今月の2日に参加した長瀞総合射撃場での「Valiant Cup」の記事が、当日取材に来ていたコンバット・マガジン誌の編集者さんの言っていた通りに昨日発売された9月号に掲載されました。
不肖の私も集合写真に写っていたので、迷わずに会社帰りに買ってしまいました(笑)
コンバット・マガジン誌はかなり昔しには月刊GUN誌と一緒に購読していました。がッ銃器そのモノの記事が専門の月刊GUN誌との違いを出すためか、コンバット・マガジン誌は段々とミリタリー関係の記事が多くなって来たので止めてしまいました・・・だから今回は多分7~8年振りの購入です。
さて、今日はお休みでしたので夏休みで英語の補修授業に参加している娘を送って帰宅すると「ファン・シューティングVOL.17」が届いておりました。
早速中のページをパラパラ捲っておりましたら、何とこちらも「VALIANT CUP」の記事がカラーで2ページを割いて掲載されていたので驚きました。
確か当日取材と競技にも参加していた真丘さんは「事情があり、今日の記事は次号には掲載されません・・・多分その次の号です!」と仰っていたのです。
はは~んこれは「今月下旬販売の9月号に掲載しま~す!」と宣言していたコンバット・マガジン誌へのライバル心からか?・・・な~んて下衆の勘ぐりですなへへへ・・・真丘さん失礼しました!
どちらの雑誌も開催されたような射撃会には随分と好意的であります。私のよな昨日・今日スラッグ射撃を始めた親父でも気楽に参加出来るこのような射撃会は有難いです。射人会さん・・・ダイスケさんSCOさんhiddenさん今年も開催して下さいね~!
コンバット・マガジン誌を久し振りに購入したら、以前に購入していたバックナンバーを読みたくなりました。
書斎のクローゼットをガサゴソと探したら出て来ました・・・まだ20~30冊残っていました。
下の写真はその中でも古いモノです。1980年の9月号が一番古かったです。よく捨てなかったな~、と我ながら物持ちがイイと言うかモノを処分出来ない貧乏性であります(笑)
そんな中にあった1冊・・・1983年の5月号です。
この号にはアメリカで流行りだしたペイント弾を使用したサバイバル・ゲームの特集が組まれておりました。
私の知る限りでは、このペイント弾のサバイバル・ゲームが紹介された後から日本におけるサバイバル・ゲームが始まったと思っています。
もっとも日本ではペイント弾を使用する銃の代わりにエア・ソフトガンからガス・ガンそして今は電動ガンが主流となって、全国的に普及して来ました。
この記念すべきペイント弾を使用するアメリカのサバイバル・ゲームを日本に紹介したのは、月刊GUN誌などのレポーターとして当時から現在まで活躍しておられるICHRO NAGATAさんであります・・・この頃は口髭はありますが、細見で色白な優しそうな兄貴といった風貌でしたが、最近の写真を見たら、髭は白髪で浅黒い傭兵のような風貌に変身しておりました(驚)
私はサバイバル・ゲームは1度も経験がありませんが、「ファン・シューティング」誌のモデルさんで自身もクレー射撃をするショルダーみさみささんがサバイバル・ゲームもやっているようでみさみささんのブログで読むと中々盛況で各地に沢山のサバイバル・チームが存在するようです。
私自身はサバイバル・ゲームをやりたいと思ったことはないのですが、写真で見てもハードでもうやりたくても出来ないな~と思います。動かないスナイパーなら大丈夫かな(爆)
ペイント弾を使用するアメリカ版サバイバル・ゲームはペイント弾が当たれば色が付くので一目瞭然にやられたことが分かるのですが、BB弾を使用する日本版サバイバル・ゲームはBB弾に当たったらその人が自分で「ヒット!」とか言って戦列から離れるということのようですが・・・つまり自己申告制ですよね、コレって言わなければ何時までも戦っていられるのじゃ~ないかしら。でもそれじゃゲームが成立しませんよね失礼!
こうして昔のコンバット・マガジン誌を読んでいると、とても懐かしくなってしまいました・・・そうイチローさんも若かったけど自分も若かったワケで26歳くらいだったですね~。いま思い出すと当時はオーディオ・ブームでして、私も少ない給料を工面してコンポーネント・ステレオを買い、週末には友達を読んではカーペンターズや陽水やビートルズ、ジャズetcを聴きながら酒盛りしてました・・・あ~あの頃に戻りたい!