研究無くしては、展示も図録もそして利活もなしってことか | しもちゃんのブログ

しもちゃんのブログ

ブログの説明を入力します。

なみはやの続き


この文化財OBは関西の大手の文化財財団のOBで、現役中は、調査センターや大手博物館の立場のある人であった。


その一人が言う。


博物館の展示は展示テーマについて一生懸命研究して、見いだしたことを、何とか伝えようと工夫をこらして、初めて展示になると言うのだ。事に指定管理者などになると、よけいそのことが大事だという。

客の来そうなテーマで開いたって、その場だけのことで、中身が薄いだけに、見透かされるだけで、長期的信用にならないというのだ。


これは基本的な重要なことですね。最近、正論がバカにされる風潮なだけに立派ですよ。ここの展示技術が高いかどうかは別にしても、その心意気はよく伝わるよね。


そこに引き比べ、伊予国の展示はどうだ。

E大學のミューズの考古展示なんて、なんの研究のあともないではないか。あれが大學の展示っていうの。


 行政ないし指定管理者の考古関連展示はどうだろう。集めてドンとならべて、はいお終いだろ。それでは展示を見に行っても賢くならないよな。伝わらないよな。


他の一人が言う。


図録はこれも研究の成果を出さなければ駄目(その成果がドグマやセクトは駄目)、そうでないと、結局は買う人に伝わらないのだとのこと。彼が関わった図録は750部とか完売したと言ってた。

借りた品の写真を並べただけの美術品のような図録では、よっぽどの珍品、貴重品だらけでないと売れなくて、歴史としての考古学展示なら、美しさ、貴重さにたよるのではなく、その意味を研究成果として表明しなければ、人は買わないよとのお言葉であった。


これも将にその通り。


伊予国の関係者諸君、どうですか。


ついでに言えば、遺跡の利活用だって同じだよ。整備工事が終われば、あるいはガイドハウスができれば、終わりではないよ。それは建造物を見せてるみたいなものだ。


その遺跡に関わる情報はあちこちで常に進化、深化、変化しているし、利用者によりよい情報を提供するにはそれらを収集し、考察を加え、リニューアルして提供しなければならない、その意味では遺跡の利活は永遠の研究に迫られる。