習近平の改革は、中国崩壊を救うか。 | バトーさんのから~いブログ

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もう8月にはいっちゃいましたので、いいかげん、うpしないと、ネットに死亡説が出かねませんので、一席ご機嫌をお伺いいたしやす。





とうとう、中国の共産党幹部の汚職にメスが入りましたね。

アメリカのシカゴマフィア、アル・カポネのように、逮捕は不可能と言われていた周永康が、拘束された。

アル・カポネが、シカゴの政財界を牛耳り、市長より権限のあるギャングと言われていた時代、アメリカには、まだFBIが無かった。

アル・カポネを追いつめたのは、財務省のアル・カポネ専任特捜班だった。

彼らは、決して買収に応じなかったため『アンタッチャブル』と呼ばれた。

中国では、アンタッチャブルなんて有り得ない。

ましてや、ギャングなんぞではなく、共産党幹部の序列第9位でしょ?

中国経済の大発展の、一翼どころか主翼を担ってきた石油閥のトップ。

元は、石油技術者から、そのキャリアをスタートさせたという、現場たたき上げの人でもある。

石油閥の巨魁、旧態依然とした吸血鬼体質の利権屋集団の“アタマ”を斬り落とし、国民と国際社会から、なんとしても信頼を回復しないことには、内政も外政も息の根を止められてしまう。

と、これが、衆目の見るところだろう。

確かにそういう面がある。石油閥は、人民解放軍と党中央の伏魔殿だった。

そんなものが、共産主義体制に存在していいわけが無い。

資本主義社会・民主主義社会とは、比較を絶して平等でなければならないのだから。

この体制を供奉する共産党幹部が、各々、一族郎党合わせて、数百から数千億のカネを抱え込んでいることは、中国人民はもとより、世界中の老若男女が知るところ。

みっともないこと夥(おびただ)しい。

それよりなにより、経済格差による、農村部の暴動激化と、少数民族のテロが、深刻な国内問題となっているが、それより恐ろしいのは、都市部で経済を支える人たちが、党中央の汚職により恨み辛みを、膨らませていることだ。

そのうえ、経済に陰りがでて、低所得者層を中心に、雇用不安が増大してくると、党幹部の裕福な暮らしぶりが、人の世の生き血をすする、醜い浮世の鬼に見えて来るではないか。

それでなくても、中国と韓国では、優秀な人材の海外流失が、極めて深刻。

これを止める手立てとて、両国には皆無。



とにもかくにも、中国経済が、世界を牽引するほどの猛烈な発展を遂げている時には、党幹部の汚職なんぞ、誰も問題視することはなかったのだ。

どんなに汚職のニオイが、芬々(ふんぷん)と経ちこめていようが、中国人民は、未曽有の好景気の美酒に酔って、鼻がきかなくなっていたのだから。

それだけに、わずかでも先頭の機関車の速度が落ちれば、遥か後続の貨車はたまらず衝突を起こしてしまう。

何があろうが、中国経済の速度を落とすことだけは出来ない。

中国は、共産主義体制に市場経済を導入した、フランケンシュタインのような人造国家。

エヴァで言うなら、ソ連という共産主義国を、リリスのようにコピーして、中国固有の民族主義を、エントリープラグのように、ブッ込んでいる、おっそろしい人造物なのだ。




そう、だから中国は何時、暴走してもおかしくない。






その昔、ヨーロッパ諸国から、蛇蝎(だかつ)のように忌み嫌われ、国名を口にするだけでその場が凍りつくほどに恐れられた、オスマントルコ帝国。

何度も、ヨーロッパ侵攻を試みたが、その度に、ギリギリのところで騎士団に押し戻されてきたが、ついにヨーロッパ側は、効果的な反撃を試みることさえ出来なかった。

その勝利の先頭には、当時世界最強と謳われた≪イエニチェリ軍団≫の存在があった。

イエニチェリ軍団とは、オスマントルコが侵略した国々の子供たちを根こそぎ誘拐し、物心つかないうちから、殺人兵器として教化育成した兵士で構成される、サイボーグ軍団のような軍隊。

ほとんどが、ヨーロッパ侵攻の時に連れ去らわれた子供たちなので、イエニチェリ軍団の兵士は大概が、金髪で青い目をしていた。

地中海を航行する、ヨーロッパの船は、オスマントルコの軍船を警戒して、護送船団を組んで航行していた。

これを、オスマントルコ海軍に襲われると、金銀財宝と子供たちを、そっくり奪われたのだ。

目的を遂げた、オスマントルコの軍船が、悠々と引き揚げて行くとき、浪間を伝わって、いつまでも子供たちの泣き叫ぶ声が聞こえてきたのだそうだ。

その子供たちの大半は、やがて自分たちヨーロッパ人を殺しに戻ってくるのだ。

それが分かっていながら、当時のヨーロッパの国力では、どうすることもできなかったのだ。

それは歴史で言うと、世界最強の要塞都市、コンスタンチノープルを、オスマントルコのスルタンⅡ世が陥落させた、1453年ころから激化し、1571年ヨーロッパ連合艦隊が、乾坤一擲の大勝負を挑んだ、レパントの海戦の大勝利で、ようやくヨーロッパが攻勢に転じ、その後なんと1699年の第二次ウィーン攻囲戦に、オスマントルコが大敗するまで続いた。

