16世紀を主とする中世の国史跡愛媛県松野町河後森城の整備は西十郭、本郭と進んできた。そこでは馬小屋の復元、主殿舎の表示などが行われ、一部それらを使っての活用も行われている。
次は故城域でるが、ここでは郭に進入する大きな堀切と郭からなるが、まず堀切(門デス)の整備が行われた。ここの門は6回建て替えられ、はじめは外側傾斜面のアゲスド門で、のちには中に入った開き戸門へと移行したらしい。
ここの整備の特徴は門の柱穴のお内側に輪っかを回し、常時は蓋をしているが、活用時に蓋をとって臨時に柱をたてて、門を復元できるようにしたことだ。これで、よくあるように「ハイ、門の跡です」という無味乾燥な生きていない整備からは少しは免れるようになることを期待したいね。
だったら初めから復元していつでも誰でも理解できるようにすれば良いではないかというのが地元の人の意見。何故でしょうね、地元のセイではないよ。
今年度は故城の郭平坦面の整備に入るとのこと。ここでは塀庇、番小屋、納屋などの平面表示が行われるが、その幾つかには柱穴に門柱と同様の仕掛けがこころみられ、活用時に活かされる予定。
幾つかの立木の整理でここからの眺望もずいぶんよくなったね。
城への入り口である風呂ヶ谷口の案内板がリニュウーアルされて、判りやすくなった。郭から郭への移動時間も書き込まれ、訪問者には便利だ。描いたのは四角のなかの早さんです。
堀切の柱穴の仕掛け、蓋をはずしたところ。白線は柱と柱を結ぶライン表示
故城から北の広見川を見渡したところ。