ふ年が明けてあまり変わらない生活を送っているつもりでしたが、夜中にトイレに行く習慣がついたようで、これは困ったな、寝不足過ぎるとこれからを不安に思っていた矢先


成人式の1月8日、遅くなったけど母親と初詣に出ようと。

すると出たとたん、トイレに行きたい

ユーターンして家のトイレに。

あまり出ず、再度車に。

遅くなったのもあるけど、何だか調子が良くなさそう

今日はやめとく?

いや、行く

始めは車で1時間かかる神社に行こうと考えていたけど車で20分の神社に変更し、外食を考えていたけどそれも止めて帰って食べる事に。

神社に車内からパンパンし、たこ焼きが食べたいというので買う。しかし、1つしか食べず。

帰りに握り寿司を買い家に帰って食べた。

夜、昼が遅かったのでお腹が空いてないかな?と思い少なめに用意。案の定、それも半分くらい残す。

遅めに食べて寝たあと、1時、私を呼ぶ母。

お腹が痛い。

トイレに行く?

うん、行く

でも出ない。

2時、お腹が痛い

トイレに行く?

うん、少し出た

これを繰り返し、4時になる。

もう6時には起きて透析にいかなくてはならない日。さすがに疲れた。

痛いという母親をなだめすかし、少し横になる。

6時には起きられず、寝坊。

7時、母親、吐き気がする。

両手いっぱいくらいの嘔吐物。

初めてに近い嘔吐物。

これはおかしいな、と思いながら血圧を測る。変わりなし。

透析に行きたくないという母親を病院でみてもらおうね、と言い聞かせ車に乗せる。

透析を受ける前に症状を伝えた。

担当医師が母親のあまりにも表情がおかしいとCTを撮ってくれていた。

すると、肝臓に空気が溜まっている。

胃にパンパンに物が入っている。

血管の動脈硬化が激しい。

とのことから腸が壊死する可能性が高いので他の病院で検査と処置をしてもらう、と救急搬送し検査結果で小腸が一部壊死していた。

そこから大急ぎで手術の段取り。

あっという間に開腹手術で壊死部分を切る。

とりあえずは、切ったままで数日様子をみて腸を繫げる事に。

ICUに救急入院。

あれよあれよと言う間に、母親は管をたくさんつけてベッドに横たわった。

手術室に入る前は、私に付いてきて、と行っていたが、まな板の上の鯉状態だからどうしようもない🥺


途中途中、兄、妹にラインで連絡報告。

兄妹が来たのは手術が終わってからだった。


ネットで母親の状態を引っ張ってみると


こんなんが出てくる。
死亡率が大変高い状態を上手にくぐり抜けていた。母親は強し。

あれからまだ、意思の疎通はしていない。
今日もこれから面会に行く。
早く意思の疎通ができるといいな。
そんな新年の始まり。