗北した賛成派だって、高みの見物が出来るわけがない。橋下氏の言うとおり、改革は焦眉の急。橋下氏は会見の中で、跡を継ぐ次ぎの市長こそが大変。と言っていたが、その市長候補には、橋下氏が、大阪府知事だったときに、鋭く対立して、橋下改革に、徹底抗戦した、前・大阪市長の名前が上がっている。

つまり、元の木阿弥に戻そうということ。

これね、大阪の問題だけではなくなってましてね。

橋下氏が、やり玉に挙げた、二重行政による赤字の補てんのために、毎年国庫から、1000億円のカネが、利払いのためだけに充填されているの、知ってましたはてなマーク

国民の税金がですよ、大阪市の赤字の利払いに、今後も毎年毎年消え続けるのだ。

市ですよ市。府じゃなくて。

なんでこんなことになったのかと、思うじゃありませんか。今更ですけど。

そりゃあーた。箱物行政に、湯水のごとくにカネをつぎ込んで、飽くことを知らない行政が続いたからです。

大阪と言えば、再開発しては、廃墟を拡大再生産し続ける、中国の悪徳地方行政そのもの。

ネット情報によれば、その中心にいて、画策していたのが、京大の工学系派閥なんだそうな。

この京大閥が、大阪市庁に巣食って、再開発を名目に、不埒(ふらち)な悪行三昧を繰り返していたのだ。

ひと~つ。人の世の生き血をすすり。by桃太郎侍

そもそも、地方の“市”としては、完全に不釣り合いと言えるほど、巨額の予算が毎年計上されていたのだが、どんな人間だろうと、役職だろうと、他人のカネをセッセと使うくらい楽しいことはない。

それが、会計年度を越すたびに、湯水のごとくに湧き出してくるのだから、こんな面白おかしい人生、やめられない止まらない。

二重行政こそは、一度履いたら、永遠に踊り続ける赤い靴。

そこへ、本当に桃太郎侍が登場してしまった。

ありとあらゆる、既得権益の中でも、役人がしがみつく既得権益ほど、やっかいなものはない。

完全に日本社会にとって、切除不能な腫瘍となっている。

これを切り取ろうというのだから、ただごとではない。

そのための制度設計を開示して、役人どもに、鬼が島とされてしまった大阪を、取り戻そうと言うのだ。

橋下氏の、多年に亘る闘争は、本当に凄まじかった。

橋下氏にしかできないものだったでしょうね。

それだけに、あの幕切れは、ホント残念。そう感じた方も多いのでははてなマーク

あの幕切れ、私がどう感じたかというと、やっぱりこの人は、良くも悪くも法律家なんだろうな。ということ。

法律家は、丁々発止のやりとりをした後、判決により、白か黒かの結論を明確に出す商売。

だから、良い勝負、とか、いずれ劣らぬ名勝負、なんてことは有り得ない。

勝ち負けが、キッチリと出る商売だから、自然と幕引きは、ああいう形にならざるを得ない。

もちろん、裁判では、和解勧告もあるし、調停もありますが、和解や調停結果についだって、裁判所には、強力な執行権がある。これに抵抗することは出来ない。その意味でも、白黒はハッキリとつくわけだ。

でも、政治はそれでいいのだろうかはてなマーク

みなさんが、なんかモヤモヤとするのは、この点じゃないでしょうかねはてなマーク

どうですはてなマーク

確かに、政治だって、為政者がどこかで決断を下さねばならない。

民主主義国家では、多数決で国家の意思決定が図られる。

ですよね。

しかし、大きな制度改革とか、巨大な既得権益を、公明正大に市民の手に取り戻すとなったら、それは、多数決に委ねるだけでいいものなのだろうか。

複雑なんて表現を遥かに通り越して、奇怪面妖な欲望と策謀で織りなす既得権益を、一制度で縛り上げて、十把一絡げに、桃太郎侍よろしく一刀両断してしまうというのは、確かに乱暴と言えば乱暴。贔屓目に見ても、やはり副作用と反動が大きすぎるとは、言えるでしょうね。

