9/22、青石を求めて、さあ出発。松山を」8時前。
同行は西予市のT君、K君。
松山自動車道を一路東へ。徳島での案内を請うていたOさんと吉野川サービスエリアで落ち合い、教えを受けていた第1候補地へ下道を。
吉野川の三三大橋(三野町と三加茂町にかかるからこの名だそうな)を北から南に渡ってのすぐ下流に頃合いの良さそうな河原。鮎料理の看版のかかる料理屋の前庭を通って河原に。
まあ、あるある。大は一抱え以上の大石から、小は手のひらサイズの扁平礫まで各種。ここなら、伐採斧(青石で造るのは希)、柱状片刃、石庖丁とすべての素材を揃いそう。
その発色は結構鮮やかな緑色で、伊予のどす黒い青とはちょっと違うような気がする。
そういえば、たしかこの近辺出身の知り合いが九州のM県の方にいることを思い出して、TEL.。今、三三大橋の下だ、知ってるかいと問うと、そこから10分から15分のところが実家だとの返答。
それなりの成果を得て、次は徳島市は鮎喰川へ。
昼飯の話になり、個人的には鮎料理のフルコースでゆきたかった。徳島の鮎料理は吉野川でも、勝浦川でもフルコースで供して呉れるそうだ。愛媛のように鮎といえば塩焼きだけという欲求不満を解消したかったのだ。
肱川でも四万十支流でも、鮎料理についてもっと研究すべし。素材は良いのだから、研究してフルコースでだすと、それだけで客を呼べると思うがね。セゴシが喰いたいね。
でも、ラーメンを主張するのがいて、妥協。Oさん推薦の徳島ラーメンへ。確かに客は引きも切らさず状態。ねっとり、もっちりのスープでした。医者からラーメンは禁止されているが、めったにないチャンスなので大を食したら、腹持ちがいいというか、胃持ちがいいというのか、その日の夕食時までつっかえていたような感じ。
徳島市考古館によって庄出土の石庖丁を見せて貰う。手法的には磨製直線刃半月と打製方形とがある。材質的には打製品には青石、紅廉石片岩とサヌカイトがある。前二者は地元産、後者は香川産か。磨製には青石と黒色粘板岩系がある、前者は言うまでもないが、後者は山地不明。そのつくりは畿内のそれに似る。身幅が薄く、横に長いタイプ。その端部も奇麗に成形されていた。予告無しの突然ではあったが、親切に対応してくれて、多謝。
この考古館のあるあたりの矢野遺跡、名東遺跡、庄遺跡など徳島市内の有力な弥生遺跡はこの鮎喰川沿いにある。その素材が有りそうな地点(どこでも有りそうなのだが)に下見の上案内して貰ったのが入田川原。沈下橋(徳島では潜水橋というそう)のかかる、すぐ傍。まあ、ここも多いね。ここでは大礫より中小の扁平礫が多く、弥生の石器つくりにその材を得るに不足はない。きれいな水流にその青色、赤色が色鮮やかに奇麗にときめく。吉野川も鮎喰川も紅廉石片岩が常に帯同しているね。
そして、16:30発のフェリーで和歌山に赴く。
吉野川中流の三三大橋の河原
そこの青石と紅廉石片岩
鮎喰川入田の潜水橋と川原
そこでの紅廉石片岩(上)と青石