大加耶の山城を歩く | しもちゃんのブログ

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しもちゃんのブログ 写真があちこち配置になったが、主山城の地盤はがこのように岩盤地形デス。

19日に九州嶺南合同考古学大会のエクスカーションがあったので、韓国側のバスに載っけて貰って、遺跡をあるいた。


一日行程の最初は慶尚北道高霊にある山城、主山城である。この地は、三国時代加耶の大加耶の中心地で池山洞(里)古墳群が展開し、44号墳はその王陵として古墳館が設けられ、再現展示などもされている(復元墓内に衣服や副葬品を添えられた王の復元埋葬があるが、暗くてよく見えない)。
しもちゃんのブログ ブルーシートで覆われたところが城壁の発掘箇所。

しもちゃんのブログ こんな状態です。


主山の麓にこれら古墳群が展開し、その背後に山城、つまり主山城が造られている。山城からは早くには5世紀後半の土器も出土するらしく、6世紀に及んでおり、古墳と城が一体となって形成されている。


城は北に高く、南に低く、変逆台形をなして内部に内郭をもっている。昨年度から発掘が始まり、逆台形の底辺(南側)の右半を三箇所に分けて発掘している。およそ100mの範囲で、ほぼ内托によって築かれている。


現地の発掘箇所は今年多い雨の被害から免れるためすべてブルーシートがかけられ、生ものを拝むことは出来なかったがやむを得まい。


その代わりスライドで概要を見たが、列島のどこそこのとは異なって、完璧な石積による構築で壁のみならず、テンバもしっかり石によって確保されていた。現地を歩くと片麻岩の岩山であるが、その岩塊に寄りかかることなく、それを越えた計画に依拠してつくっていて、オリジナルはこんなものかと感慨を深くした。


もちろん、横断面方形の排水路や壁前面に補強工なども施されている。


韓半島の三国時代山城と列島各地山城を型式学的に系譜的に説明するのは難しい(確かになされていない)段階ではあるが、韓半島では山城の発掘や復元が行われており、この源基形を確かにすることによって間違いない起点から出発したいものだ。