ナポレオンは何故、皇帝になったか?? | バトーさんのから~いブログ

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ん~~~~~汗

今日のテーマが絞りきれないので、思い付きでやります。

先日、イタリア戦争をテーマにしたときだったか、読者さんから、ナポレオンがイタリア人とは知らなかったと言われました。

ここは難しいところでね、ナポレオンが生まれた地中海の『コルシカ島』というのは、フランスとイタリアが交互に占領を繰り返していたところ。


だから、ひとつの家系で、兄弟が、戸籍上フランス人とイタリア人に別れるなんてこともあったらしい。

ナポレオンの父は一応、フランスの下級貴族であったため、フランスの名門、ブリエンヌ幼年士官学校に入ることができた。


開校以来の好成績で、パリ士官学校へと進み、教師が避けて通るほどの秀才で、あまりに煙たいので、16歳で、砲兵少尉の官位をもらって放校されてしまった。

あっと言う間に、革命軍の大尉になって、かの有名な、ツーロン港要塞攻略戦に駆り出される。

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ここで初めて、軍事的天才を天下に示すことになる。




ナポレオンの上官が口をそろえて言ったこと。

『あいつはどうして、何でも知ってるんだはてなマーク



ナポレオンは、要塞内の敵がいつどこにいて、味方のどこを攻撃してくるか、全て予測し敵中させた。


そして、最後は敵の急所を発見し、そこに向けて全軍をまとめて突撃した。

自ら軍旗を掲げてサーベルを突きだし、先頭に立って突進してこの要塞を陥落させてしまった。

確かに彼はなんでも知っていた。




プラトン言うところの『生得の知恵』というヤツ。


歴史には時々こういう変異体が登場する。

生まれる時に、歴史のプログラムが予め頭にインプットされて生まれてくる天才がいるのだ。





日本で言うと信長がまさにそれ。


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かくてナポレオンは、華々しい戦勝を重ね、執政官として政治の表舞台に立ち、フランス中の歓呼に応えて皇帝になった。

ここは歴史の分かれ道。

ベートーベンといい、ゲーテといい、歴史上名だたる人は、革命の申し子、ナポレオンに近世の扉を開くカリスマとして称賛を送り続けていたが、彼も人の子、名誉に目が眩み、皇帝の称号を簒奪したかと、激怒しまくった。




いや、そうではないのだ。




皇帝とは、帝国を統べる者。

帝国とは、古代ローマ。

これ以外に無い。

ところが、ローマが分裂し解体してしまって、困り果てたのが、カソリックの総本山、バチカン。

バチカンは自らの庇護者として、新しい帝国を欲したのだ。






そして、ヨーロッパの中原に覇を唱えたハプスブルグ家に皇帝の称号を与えることで、誕生したのが、神聖ローマ帝国。

バチカンの公認を得て、お互い持ちつ持たれつ、ヨーロッパ中世をプロデュースしてきた。

この、神聖ローマ帝国を打倒したのが、ナポレオン引き入るフランス革命軍。




中世のくびきは、音を立てて断ち切られた。

全ヨーロッパが歓呼の声を挙げた。

主役となったフランス人は有頂天になったのだ。

なぜって、お隣さんの帝国に対して、フランスは単なる王国。

ずっとバカにされてきたのだ。




今では考えられないが、フランス革命当時、フランスはヨーロッパでも、文化的ド田舎だったのだ。

政治・軍事の中心は、神聖ローマ帝国で、文化・歴史の中心はイタリアだったのだ。




だから、当時のフランス人の、神聖ローマ帝国に対する劣等感と、イタリアに対する、あこがれは身を焦がすほどだったのだ。



例えば、戦後の日本は、アメリカ的なものを全て肯定して希求した。

『アメリカでは、こういう時にこういう風にしているんだ。』と、誰か言うと全ての人がそれに倣った。

『アメリカじゃ、こんなやり方は考えられない。』と誰か言うと、全員が否定に回ったものだ。




この当時のフランスも一緒。

イタリアの全てが肯定された。そのブームにナポレオンが登場した。

また、ナポレオンの顔立ちが、イタリア人そのものの顔で、まさに日本の韓流スターブームの様な熱狂に包まれたのだ。




クレオパトラもそうだ。

彼女がなぜ、エジプトの全国民から支持されたかと言うと、当時のエジプト人が憧れた、ギリシャ人だったからだ。

現在、アンジョリーナ・ジョリーが演じる、映画『クレオパトラ』が話題になっていて、彼女こそクレオパトラに相応しいという日本人がいるが、これは間違い。


そもそも、『クレオパトラの鼻が3センチ高かったら』というのも、正しくは『~3センチ低かったら』が正解なのだ。



クレオパトラは、ギリシャ人だから鼻がバカでかかったのだ。


これを、エジプト人は美人とするが、古代ローマ人は好まなかった。






さてナポレオン、現代の韓流スターの様に話題をさらい、一躍寵児となった。

ここで、フランス人は、長年の劣等感を払しょくしたいと考えた。

お隣の国が、永らく帝国で自分たちがそれを倒したのだから、帝国を名乗りたい。







これはムリ。




そもそも、帝国とはなんぞやはてなマーク


複数の国を一つにまとめ、それぞれの王の上にすべてを統治する、権力者としての皇帝を置く、国家群を言う。



だから、いかに神聖ローマ帝国を倒した大功あるフランスでも、帝国を名乗ることは出来ないのだ。



そこで、ナポレオンは、ウルトラCを考える。


すでに併合していた、イタリアと現・ドイツの一部を併せて、フランス帝国だと宣言した。



これには、全ヨーロッパが呆気に取られた。



しまった、その手があったかというほどの、盲点だったのだ。



かくて、大熱狂の国民投票で、皇帝ナポレオンが信任され、これら既成事実を以て、バチカンに、新帝国と新皇帝を認めさせた。


ナポレオン一世一代の絶頂期。

『この世をば、我がよとぞ思う望月の欠けたることも、なきと思えば。』ってとこ?


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確かに、教科書には、ナポレオンが、ブリュメールのクーデターで皇位についたように書いてありますが、それには、こういう背景があったのです。


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ってなことで、今日のお別れの曲です。