その、オスマントルコが、急速に国力を衰えさせていった原因が、当時世界最強の名を欲しいままにした、イエニチェリ軍団の暴走だった。

ナポレオンも、モスクワ遠征に大敗してから、急坂を転げ落ちるように弱体化した。

オスマン帝国といえど例外では無く、度重なる遠征は国力を疲弊化させ、帝国内の反抗勢力を活気づかせ、気ままに軍を派遣することが出来なくなっていった。

戦争を奪われた、戦争サイボーグほど恐ろしいものは無い。

たちまち、彼らの破壊と殺戮の衝動は、自国民に向けられることとなった。

オスマントルコは、多くの内憂外患を抱えていたが、このイエニチェリ軍団の内乱だけは、ついに宿痾(しゅくあ:治らない病気)となって、滅亡まで苦しみ続けた。





なんでこんな話しを長々とするかといえば、共産主義と人民解放軍の、末路を見る思いがするから。

人民解放軍がなぜ誕生したかと言えば、日本軍に勝利するため。

三つ子の魂百まで。この精神だけは何世代にも亘って中国共産党と人民解放軍を縛り続ける。

特に、人民解放軍は、中国人民が、経済的に豊かになることで、日本に対する怨念を薄れさせてしまうことを極度に恐れる。

中国人民が、日本との融和を志向すれば、それ即ち人民解放軍を、ただのカネ喰い虫と断じるようになる上、戦争は、ほとんどの経済活動を停滞させ、破壊するからだ。

そんな思いまでして、やっと手に入れた中国の発展を、人民が対日戦のために放棄するものだろうかはてなマーク

これを思うと、人民解放軍幹部は、夜もおちおち寝てられない。

それだけは、なんとしても避けなければならない。

このため、中国政府は、なりふり構わず反日教育を国是とする。

その反日教育に、いかなる矛盾があろうとも、共産党政府の教育こそが正しいとする。




中国共産党といえば、内部の権力闘争が止むことの無い、修羅の政党。

あまりにも、その度が過ぎると、その隙に人民解放軍が離反して勝手なことをやりだす。

習近平の統治能力に、内外から疑問符が付けられると、たちまち海上自衛隊を挑発し、米第7艦隊を挑発し、航空自衛隊のF-15にまで、危険な挑発行動を行った。

習近平による、人民解放軍の締め付けについては、ずいぶんとこのブログでも紹介しました。

東シナ海をはじめ、中国は、国境を接するすべての国々と軍事的緊張状態にあるのだ。

もはや、日本とだけ戦争しようとする軍隊なんぞ、中国にとっても邪魔なだけなのだ。

なのに、自衛隊に対する挑発は、止むことが無い。

まるで、末端まで示しのつかないヤクザ組織の様。

しかし良く見ると、自衛隊を挑発することと、第7艦隊を挑発することは明らかに違う。

主敵である、日本との戦争の障害を排除したいがために、第7艦隊を遠ざけたいのだな。

そのため、ことあるごとに、西太平洋にアメリカは口を出すなと言うのです。









イエニチェリ軍団ほどに野蛮ではないにせよ。

日本と戦争出来ない、対日戦軍団としての立ち位置に、人民解放軍は狂おしいほどに、もだえ悩み続けている。

そして、中国海軍にも空軍にも、自衛隊を挑発してやったぜと、暴走を競う風潮が出てきてしまっている。

これを、習近平が懸命に封じ込めているものの、もはや一兵卒にいたるまでの監視など出来ようはずも無く、一触即発の状態が、今も続いているのだ。











共産党幹部も、実はそうなのだ。

中国共産党は、50年代以降、ソビエト共産党と活動方針を巡って仲たがいし、互いに罵(ののし)り合っていた。

マルクス・レーニン主義に、時代とともに工夫と変化を加え続けたのが、ソビエト共産党で、マルクス・レーニン主義を、金科玉条のごとくに守ったのが、中国共産党だった。
中国はソ連を『修正主義者』と言って罵り、ソ連は中国を『教条主義者』と言って罵った。

