古代末?
地盤も層位の確認も今から。
から16世紀末にまで続く戒律寺院、等妙寺の本堂部分の調査が始まった。
この遺跡、ここに至るまでの七転八倒ブリは、関わった人間物語も含めて、愛媛の長らくの文化財体制をあらわにするものにして、一幅の物語になりますな。ともかく、今に至るも発掘の学術的、社会的怖さと言うのが無いままボコボコだからね。
先ずは先達が手を付けたトレンチの再調査。ロクナ図(平面、断面とも)は残ってないのに解釈だけはあれこれ山ほど。
基本に戻っての調査になるでしょう。お隣の町の国遺跡とおなじ経過を辿っていますね。
これからです。
でも、ここを開く地業から考えねばならない立地だけど、その片鱗は出てるし、明らかにできそう。
壮大な開発事業だし、創建事業だ。
崖面を垂直に近く深く切り落として開き、そこに石敷きなんかしてるらしい。