ちょうど満月のあたりに、

そんな言葉が不意に浮かんだ。


満月のフィールドを越える


満月のフィールドって、

ああたぶん

そういうことかも。


知っているはずの概念は

この際はずしたほうがいいのかも。



知らない という強みが

だんだん減ってきている。



一年前はどうだったろうと、思い出してみる。



職場に泊まって集団で朝帰りをし、

土曜日の朝だというのに電車はすごく混雑して

主婦たちに買い占められたスーパーの棚はがらんとし

しばらく米を食べない生活だった。



あんなふうに身近な生活にもなにかしらの
『いつもとの違い』があると

気を引き締める生活もキープされるが、

こうして街の明るさもすっかりと戻ると

自分の親しんだペースに戻ってしまう。



あれだけ考えたり感じたりしたことも、

だれかが呼び続けなれば、

その思いは止んでしまうのだろうか。





この作品は結婚について書いたのだけど、

もっと広い意味があるのかもしれない。





休息のあとで、

きれいな万華鏡がエスカレーターを渡り、

その先で砕けていくのを

温かい手をつないで、見送った











今日、あの時間黙祷をささげたあと

これからの一年をどう生きるか。

誰にとっても限りのある命。

今という時間は平等にある。

ただおいしいものを食べて面白おかしく生きるために生まれたわけではないはずと、

自分の奥深くに聞いてみてはどうだろう。







白黒つけない。


という強気な理由ではないけど


なんだかはっきりしない今このままを


もうすこしじっくりと味わってみようと思って。



肩書きがいつか執着になり


些細な豊かさを逃さないように。


気を配りすぎず、


力も抜きすぎず、


ちょうどいい の状態を


グレイの中で探り 、。