自民党が、反対に回った言い分も、まさにこれ、制度を大幅に変えなくても、既得権益を取り上げることは、市議会がその気になれば出来ること。

ただそれには、膨大な熱意と時間と忍耐と根気が必要になる。

言うなれば、シカゴの暗黒街を仕切った、アル・カポネに挑んだ、アンタッチャブルのようなもの。

アンタッチャブルは、夜討ち朝駆けで銃火を交え、弾丸を潜り抜ける戦いをしながら、最期の最期に、所得税法違反という制度を使って、アル・カポネを、アルカトラズ刑務所に送り込んだ。

最初から、制度を捻じ曲げてでも、アル・カポネを捕まえようとしたわけではない。

政治というのは、地道な説得こそが王道のはず。

自民党の全盛時代に、最大派閥を造り、自派を王国とまで呼ばれた、田中角栄は、自分の味方を増やすことに、執念を燃やしたわけではない。

田中角栄の方針は唯一つ。

自分にとって、敵でも味方でもない人達を、大勢作ることだった。

味方は、いずれ離れて行く。敵は敵のままで、自分になびくわけがない。

10代から、裸一貫、世間の荒波を乗り越えてきた、彼が頼ったのは、自分に味方するわけでもなく、牙を剥いて刃向う連中でもなかった。

自分に対して、ニュートラルな立場でいてくれる人々を、法案ごと案件ごとに、あの手この手で籠絡することで、自身の成功を積み重ねて行った。

対して、橋下氏は、寄ると触ると敵を作る。

映画『リーサル・ウェポン4』で、絶えず敵に付け狙われているメル・ギブスンは、いたるところで、敵と出くわしては、銃撃戦を始めて、必ずその場で仕留める。

いつも巻き込まれる、相棒のダニー・グローバーは、堪らずこう言う。

『おまえ、顔合わせたヤツは、みんな殺(や)るのかビックリマーク

大阪市長になってからの、橋下氏は、まさに、リーサル・ウェポン。



弁護士は、商売柄、敵と味方を厳然と分ける。そりゃそうでしょ。

敵か味方か分からないヤツなんぞ、信用するわけがない。

前にも、私のブログで書きましたが、日本の政界に、東大出の弁護士が増えてからと言うもの、ホント、日本の政治は変わってしまった。

民主主義とは、手間と時間と膨大な労力を要するシステム。

だから、世間の荒波の洗礼を、幾度も幾度も、潜り抜けたような人でなければ勤まらない。

それを、弁護士出身のような頭のいい連中は、なんとか手っ取り早くやろうとして、舌鋒鋭く、人を斬り捨てるような議論が横行し、民主政治にとって、もっとも重要な、自分の主張を、粘り強く広く説得して、味方を増やして行く、多数派工作を軽んじるようになってしまった。

だから野党は、集合離散を繰り返す。

自民党こそが、盤石の責任政党に見えてしまうのだ。

少数政党が、野党勢力を糾合して、なんて言ったところで、ホントに信用できないではないか。







だからねぇ。

あれだけ頑張った、橋下氏の大阪都構想だって、なんか無責任に感じてしまうのは、私だけなんだろうかはてなマーク

住民投票という、一度の民意に諮(はか)っただけで、裁判所の判決のように、これで終わりとばかりに、そそくさと店をたたんでしまうというのは、為政者のとるべき方策なのだろうかはてなマーク







歴史上にも、四囲を敵に回しながら孤立無援で頑張り通した為政者は、数限りなくいますよね。

中でも、私が例として引きたいのが、古代ユダヤの“ヘロデ王”。

時は、古代ローマが、共和制から帝国制に移行する激動の時代。ユダヤは吹けば飛ぶような国家を堅持して、必死に時代の荒波に拮抗していた時代。まさにその激動を乗り切った王だった。

しかし、今現在に至るも、欧米でのこの人の評価は散々。

キリスト教では、イエスが誕生した時に、新しい王の誕生を防ぐため、ヘロデ王が、ユダヤの2歳以下の幼児を皆殺しにしたことになっている。

これは、宗教的おとぎ話なのだが、こうした迷信を起点として、ヘロデ王は、やることなすこと、残虐で猜疑心が強く、悪魔のような支配者という汚名を着せられている。

実際には、麻のごとくに乱れに乱れた、ユダヤ王国を強引にまとめながら、古代ローマの圧政に懸命に立ち向かい、また、必死に忍従しながらローマのために戦い、ついには、ユダヤ王国を最大の版図になるまで領土拡大に成功し、ローマの辺境国家群の中でも、格段に裕福な繁栄を、ユダヤにもたらした。また、絢爛豪華なユダヤ建築の粋を集めた、歴史的建造物も数多く、残している。

