見学を終えた私達は、お昼を取るためにレストランへ。このラヴ-亭の
1階は伝統的なフレンチのお店です。パンフレットにはミシュランに「安
くて美味しい店」として掲載されているとありました。少し分かりづらか
ったのですが、入口を見つけて聞いてみると今日は満席。残念です。季節
的にまだ混み合う時期ではないと読んで、予約しなかったのです。前日に
でも電話してみるんだったと後悔。仕方が無いので、他を探すことにしま
した。
ラヴ-亭が食事を出す宿屋として繁盛していた頃の写真
シックで落ち着いたレース越しの店内。
ここで食べれなかったのは残念。
ラヴ-亭を出てから、お昼の前にすぐ近くにあるオーヴェール城へ行っ
てみることにしました。ここは17世紀にフィレンツェのメディチ家が建て
た城。1980年代の初頭には廃墟同然だったのですが、生まれ変わって印象
派の記念館となりました。
貼り付け元 <http://ameblo.jp/pheme-japan/entry-10658989742.html >
庭園の緑の美しさはベルサイユに通じるものがあります。季節的に一番
良い時期だったのでしょう。今日のオーヴェールは日焼けを気にするぐら
いの上天気です。中は閑散として、人の気配がありません。さあーっと見
て出て来ました。後から分かったのですが、有料だったみたいです。済み
ません!でも係の人は一人もいませんでした。お金を出してまで?と言わ
れたら微妙です。場内はスライドやロートレックが生きていた頃のカフェ
の再現やら。結構にリキが入っているのですが。
端正な姿のラヴ-城
庭園が見事です
館内の様子
お腹がかなり空いて来ました。レストランらしいお店は今のところ駅前
の近くだけだったかもと、戻ります。数軒ありましたが、ここでちょっと
したミス。美味しいかどうか分からないレストランで食べることもないだ
ろうと、ホテル併設のカフェを選択したのです。今日の夕食はパリに戻っ
てフレンチなので、ここは手軽にガレットでもと。
娘が注文したのはチーズと卵・ハムをのせた「Complet」(コンプレ)
で、私は「Oasean」(オーシャン)。出てきたコンプレはパリッとして
いた皮がすぐにしんなり。それでもまだマシでした。私の期待していた
オーシャンは、なんとガレットでは無かったのです。ガーン、カルトで
は確かにガレットの下にあったのに・・・。
ボリュームはたっぷりです
見た目はすごい。でも蟹がカニカマなんです。
日本から伝わったんだったりして。この中で
美味しかったのはサイコロに切ったチーズです
まぁ、とにかくお腹はいっぱいになりました。ゴッホとテオが眠るお墓
に向かいましょう。駅に戻ったおかげで、標識がすぐに見つかりました。
さっき見た標識の反対側にお墓への道が出ていたのです。狭い階段を行く
と再び標識があり、迷わずに行く事が出来ました。途中にゴッホが描いた「オーヴェールの教会」のモデルとなった教会があります。ゴッホはこの
教会と背景を独特の青で表現していますが、実際の建物は濃いグレーに近
い色です。天気の良さもありゴッホが描いたような暗い沈んだ印象が教会
自体にはありません。でも、だからこそゴッホが内側で捉えた色としての
青には計り知れない重さを感じます。
「L'eglise」(教会)と
「Les tombes de Theo et Vincent」の標識。
「tombes」がお墓です
間違ったかな?と思ったら、この先にも標識がありました
この坂は近道だったようです
教会の前に立っているゴッホが描いた
「オーヴェールの教会」のプレート
実際の教会
ここでも賑やかな小学生の団体に二つも出会いました。英語を話せる子
供がいて、パリから来たと言います。そっかー、日帰りの修学旅行がゴッ
ホだなんて、本当にフランスは芸術教育が盛んですね。この教会に向かっ
て右の道を行くと今日最後の目的地「テオとヴィンセントの墓」です。お
墓までの道程は歩きで約10分も無かったと思います。でもここはゆっくり
と歩きたいですね。遠くに見えるオーヴェールの風景や道端の花々。くし
くもゴッホがこの街へやって来たのは、1890年の5月でした。そのどれも
がゴッホも目にしたものかも知れません。
お墓へ向かう最後のカーヴ
道端に咲くひなげしと麦の穂
もうすぐです
お墓周辺の風景
見えてきました
寄り添うように並ぶ二人のお墓
(周囲のお墓よりもずっと質素です)
お墓への道、そしてお墓からの道。同じ道なのに、ゴッホが一瞬一瞬
を切り取ってキャンバスに描いたような空をみていると、胸がいっぱいに
なりました。
Auvers-sur-Oiseのケム