ま、我々には、どうだっていい話しです。

中国でのマルクス・レーニン主義は、毛沢東の文化大革命によって、大きく停滞してしまったからだ。

文化大革命は、毛沢東の死後、失敗だったと総括されたものの、その後始末は酸鼻を極めた。

この轍を以て、中国共産党は、いかなる修正主義も≪悪≫としてきたのだ。

にも拘らず、共産主義を修正しようとする幹部が現れた。

鄧小平だ。

2度の失脚により、追放の憂き目にあいながらも、改革を諦めなかった。

追放の最中、とある町の食堂で、鄧小平が一人食事をしていると、追放中の鄧小平が現れたと、食堂の外に人だかりができてしまった。

食事を終えて、食堂から出てきた鄧小平は、悠然と自分を取り囲む人民を見渡して、こう言った。

『みなさん。もっと鄧小平を批判しましょうビックリマーク

これほどの覚悟と無私を貫く生き様と、死をも恐れぬ志があって、初めて政治は改革できるのだ。

わかりますかはてなマーク民主党のみなさんビックリマーク

やがて、共産党の幹部たちも、鄧小平の改革路線以外に、中国を発展させる手立ては無いと理解して、金科玉条だった教条主義の旗を下ろし、市場経済の導入を決定した。


こういうところは、さすがに合従連衡のDNAを持った民族。政治的思考が、その血液の中に、すっかり染み着いている。

『護憲、護憲』と、未だに吠えまくる、我が国の社民党と比べても見よ。

しかし、それによって、共産主義的体質まで変わったのかと言えば、そうではない。

しっかりと、共産党は共産党で有り続けながら、市場経済は中国大陸で胎動を始め、やがて軌道に乗ることとなるのだが、これがとんでもない、ねじれ現象だと認識していた中国人は、いったいどれくらいいたものだろうかはてなマーク
13億人を一党で支配する共産党政権が、市場経済をコントロールするなんて、当然、人類未体験。どうなるものやら誰にもわからない。

一党支配となれば、とてつもない利権が発生するのは自明のこと。

で、それをどうするのかなんて、誰も考えずに、中国経済はグローバルに爆走中。

当然、ヤクザの上納金のように、利権が一極集中することとなり、自然発生的に、党幹部と高級官僚に利権派閥が生まれ、ケンカしないで仲良く分けましょうということになる。

つまりこれ、何もしなくても、上納金が集まってしまうようになってしまったのだ。

これで、私腹を肥やせば、国家に対する反逆行為ということは、全ての幹部が知っている。

しかし、自分が悪事を働いたことで手にしたカネではないと、みんな思っているのだな。

誰かがやめろと言うまで、もらっときゃいいや、、くらいのノリだったのだろうが、そこには当然分配役の顔役が必要になる。

だから、今回の様に、周永康ひとりを斬ったところで、カネは集まり続けるのだ。

まして、なんで石油派閥だけなのだという疑問に、共産党幹部は答えていない。

これ以前に、鉄道省利権が、最大の問題とされていたのに、知らぬ間に、鉄道省が解体されてしまい、ここからどういうルートで、共産党幹部にカネが渡ったものやら、皆目わからなくなってしまった。

完全に、逃げ得なのだ。





だから、我が国の霞が関官僚が、血道を上げる、いわゆる≪省益≫と同じものだと考えていいと思う。

この省益とは、とどのつまり、税金から出たものではないかと、国民もマスコミの言うのだが、霞が関官僚は、税金だとは絶体に認めない。

それは、税金に対する解釈の違いだと、シャーシャーと言ってのける。

国のトップというものは、こういう金銭感覚を必然と考えるようだ。





ソ連の共産党も政府も、腐敗と汚職に押しつぶされて、消え果ててしまった。

ついにソ連は、汚職も腐敗も手を付けることが出来なかった。

巨大国家で、全ての権能が一極集中する統治機構なんて、ぶっちゃけ人間にはムリだ。

SFに出てくる、いくつもの銀河を束ねるような星間帝国なんて、巨大な人工知能が統治していたりする。

それで、異文化・異人種間の、最大多数の最大幸福を実現できるとする。

人間には、到底無理だと、誰もが思うだろうに、共産主義者は、一部の選ばれたエリートによって、政治経済・立法の司法・外交・軍事までも、統括してしまおうとする。






色々と、なんやかんや言われてますが、

中国は、司法に独立性があるわけではなく、裁判所といえども、共産党の下部組織として、その方針に従わなければならない。

となると、中国にとっての、トンネルの出口が、ほの見えて来るではないか。

とどのつまり、共産党こそが、最も邪魔な存在なのだ。

なぜ、共産党が必要かと言えば、13億人を一つの国家でまとめるためで、一切の多様性を斬り捨てて、中国は現在に至るのだ。

この矛盾に、中国全体が、いよいよ耐えられなくなってきているのだ。

この国の屋台骨は、わずか半世紀で、すっかり腐り果ててしまったのだ。

この次の改革には、鄧小平が少なくとも10人以上は必要になるだろう。

果たしてそれは、間に合うのだろうかはてなマーク












ということで、8月の第イッパツ目は、この辺で。

この辺と言って思い出しましたが、いつもいくスーパーで、子供連れの、辺見えみりに会いました。

エレベーター待ちしていたら、彼女の推すベビーカーが私の横に止まり、彼女の子が、ずっと私を見上げているので、思わず手を振ったら、彼女がニコッと私に笑いかけてくれました。

結構、芸能人をみかけるスーパーなんです。







では、お別れの曲です。









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