今も、エルサレムに残る、有名は“なげきの壁”も、ヘロデ王の手によるもの。
古代ユダヤ王国最期の戦いで、滅亡を賭して戦い、玉砕を果たした、歴史に名高い“マサダ要塞”も、ヘロデ王が築いた。

どれもこれも、ユダヤの民のため、ヘロデ王は懸命に頑張りとおした結果だったのだが、そのユダヤの民から、ヘロデ王は、嫌われ続けた。

そもそも、ヘロデ王の父は、ユダヤに最も新しく編入された、辺境民族の出。この出自が、ヘロデ親子のとって、呪わしいほどの差別をもたらす。

父は、ユダヤの独立保持のため、ローマ軍に加勢して、次々に功績を挙げ、ユリウス・カエサルから、全幅の信頼を受けるようになる。

この辺も、ユダヤにとっての裏切り者ととられたらしい。

ローマからの圧政に懸命に抗しながらも、味方である、ユダヤ人らの、ヘロデ王に対する差別は凄まじく、ついには、家族・親戚からも命を狙われるようになる。

特に、妻の一族から執拗に、命を狙われ、妻を含む多くの親戚を処刑している。

妻に感化された、王子二人も離反し、敵対したことから、泣く泣く処刑している。

なんでこんなことをしたかはてなマーク

こうしなければ、国家の統一が保持出来なかったからですよ。

今の時代からは、到底想像の外と言うしかない。

これほどの激烈な運命に翻弄されながらも、ヘロデ王は、ユダヤ民族を守り、かつて無い繁栄へと導いていく。

もうそりゃ、涙ぐましいほど。

自分に、侮蔑を軽蔑と怨念しか向けない民のため、ヘロデ王は、家族を処刑してまで国家の統一を守り、やがて帝政成ったローマさえ一目おく王となって行く。

なんでこんなことが出来たかといえば、ユダヤの辺境民として差別と闘いながら、ユダヤのために戦った、父を見ていたから。そして、為政者とは、孤立無援の中、志を遂げて行くものなのだと、肌身にしみて熟知していたからだ。

生涯その生き様を全うして死んでいった王なのだ。








これをですよ。為政者の範としろというには、現代の日本の政治家には、誠に酷な話かもしれない。

しかし、どんな立派な制度設計ができたとしてもですよ、たった一度の住民投票で全て投げ出してしまう市長と、比べてもみよと、言いたくなるではないですか。

『いや、もうすっかりやりきりましたから。』という敗戦の弁が、如何にも自己満足にしか見えてこないではないか。

そう、満足したんだ。よかったね。と言えますかはてなマーク

そもそも、あの住民投票とは、いったい誰が勝って、何を勝ち取ったのはてなマーク

橋下氏の大阪都構想だけは、ぜったいにイヤだビックリマーク

これを問うだけの投票だったわけでしょはてなマーク









まず、都構想によって、失職の憂き目にあう、大阪市議会議員たちが、こぞって反対。

既得権益を取り上げられる、役人たちが、こぞって反対。

この連中に洗脳された、市民がこぞって反対。

かくて、両派入り乱れての、激しい戦いとなったのだが、これは、さすが大阪のパワーと言わざるを得ない。

結局、投票結果を精査してみると、老人たちの反対票が、天下分け目の雌雄を決したことがわかった。

関ケ原の戦いの、小早川秀秋みたいなもの。

これによって、大阪は、都構想以前の、元の木阿弥にもどり、何事も無い、平穏無事な日々を取り戻したのかと言えば、私は違うと思う。私に言わせれば、大阪は劇的に変わった。

何が変わったのかと言えば、大阪の未来が劇的に変わってしまった。

年寄り連中により、否決されてしまった都構想がお蔵入りになったことで、大阪の未来は、完全に閉ざされてしまったと思うのだ。

目もくらむ借金の利払いに、逆ギレしたギリシャのようなもの。

あれほどの醜態ではないですけれど、要するに、中身は一緒ですよ。






かつて、橋下氏が、初めての大阪市長選挙に打って出たときの、街頭インタヴューが、忘れられない。

マイク向けられた、初老の大阪人が、こう言ったのだ。

『大阪都構想が、正しいものなのか、間違ったものなのか、それは、まだ誰にもわからないだろう。だけど、大阪を何とかしなきゃいけないんだと言って、市政に真っ向挑んで立ち上がったのは、橋下さんだけなんだ。だから、私は、彼を信じる。』

