忘れてはいけない-3.11 1
この度の東北関東大震災において被害にあわれた方々に対し心よりお見舞いを申し上げるとともに、多くの犠牲者の方に対しまして心より哀悼の意を申し上げます。
はじめまして、自分は神奈川県の厚木生れの厚木育ちで電気工事を営んでいる
’71年式のおっさんです。
学もなく ブログを書くのは初めてなので、お見苦しい点もあるかと思いますが
ある程度はご了承ください。
このブログを書こうと思ったきっかけは、この度の 3.11 東日本大震災が起こって
しまい・・・。
震災後、事務所から現場へ出ようとした時
ふと いつも聴いている Fヨコ から俺の大ファンである
ハリウッドスター 渡辺 謙 さんが
[ 雨ニモマケズ ] を朗読している声が聞こえてきて・・・
その時 足を止めてじっくりと聞き入った。
その瞬間から現場へ向かう道中も 事務所へ帰ってきた時も 次の日も
またその次の日も 心が熱くなるというか 心が搔きたてられるというか
何とも言えない気持でいっぱいになって
やっぱ何かしなければいけないと思い立ちいろいろ考えた結果
3/25に従業員一同に 「全員で被災地へ行くぞ!!」
「行けば何かしらほんの些細な事でもできるはず!!」 と言った!
応えは全員一致の意見で 行く事になりました。
そして、帰省した後・・・周りの人達にも被災地で体験をした事を話すべきか
気持ちの整理が付かず 正直 悩んだ時もあったのですが
被災されてる方々や犠牲になられた方々の事や将来のの日本の事や
復興支援活動やボランティア活動体験など・・・
また、厚木の仲間達からも支援金や支援物資も出来る限り用意して頂き
まして被災地へ向かええた事を
このアメブロを通して少しの人にでも知ってもらいたいと思い
このブログを始めました。
阪神 淡路 大震災 の時は ちょうど自分で事業を興した年に当たり
正直、生活をするのでいっぱいな ただただ無力の人間でした・・・。
余裕がある会社ではございませんが 16 年の時を経て
過信している訳ではなく ただ社員メンバーに恵まれている
自信が少しだけありましたので 信頼感 はありました。
そして、今一つ言えるのは自分達が向かった 東北地方の方
宮城県多賀城市 のボランティア活動に携わる人達や 被災された方々
皆さんから たくさんの 元気 と 勇気 をもらいました。
《一週間のドキュメント ドラマ》
は言い方に失礼があるかも知れませんがせんが
色々な深い意味で 多少なりとも見て頂ければ幸いです。
4/20(水) AM 5:00
さて、仕事が少し落ち着いた 一人で下見に出発です。
何しろ初めての経験ですから現調が必用と思い・・・
厚木I・C~約 6 時間程度走って 東北自動車道 村田I・C で出まして
事前に連絡しておいた知人の実家の庭で 仮住まいさせて頂く
川崎町 へ 到着です。
庭先はこんな感じです!
普通に田舎ですが 何か 心が落ち着きます!!
今は倉庫に使っている 真中に見える
自家用設備 (キュービクル) の辺りを狙います!!
仮住まいの場所の現調をした後、川崎町から名取市へ移動する際
こんな感じで 道路の陥没している所がいくつもありました。
道路のつなぎ目がかなり段差のある仙台南部有料道路を 50km位で走って
仙台東部有料道路に合流する 仙台若林JCT に入った瞬間
いきなり現れてきた光景を パノラマで 目に映った瞬間・・・
「 マジかよ ~ ~ ・ ・ ・ 。 」
現実を 目の当たりに して
そのあとは 言葉が みつかりませんでした 。
恐る恐る 名取 I C を出て
無言で撮り続けた 写真の一部が これです 。
あの堅い 電柱 が 波の 力で 折れています。
港の奥側に がれきを 仮に集めてる様にも 見えました 。
海に近ければ 近いほど 何もありません
建物の コンクリート基礎だけです!
まわりには 何も ないのですが
基礎や鉄骨軸組が 強かったんでしょう !!
寺院でしょうか !?
凄い がれきの量 です 。
自衛隊の人も ホントに頭が下がります
まだかなりの人数で 捜索を していました 。
放置されている 自動車には ほぼ すべてに 貼られていました 。
一人でも 多くの 人が 生存 していてくれ !!
4/20(水) 17:00
名取市を後に また宮城県に 戻ってくると誓い
ここを あとにして
複雑な 心中で 厚木へ
車を走らせました 。
有限会社 将 電 工