チャクラ・整 (ととのえ)師 あなたらしさナビゲーターの成瀬智実です。
今までね、自己紹介をつらつら書いてますが!
今日は番外編w
自己紹介は、まだ続きますよ
ここらで書こうかなー
理学療法士になったきっかけ
子どもの頃からの夢だった、
学校の体育の先生
は、叶えたのですが、
その次になりたい職業が理学療法士だったのです
体育の先生が向いてなくて、辞めて、理学療法士にチャレンジしたのです。
なので、理学療法士になれたのは遅かった
で、理学療法士を知ったきっかけは…
大学生の頃です。
私は、水泳部でインカレ(全国大会)に出ていました。
かつてのオリンピック選手と同じレースに出たり…
そして、ある時、
あっ、もうやりきったから水泳選手は終わりにしよう
次は、サッカーがやりたい
21歳の時…
で!
女子サッカー部に入ったんです。
部員は40人。
全国大会に毎年行く大学で、
(有名な澤穂希さんや、なでしこの監督の高倉さんとも、何回も試合したことあるんですw)
レギュラー争い半端なかった
水泳部→サッカー部
リスク高すぎました
重力もかからない、個人競技の水泳から
重力ガンガンかかる、なんなら、人ともぶつかる、チーム競技への転向…
球技が大嫌いな私
実は球技嫌い、ボールが苦手です。
今もフットサルしてますが…
試練はサッカーを始めてからです。
捻挫は10回以上
おかげで、両足首の靭帯は切れてありません。
膝の手術は3回
右1回、左2回…
外側半月板損傷と前十字靭帯損傷
今でも脱臼します。
車椅子生活もありました…
理由は、、歩くの禁止
骨膜が腫れて、体重がかかると骨折する状態
痛みと、リハビリの生活が続いてました。
この頃に、理学療法士さんにお世話になったのです。この怪我ばかりしていた時期に
大学の頃にお世話になった理学療法士さんは
身体の回復ばかり見る理学療法士さんだったのです。
メンタルのことなど全く無視
心がついてきてないのに、
「頑張れ」
「そんなことで復帰できると思ってるの」
「走れるようになれないよ?」
あーもー
悔しい
心と身体の不一致が、怪我を再発させるんや
その後も、いろんな病院の理学療法士さんにお世話になり、
治っていく喜びも、悔しい思いも、辛い思いも、人よりたくさんしたから、
私が理学療法士になったとしたら、もっと患者さんや、その方の置かれた環境や、その向こう側まで考えられる理学療法士になろうと決心したのです
自分が怪我をして不自由な思いをしてるからわかるのよ
今も健康体に見えると思うけど、
運動する時は、装具4つつけないと何もできません
真っ直ぐ走るくらいならできるそんな状態です。今でも、これこらも
それでも、自分の楽しいことしたいし、スポーツもしたい。
どんな環境や何歳になってもできる方法を考えていきます
理学療法士という職業を、患者側から知ることが出来て本当に良かったと今は思えます
だから、きっかけは…
自分が怪我したからなのです