鬼北町興野々寺山遺跡、またまた不思議発見 | しもちゃんのブログ

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表記の弥生後期集落は愛媛南予の内陸高地にあり、土器器種の構成や出土石製品から弥生遺跡といっても単純に栽培農耕集落専用遺跡とは言えないことが指摘されていた。


遺物だけでなく、住居址がどれも小形であるところも理由は判らないが、平地の農耕集落とは異なるところである。


以上は遺構の検出段階で気づいていたところであるが、それを床面まで掘り下げて見ても、どうも竪穴住居址であるにもかかわらず、柱穴が見つからない。意識的に検出に努めてもひっかからない。


偶に柱穴状彫り込みが見つかっても、えらく浅めで、しかも1個と言った程度で組み合わない。竪穴住居址にどのような上屋を架けたかはまだ不明であるが、何か簡易な方法があったのかも知れない。


そういえば、宇和島市拝鷹山遺跡、高知県大月町ムクリ山遺跡などこの地域の高地の弥生遺跡は一定の広域の包含地を持ちながらも、竪穴住居址が出土しないことと通底するところがあるのかもしれない。


不思議であるとともに、興味深いことだ。
しもちゃんのブログ 寺山遺跡の全景

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