私は43歳から不妊治療を開始した。


最初は『不妊治療ってなに?具体的にどんなことを調べて何をするの?子宮の状態とかを調べるのかな?』とよくわかっておらず


また昔長男をたった一度で妊娠した為、自分が割りと妊娠しやすい体であると過信していて、年齢的には厳しいけれど私ならすぐ妊娠するんじゃない、くらい軽く考えていた。





シングルでずっと必死でやってきて、学生から看護師になって、少しずつ慣れてきて、家も買って、子供も大きくなって手が離れてきていた時期。

妊活を始めるにはとても遅いけど、パートナーも子供を欲しがって、たまたまタイミングがそこだった。



43歳だし今年が最後のチャンスかもなーと知人も通っていたクリニックを進められなんとなく行き、とりあえず子宮の状態やらを調べてもらえばいいかくらいのノリで受診。

AMHとやらも知らなかった。

そこで初めて自分のAMHというものを知って、え?28歳レベルじゃんすごい~、とまだ大変さが分かってなかった。

量と質は違うことが理解できてなかった。



そこから、気づけば自分が体外受精まで行うことになるなんて、その時は知識もたいしてなく考えてはなかった。


なので、すすめられるがまままず体の状態を調べてもらい、何の異常もなかったのでタイミング療法で半年。

確か医師に最初の方、タイミングでやってみます?と聞かれて、はい、と答えて

「…体外受精はしないんだ…」と呟かれたのを覚えている。

その時は、「あ、はい。まだパートナーもそこまで考えてなくてとりあえずタイミングでって言ってて」と軽く答えた。


先生は「…まぁ男の人はあんまりわからないよね~…」と言った。

きっと、『一刻も早く始めたほうがいいのになぁ~』と思っていたと今なら思う。




タイミング療法は、毎月クリニックに行き血液を取り、卵巣を見てもらい、卵の大きさをはかってもらい、だいたい数日後に排卵するのでここでタイミング取ってね、と医師の指示に従う。


でも、排卵する時間ってすごく短くて、そして個人差もあるし、100%この日っていう正確にはわからないわけで。

少しでもずれたら受精しないし、受精しても着床するかもわからない。

クリニックに行って、あぁ排卵しちゃってるね~また来月、なんてことも多い。

せっかく会社に休みを取って行ってもこういうこともあり、心底ストレスになる。


この頃にやっと、『こんなに排卵日すら確認することが大変なんだ…妊娠てすごい奇跡的なことが重なってやっとできるものなんだ』と気付いた。




そして半年が過ぎ妊娠しやすいと思っていたのにしなかったので、医師の提案で人工受精に切り替えた。


精子をも持参して、元気な精子を抽出して医師に注入してもらうという、限りなく自然妊娠に近い方法。



そしたら、一回目で陽性。



やっぱり私できやすいんだなぁと思っていたけど、タイミングで全然妊娠しなかったから年齢的なことが気になって色々と調べだしていた頃で少し知識がついてきていたので、

流産しないか

障害のことも(障害に関して、我が家は第一子ではなく、上の子に手がかかることもまだある上、私たちが高齢でもし障害があった場合自分達がしっかりと面倒を見続けられる保証もないことから、もし検査で異常があれば諦めると話し合っていた)不安しかなかった。



結果、つわりが酷くなってきた頃に流産した。






その頃から、やはり年齢的に出来ない確率がかなり高いことを実感してきていた。


医師には1%と言われた。


一刻も早く体外受精に切り替えるべきだった、そして受精しても遺伝子の異常があれば育たずまた流産して、体力的にも精神的にもきつく、金銭的にも無駄になり、何より時間が無駄になると焦った。


そして今後の人生後悔のないように妊活に本気で取り組もうと腹を括った。

急な検査も多く会社との両立はもう不可能だと思い、正社員からパートにも切り替えて本気で挑むことにした。



友人も昔していたPGT-Aのことを知り、なんでもっと早くしなかったんだろう❗と思い気持ちを即切り替えて手術後の生理がきたあとすぐに体外受精、そして受精し胚盤胞になったものを躊躇なく全てPGT-A実施した。


私は何より時間の無駄を嫌う性格。


夫は費用的なことを心配していたけれど、私は頑なに時間がない❗と譲らなかった。

自分の貯蓄から限界までやりたい、と懇願した。



とにかく痛い採卵を経て取れた卵と精子を受精させ、胚盤胞まで育った10個以上検査にだした結果、全てに異常があった。


湯水のようにお金が無くなっていき、治療の苦痛もあり、かなりのストレスがかかっていたけれど、自分の決めたことだから仕方がなかった。



それでも、諦めたくなかった。


一個も取れないわけではなく、20個に一個取れる可能性があるなら、あともう一度だけ。



これが不妊沼か。
不妊治療の辛いところだと実感した。


辞めようという決断が、なかなか出来ない。




何度も何度も話し合って、精神的、体力的、金銭的負担を考えてあと一回だけ、と決めた。


これでダメなら納得がいくけれど、これをしないでここで諦めるのは納得がいかなかった。

最後はもうそれだけだった。


後悔したくない。


夫に伝えたのはそこだった。






それが、去年の2月。


たくさんの卵が取れて、たくさん受精して胚盤胞にもなって。


最後の治療。
グレードの良かった三個だけ検査に出した。




結果、やって本当に良かったと思う。





この検査は、色々とリスクやデメリットもあるし、何より一個10万という費用的な問題が深刻だ。


しかし結果今妊娠継続できているのは、間違いなくPGT-Aのおかげだと思う。


この年齢だと、20~30個のうち一個正常卵が取れるかどうからしい。


私の場合は子宮や卵管にもなんの異常もなかったこと

卵の数も多くて採卵成績がよかったことがあったのか

14個程度の検査で一個取れたが、それでもPGT-Aだけで100万以上かかっている。


一個一個に検査毎に凍結、融解代金もかかるし、検査にいくまでに採卵代金や内服薬、自己注射の高額な費用も全て自費でやった。

毎回の採血も全てが自費で、本当によくこの短期間で払えたなと思う。


でも、やらなかったらきっと、いくら受精しようが、いくら胚盤胞まで育ったものを移植しようが、いくら見た目綺麗なグレードAのものを移植しようが、途中で13回流産していたか障害がある状態で出産していたことになる。



それくらい高齢になるとどうしても遺伝子のエラーの確率は上がってしまう。




PGT-Aの精度は100%ではないので、産まれてみないと分からないことも多い。

でも、確実に効率は良い。

私のように年齢的に時間がない人で迷っているなら、やらないよりは絶対にやったほうが良いと個人的に思う。


精度やメリット、デメリットについては詳しく書いてある↓





この年齢でここまでこれたことは、この検査のおかげだと思っているし、これが最短の道だったと思う。



遺伝子異常が100%ではないけれど、少なくとも私は臨月を迎えることができているからだ。




不妊治療というのは、終わりが見えないし誰も決めてくれない。

病気でもなく、健康でも結果が出るかも誰にもわからない。

他人に決めてもらうものではなく自分が決めるしかない。


結果もだが、とにかく本人の納得がいくまで後悔なくやることが重要なのではないかと思う。


妊娠前から続けたもの

 

 

 

https://umulin.me/