松山市道後にある国史跡”湯築城”が整備され、資料館がオープンとなって、10年が経つ。
初め(2002年オープン)は愛媛県埋蔵文化財センターが公園(道後)と資料館の管理と運営を行っていたが、当時の単純一郎総理の「民間にできることは民間で」とのかけ声のもと、指定管理制度が発足し、この公園と資料館の管理と運営は愛媛県から生け贄的に「・・・元気」とかいうNPOに下げ渡された(2007年から営業)。
それから約5年がたつが、果たして民間で出来ることは民間で出来たかどうか、が当然検証されるべきだろう。税金が投入されているのであるから、支払者(住民・利用者)にとってプラスであったかどうかが問われるのだ
もともと県からの下げ渡しの時に「道後の旅館と組んで古代食を開発する」なんて、湯築城の本質とは何にも関係ない企画が高評価されて(当時の新聞)の発足であるから、たいして期待もできなかったが、この脳軟化症的評価になるこの企画は今にいたるも実現されたとは聞かない。しかも当初は書くも憚れる破廉恥な・・をもつ学芸員を採用するような民間組織だからな。
さて、この民間は何を住民にサービスしただろうか。
①常設展。
これは2002年4月のオープン以来、まったく変わらず、この10年間いつ行っても同じモノ。資料館、武家屋敷①、武家屋敷②ともほぼ同じで、あくびがでる。それはこの間、湯築城出土の物質資料についての調査研究を全くやってない裏返しだろうか。
②特別展
埋文センター時代はほぼ毎年、テーマを決めて、特別展を行い、常設展では得ることのできない、深みのある情報を提供してくれてたが、民間組織になってはこの5年間で僅か1回というテイタラク。予算はついているんじゃないのか。
③シンポ講座など
講座はときに行っているがいかにも・・である。かって埋文センター時代はテーマを決め、大友や大内での最新成果と付き合わせたシンポが500人位参加者を集めて熱気溢れた会として毎年のようにあったが、今はまったく開かれない。
よっぽどすることがないのか、一昨年だったか、野外アートと称して上級武士・庭園区の池庭の周辺に各種便器を15ほど並べ便器に中に造花を突っ込んで、史跡を汚していた。史跡を何と心得ているんだ。こんな神経の野郎に史跡を扱わせる資格なんかあるか。
じゃ全く変化がないかと言うと、あるある。幟をおったて、暖簾がおニューにはなっていた位は。
今、ここに売りがあるとすれば、善意に基づいて懸命に説明しているボランティアさんのその純真さ、ホスピタリティにあるのではなかろうか。
以上のように、このようなヒューマニティやソフト、スロー性、創造性が重視される施設の運営は「民間では」できていないのだ。住民へのサービスは著しく低下していて、指定管理者制度は文化退廃を促進しているに過ぎないことを示している。
湯築城資料館