この歳になっても 親との葛藤から抜け出せないという現実を つきつけられた。

大学まで行かせてもらったし、好き勝手してきたけれど、
我が家は決して愛情あふれる 温かい家庭ではなかったと 今更ながら思う

虐待も何もなかったけれど なんとなく 自分は望まれて生まれてきた子どもではなかったのだと 子ども心にいつも感じていた。

だから いつもいい子を演じて 大人に認めてもらおうと 一生懸命だった気がする。そして その一方で あの家から出ることばかりを考えていた。そして、大学入学とともに ついに念願がかなった。

だけど悲しいもので この歳になっても いい娘を演じようとする自分がいる。
年老いてく親、古い家族制度に縛られて 自分を犠牲にして生きるしかなかった親 のことを考えると 可哀そうだと思う。でも だからといって かわいそうな親のために 自分も同じように 家のために自己を犠牲にして 生きていかないといけないとは思わない。

自分のそんな生き方に対して、親はある種の羨望とねたみを抱いていると思う。自分たちには できなかった 自分勝手な生き方だ。

かわいそうな親に 少しでも喜んでもらいたいと思って あれこれ計画したけれど、やっぱり うまくいかなかった。

彼らの望むのは 結局は 昔ながらの同居スタイルの古い家族なのだから、それが実現できなければ 何をしても喜んではもらえない。結局 認めてはもらえないのだと 痛感した。

痛感したし、哀れにも思うけど、やっぱり自分にはできないことだ。
せいぜい 親孝行のまねごとをする 薄っぺらい よい娘を演じるだけだ。虚しいけど、それしかない。この葛藤は 親子関係が終わるまで終わらない...


後ろ姿



ワンコは 自分に与えられた毎日を 精一杯 いきるだけ
それが ワンコの哲学さ