この信頼も、大阪の未来も、変化を嫌う老人たちによって、全てが葬り去られてしまった。






他方、軌を一にして、日本各地で巻き起こった、二重行政解消運動も、橋下氏の退場と共に、全国でしぼんでしまった。

改革とは、こうしたもの。

カリスマのトリガー(担い手)を失った瞬間に、全てが消え去ってしまうものなのだ。

平安中期に、関東に独立国を建てようとした、平将門を中心とした反乱は、承平天慶の乱となって各地に飛び火して、朝廷を脅かす勢いとなったが、朝廷より派遣された、トム・ベレンジャー並の、特A級スナイパーによって、平将門が、一撃で射殺されてしまうと、それだけで、全国の反乱が鎮圧されてしまった。

改革と言うものは、なんか運動が勝手に発生して、いつのまにか完成しているなんてものではない。

偏(ひとえ)に、カリスマのトリガーが、全てを背負って、それこそズタボロになりながら、ゴールを目指すものなのだ。

明治維新の志士たちを見てみるがいい。

誰一人として、志を遂げた者などいない。

ほぼ全員が、誰かが旗幟を引き継いでくれるものと信じて、殺されていったのだ。

そこまでして初めて、改革は成就する。

まして、役人から既得権益を取り上げるなんぞ、明治維新の志士並の生き様が必要となろう。

とどのつまり、橋下氏は、本当にたった一人での改革だったのだ。

跡を継ごうと言う、志士が、ただの一人も出て来ないではないか。

老人たちに否決された、ただそれだけで、全ての大阪人が、意気消沈して黙り込んでしまったではないか。

そして今、大阪の若者たちは、続々と大阪を見捨てて、新天地を目指して上京してくるそうなのだ。

私の家の周りに、多くの大阪の若い夫婦が越してきたのも、そういうことらしい。

やがて生まれてくる、彼らの子供たちは、大阪に生まれたという、ただそれだけで、目もくらむような、大阪市の借金を背をされることになるからだ。

同じような、大都市病に悩む、横浜市は、大阪の二の舞を避けるべく、懸命の努力をしているそうだ。

しかし、やはりそれは、市だけで解決できる問題ではない。

県や国の助力がなければ、どうにもならないのだそうだが、国に全くやる気が無いそうだ。

橋下氏が、ぶつかった難問である、法律改正が必要だからだ。






それよりなにより、大阪はいったい、どうなっていくんだろうはてなマーク

私が心配しなくても、大阪人の方が、よほど心配していることだろう。

国の予算から、利払いのための資金援助が止まれば、あっと言う間にデフォルトに陥るんですよ。

そして、沈没船のように、将来ある若者から、脱出が始まっているなんて、全く以って、救いようがないではないか。

でも、これ、決して対岸の火事では無い。

やがて、日本から、若者が出て行くことだって、十分に有りうるのだ。

既に、頭脳流出、資金流出は、止めようの無い奔流となっている。

大阪を他山の石として、日本全体が、ノイジーな老人たちを黙らせるべきだ。

そうしなければ、本当に国の大計を誤ることになる。

我々が目にした、大阪の惨状こそ、今なら防げる、明日の日本の姿なのだと、心しようではないか。











んなことで、隔月刊・成行きまかせブログを終わります。

なんていうと、怒られますな。

もうホントね、言いたいことは山ほどあるんですけどね。

中国のことも、本当にねぇ。

株価が大暴落してますけど、実態経済が復調傾向にあるからダイジョブだなんて、アナリストがいますけど、アホかいな。

中国の統計は、ガード下の占いより、あてにならないんですよ。

AIIBについて、一言だけ言っときます。

あれは、国際社会を相手にした、理財商品です。

自国民相手の理財商品が、破たんしたから、国際社会向けに、理財商品を作ったんです。

それが、AIIB。

まぁ、いいや。その話もまた、ゆっくりと。

のぞきに来て下さる読者さんには、心から感謝です。

ありがとうございます。

ではまた、お会いできるときまで。

再見。