『旧岩崎邸庭園』2度目で大発見♬ | しのぶのブログ

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主に趣味に関したことと日々の出来事を時々書いています。萬収集家しのぶのブログです。

先月ですが、5月25日(金)に湯島に有る『旧岩崎邸庭園』に行って来ました・・・2015年に1度訪れているので2度目の訪問です。

この『旧岩崎邸庭園』は終戦後の昭和20年に占領軍であるGHQに接収されていた時期が有り、参謀第2部G2の諜報機関であるキャノン機関(The Cannon Unit)があったところです。






今回の目的は、ズバリ邸内の写真を撮ることで、前回の時は邸内の撮影は出来なかったのですが、H28の4月から個人的な目的ならば撮影許可がでたのです・・・但し平日のみなので、25日は有休を取って行って来ました♬



久し振りの千代田線湯島駅から徒歩3分程で到着しましたが、ありゃ洋館の外壁塗装工事で足場が組まれていて全体写真がこんな感じになりました・・・工事終了は10月頃とのことで、秋にまた来たいと思います。







正面玄関から中に入ると1階の広いホールです。
明治時代の三菱財閥のお屋敷です・・・素晴らしい洋館ですがこれが特権階級の住まいなんだと思うとタメ息が出ました(笑)




しかし今回の目的はこの旧岩崎邸自体ではなくて、GHQのキャノン機関のキャノン中佐がどこの部屋を使っていたのかと、キャノン中佐は無類の拳銃好きで自分の事務室から窓越しに庭の立木にコルト45口径を撃ったとか、来客を威嚇するためか、邸内でもその人物の頭上や足元に1発撃ちこんだというエピソードが残っています。

しかし庭の立木は既に無くなっているし、邸内の壁や廊下の弾痕だって修復してあり残っているワケは無いとは思ったのですが・・・!






今回は邸内の写真撮影が出来るので、「ホール」から「客室」などを撮影しているときに女性のガイドさんがいたので「実は戦後GHQに接収されていた時に、キャノン機関として使われていた旧岩崎邸に興味が有り来ました!」とッ言うと「あ~その話なら、今日丁度ボランティアのガイドさんで詳しい方が来ているのでお呼びしますねッ!」といって連れて来てくれたガイドさんは70歳前後で長身の男性でした。

そこでズバリ本題で「当時キャノン中佐が邸内で拳銃を撃っていたというエピソードが残っていますが、どの部屋がキャノン中佐の事務所でしたか?」と聞いたら「いや~GHQ絡みのお話しをする方がたま~に来るのですが、残念ながら誰がどの部屋を使っていたとかの記録はないのですよ!」あッやっぱしと思っていたら・・・「でも拳銃を撃っていたのは本当らしくて、弾痕が1ヵ所だけ残っております!」
え~本当と思わず興奮して「本当ですか、それどこですか?」の問いにガイドさん「普段別に見学するような場所ではないのですが・・・どうぞご案内します!」

でッ案内されたのですが、今回このブログでは詳しい場所は載せませんが、弾痕の写真は下のです・・・これはたぶん2階のホールで威嚇する人物の足元に撃った弾が1階のこの位置に貫通したと思われます・・・いや~間違いなくコルト45口径の弾痕だと思います♬




2度目の訪問で凄いモノを見られたので、超興奮した私はこの親切なガイドさんにこのあと岩崎久彌氏の「書斎」に「婦人客室」等を案内してもらい別れた後は、もう嬉しくて一人ニヤニヤしていたのでした(笑)



そんなワケで各部屋の説明もよく読まないで、ただキャノン中佐が使用したであろう部屋探しに没頭したのですが、結論からいうと上と下の写真の「書斎」が雰囲気的にはピッタリくるのですが、どうでしょう・・・もちろん今現在は接収当時の部屋を再現しているのではなくて、あくまでも三菱財閥の社長だった岩崎久彌氏が住んでいた邸を再現しているのですから。







この写真は2階の「客室」ですが、この部屋も何となく見晴らしもいいし、キャノン中佐が使っていた気がしないでもないな~♬



下の写真は岩崎家の家系譜と集合写真が展示されているサンルームです。






下の写真は1階の洋館から和館へ行く廊下です・・・途中にトイレが有り、その先に喫茶室があり、抹茶やコーヒーフロートが飲めます。





2年振りの訪問でしたが、思いがけない大きな収穫が有り、GHQ占領期にキャノン機関という諜報機関がここに居たという歴史的な旧岩崎邸でしたが、秋にはもっとゆっくりと回って、写真も整理してキチンと撮り直したいと思いました。

正面が改修工事中なので、〆に撞球室(洋館の奥)と撞球室(内部)と庭から観た洋館です!








旧岩崎邸で戦後に起きいまだに謎が解けない怪事件に思いを馳せた一日でした~♬