こんにちは

先週末いい天気でしたが、今週はまた雨です。休みの度に狙ったように雨が降るので、本当に 勘弁していきたいですね

しかも今週の日曜日(明日)は仕事です

さて、雨降りの休日で、午前中は歯医者、午後は子供達の子守、更にはソロバン教室の送迎をしなければならない…。雨降りで子供付きの休日になってしまった

そんな休日は、家でゴロゴロして過ごします。ただただ暇です。ブログネタもありません…。
今日みたいにザーザー降りの雨だと、TZR250R 3xv の姿もKSR-II の姿も見る事は無く、カーポートの下も雨が舞い込んでビタビタなので、バイクイジリも出来ない。今日は思い出話です。
みなさん、なぜバイクに乗るのですか?どんな所が好きですか?
人それぞれだと思います。
それでは昔話第1話です。俺がバイク(原付)に乗り始めたのは、高校1年生の冬です。
当時の工業高校に通う男子の多くは、16の誕生日を迎えると、原付の免許を取りに行った。
俺もその1人で、速攻で免許を取りに行ったが、試験に受からなかった
それから、2ヶ月程時間があき、2回目の試験を受けに行き、ようやく合格しました。

意外にお金が掛かるもので、当時の俺は財布の中身がほぼ0になってしまった…。帰りの電車賃も無くなってしまったので、試験場から祖父の家まで歩いて行き、祖父にお金を貰って、家まで帰ってきました。その時は3時間は歩いたけど、合格の喜びでテンションが上がっていた。
そんな始まりです。
当時のジャンプやマガジンなどの雑誌の裏には、メッツカラーのTZRのプロモーション広告が掲載されていて、それをみた当時の俺はTZRに惚れ込んでいた。
学校では、雑誌を広げてはTZRやNS1の話でよく盛り上がっていた。今考えるとNSR50に興味を引く同級生はいなかった。
NSR50 は友人のお兄さんが乗っているイメージです。発売時期もTZR50やNS-1より先でしたから。
多分16の時にフルサイズのTZR50やNS-1がすでにデビューしていたので、12インチの小さなNSR50 には興味がいかなかったと思う。
で、俺は友人の先輩から、TZR50を中古で買った。何も知らない俺は、ボロボロのTZR50を7万円で買ってしまったのだ…。
フロントフェンダー無し、アンダーカウルなし、おまけにアッパーはボロボロの耐久、シートカウルはボロボロの社外品、フロントフォークのオイルはダダ漏れ…。今であればそんな状態のTZR50でも、7万円の値が付くだろうが、当時の価値感では7万円の価値なんて無い。ハッキリ言って騙されたのだ

それからは、TZR50で遊びまくった。そして、全く大事にしていなかった。ブレーキパットやタイヤ交換をバイク屋にやってもらったくらいで、ノーメンテナンス車両だった。
今思えばただの足に過ぎなかった…。
そんなんだから、TZR50を焼き付かせてしまった。
TZR50の次は、タクトに乗ったんだけど、タクトの入手方法や処分した記憶が一切無い。
しばらくタクトに乗っていると、当時不思議と、どこからか、TZRのエンジンが沸いてきた。
多分盗難車両のパーツが流れてきたんだと思う。平成初期はそんな時代でした。
高校生の俺は深く考えず、友人達とエンジンを載せ替え、TZRを復活させた。
記憶が曖昧だけど、高校3年生の頃、バイト先の先輩からTZR50 多分92を貸してもらい、卒業間際までそのTZR50を乗っていた。
今考えれば、あのTZR50も怪しいもんだ…。
当時うちの親は、バイクに反対だった。18になり、俺が中免をとり大きなバイクに乗る事を心配して、車の免許取得と同時に車を買い与えられた。
初の車はターセルと言う車だった。高校三年生の3学期は車で学校の近くの友人宅まで行き、そこから通学していました。因みにTZR50もその友人宅にとめていました。
その時は、誰も車を持っていなかったので、ターセルだったけど、優越感に浸ったなぁ。
そして、友人を車に乗せて夜中までよく遊んだものです。
その後、大学には行かず(行けず)社会人となり実家を出た俺は、速攻で中免を取りに行きました…。
そんな原付生活でした。
またネタがなくなったら、社会人1年生から一旦バイクを降りる所までを綴りたいと思います。
画像が1枚もないので、適当に過去画像を貼っておきます。